中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

このブログの様々な読者の方

2015年10月14日 23時20分16秒 | とりあえず日記
またまた久々の更新になってしまいました。

今学期は授業こそ忙しくはないはずなのですが、別の仕事や課題がどんどん入ってしまい、あまり余裕が無い状態になっています。
内訳ですが、日本人教員としての授業+準備が全体の仕事の50%前後、他に研究員の業務、論文・原稿執筆が30%、他の雑務が20%という感じでしょうか。
加えて、去年度は学生たちと授業以外ではあまり関われなかった分、今年度はもう少しかれらと関わっていきたいと思う自分もいて、
その結果、その交流にも結構時間を使っている感じがします。

最近書いている論文


先日迎えた○歳の誕生日を祝ってもらった写真(他にプレゼントなども)


そのためか既に疲れが結構たまっている感があり、急に眠気が襲ってきてしまい、そのままダウンという日も珍しくありません。
そんな時、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」が私には結構効くので、今日は二回分を見てやる気を注入しました(笑)。
プロフェッショナルの仕事をしている人って、なんというか目が皆同じ気がします。
そんな時は決まって、自分の目は今果たしてどうだろうか、と考えさせられます。

自分は今の環境でゼイゼイしているわけにはいきません、そろそろ次のステージへステップアップをしようと思っているのですから。
そのためにも、まだまだ自分を追い込んでいこうと思っていますし、出来ればそれを楽しめるほどの気持ちを持っていきたいものです。



さて、前置きが長くなりました。
このブログは私が上海の大学に異動する前(2011年7月)からはじめ、現在まで基本的に途絶えることなく書き続けてきました。
まあ更新頻度が多いことも少ないこともあり、波はあったわけですが、こんなブログにも読者が沢山いらしたことに最近気づかされています。
というのも、私がブログに自身のEメールアドレスを書いて以降、色々な世界で生きている読者からメッセージを頂くようになったからです。

例えば、

①私と同じく中国で奮闘されている日本人教員(大学、高校など)
②私が暮らす山東省済南市の各大学の教員(日本人教員とは限らず、各分野の研究者)
③また、同じく済南に旅行で来たり、知人がいる、或いは、済南に住んでいるという方
④日本の各大学の研究者(言語学、日本語教育が多い)
⑤中国の大学で歴史を研究する学者
⑥留学生の派遣に関する中国の企業の関係者
⑦日本の雑誌記者


などなどでした。
とまあ、色々な読者の方がいることをかれらから頂いたメールから私は知ることになったわけです。
そうした出会いを楽しみつつ、ブログを書き続けることの意義を感じていました。


そんな中、先日は大変貴重なメールをある読者の方から頂きました。
(以下は本人が特定されない範囲でここで紹介を致します)

内容を簡潔に言えば、その方のお身内が戦時中に済南市内で暮らしていた経験があったというのです。
日本に引き揚げてきた後も中国が好きで、よく中国のことをお話しだったそうです。
そのため、かれらが見た「中国済南」を自分の目で実際に見てみたいという内容でした。

この時期は日中間は交戦状態にあり、両国関係は最悪であったことは疑いない事実でしょう。
しかし、そうした中、中国済南で暮らした一人の日本人はどのように当時の済南を経験したのか、
或いは、当時の街や人々の雰囲気はどうであったのか、メールを読んだ後、これらに強い関心が出てきました。

少なくとも、メールを下さった方のお身内は「中国が大好き」だったわけで、そうなるにはそれ相応の理由もあったでしょうし、
また、歴史教科書には出てこない現地人と日本人との関わりもきっと存在したと私には思われるのです。

ともかく、私自身も済南の歴史建築を見て回っていた後だったので、自身の知っている情報をお伝えし、「こちらに来たら是非案内をします」と返事を書きました。
いつになるかはメールに書かれていませんでしたが、この方は今後、済南へ必ずいらっしゃるとのことでした。

現在、山東師範大にて「中日関係史」を教えているのですが、実は近代の時期をどう教えるかで頭を悩ませていました。
しかし、思わぬところから出てきた個人のライフヒストリーという切り口でこの時代をある程度話すことができないか、今はそう考え始めています。
そもそも歴史とは「自分とは関係ない過去」と捉えられた時点で、学習者の関心が一気に下がるように私は感じます。
確かに、基本的には歴史では「自分とは(少なくとも直接的には)関係ない過去」を学ぶことになりますが、その面白さは一部の学習者に対してしか伝えられない、
或いは、それで十分であるかのような認識は、歴史学界一般に流れるムードのようにも思います。

しかし、私は現時点ではそのような学者や歴史学教員にはなりたくないと願っています。
(とはいえ、毎回、歴史の授業ではなかなかうまく行っていない箇所が多いのですが・・・)
そのためにも、悩んだ先に何か少しでも光明が差す瞬間を見つけたらいいと思いますし、その努力を欠かさないようにはしたいものです。

今回、私にメールを下さった一読者の文面から、私に歴史授業を見つめなおす一つのヒントが下りてきたように感じているところです。

こうした出会いに感謝を忘れず、今後もブログを続けていけたらと思っています。
皆さま、今後ともよろしくお願い申し上げます。