梅雨に入り、この時期特有の上海のむしむしした陽気が続いています。
今日は午前中、色々と雑務を大学で済ませてから上海図書館へ出かけました。
第二次大戦以降の東アジアの国際関係、外交史に関する研究書を読むためです。
それにしても、平日にもかかわらず上海図書館は訪問者が大勢いて席がない(苦笑)
さて、今日は中国人の思考、特にナショナリズムの意識に関する話題です。
2010年、2012年と日中間の領土認識をめぐる政治的対立は今でも記憶に新しいものでしょう。
当時、日本では中国国内における反日、或いは、抗議デモが盛んに報じられました。
報道では日本に関するもの・場所が攻撃の対象とされ、興奮した中国人達が映されていました。
そうした映像や報道から、少なくない日本人があたかも中国人が一丸となってこうした行動していると思われたと思います。
或いは、デモの映像などから中国人のナショナリズム意識の強さ、それによる結束力の高さをみたという人もいるかもしれません。
しかし、実際に中国で暮らしている私の感覚から言えば、上記のような中国人の「ナショナリズム」に対する理解は修正が必要です。
まず、2010年と2012年に発生した中国国内の複数の大規模なデモですが、参加した人々はあくまでも一部にすぎません。
13億以上の人々が暮らす中国では、大規模なデモと言っても大半の人々は参加していないばかりか、関心もほぼ持っていません。
また、デモに参加している人々の多くは社会的にみて貧困層が多く、多くの不満を抱えている社会階層だというも特徴です。
逆に、ある程度の生活レベルに達している人々が、自らの思想的訴えを行うため一緒にデモに参加することは稀だったようです。
よって、デモの映像に映っている人々をして、中国人の大半のケースだと考えてほしくありません。
むしろ大半の中国人が、反日デモなどで一丸となってナショナリズムの意識を高めていくケースは少ないと言っていいでしょう。
もはや中国はそういう社会ではなくなりつつあり、人々はもっと現実主義的・実利主義的な行動を選択するケースが多くなっています。
よって、私は中国人のナショナリズム意識はそれほど高くはなく、それを軸に集団的な凝集力を保つことは難しいと感じています。
約4年の中国の生活経験が一番の根拠ですが、実際、中国革命の父である孫文も、ナショナリズムによって団結しない中国人を、
「バラバラの砂(一盤散砂)」
と表現したと言われています。
よって、通常、中国人がナショナリズムという軸で凝集力を高めるというケースはかなり少ないのが現実と考えていいでしょう。
ただ、このことは中国人が常にバラバラであることを意味しません。
当然、ある条件ができると中国人の集団の凝集力が高まるケースはあります。
では、どういうケースに中国人の集団凝集力が高まるのでしょうか??
この点については次回のブログで書きたいと思っています。
それでは今日はこの辺で。
今日は午前中、色々と雑務を大学で済ませてから上海図書館へ出かけました。
第二次大戦以降の東アジアの国際関係、外交史に関する研究書を読むためです。
それにしても、平日にもかかわらず上海図書館は訪問者が大勢いて席がない(苦笑)
さて、今日は中国人の思考、特にナショナリズムの意識に関する話題です。
2010年、2012年と日中間の領土認識をめぐる政治的対立は今でも記憶に新しいものでしょう。
当時、日本では中国国内における反日、或いは、抗議デモが盛んに報じられました。
報道では日本に関するもの・場所が攻撃の対象とされ、興奮した中国人達が映されていました。
そうした映像や報道から、少なくない日本人があたかも中国人が一丸となってこうした行動していると思われたと思います。
或いは、デモの映像などから中国人のナショナリズム意識の強さ、それによる結束力の高さをみたという人もいるかもしれません。
しかし、実際に中国で暮らしている私の感覚から言えば、上記のような中国人の「ナショナリズム」に対する理解は修正が必要です。
まず、2010年と2012年に発生した中国国内の複数の大規模なデモですが、参加した人々はあくまでも一部にすぎません。
13億以上の人々が暮らす中国では、大規模なデモと言っても大半の人々は参加していないばかりか、関心もほぼ持っていません。
また、デモに参加している人々の多くは社会的にみて貧困層が多く、多くの不満を抱えている社会階層だというも特徴です。
逆に、ある程度の生活レベルに達している人々が、自らの思想的訴えを行うため一緒にデモに参加することは稀だったようです。
よって、デモの映像に映っている人々をして、中国人の大半のケースだと考えてほしくありません。
むしろ大半の中国人が、反日デモなどで一丸となってナショナリズムの意識を高めていくケースは少ないと言っていいでしょう。
もはや中国はそういう社会ではなくなりつつあり、人々はもっと現実主義的・実利主義的な行動を選択するケースが多くなっています。
よって、私は中国人のナショナリズム意識はそれほど高くはなく、それを軸に集団的な凝集力を保つことは難しいと感じています。
約4年の中国の生活経験が一番の根拠ですが、実際、中国革命の父である孫文も、ナショナリズムによって団結しない中国人を、
「バラバラの砂(一盤散砂)」
と表現したと言われています。
よって、通常、中国人がナショナリズムという軸で凝集力を高めるというケースはかなり少ないのが現実と考えていいでしょう。
ただ、このことは中国人が常にバラバラであることを意味しません。
当然、ある条件ができると中国人の集団の凝集力が高まるケースはあります。
では、どういうケースに中国人の集団凝集力が高まるのでしょうか??
この点については次回のブログで書きたいと思っています。
それでは今日はこの辺で。