中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

日本の大学院進学を目指す学生の指導のアレコレ

2017年04月09日 00時24分40秒 | 日本への留学までの道のり
今学期は授業が通常の学期と比較して少ない為、大学の仕事は楽になりました。
しかし暇が出来ても、結局、他にやることが出てくるものです。
毎週一日は研究日を定めましたが、現状では満足に一日集中して取り組むのは難しいです。


先日の清明節は出張で西安へ行ってきました。
交通費(航空券)・宿泊費を招待側に全て負担してもらっての出張だったので、浮いた予算を観光に回せました。
お陰で出張の用事以外の日程を使い、中国に来て久しぶりに旅行らしい旅行が出来ました。


西安や西北地域でよく食べられている羊肉泡馍


世界遺産にも指定されている大雁塔(写真が横なのが残念)
唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典・仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔


他にも陝西省博物館など色々と足を運んだのですが、省略。



さて本日の話題は久々に「日本への留学までの道のり」のカテゴリーに関する話題です。
上海を離れて山東省済南に来て以降、私は学生から依頼が来る留学のお手伝いを断ってきました。
理由は幾つかあります。

1 大学院留学の手助けは想像以上に時間と労力を使うこと
2 そのため、無理にやると他の仕事や研究にも支障が出ること
3 研究論文をどんどん書かないといけない中、そのような時間がなくなってきたこと
4 ある程度研究経験がある人だけが出来る作業・仕事であるため、それを無償でやることに疑問を感じたこと
5 学生の能力を見て、「この学生は指導すれば見込みがある」と感じさせる学生に済南では出会わなかったこと

などなどです。

無償で時間と労力を使う以上、それなりに「指導してあげたい」という気持ちがでなければ、
それを積極的に引き受ける理由・意義は感じられず、結局、上海から異動した後はほぼ断ってきました。


そんな中、済南へ異動してから一人だけ日本語に対する意識が他の学生と違う学生と出会いました。
出会った大学二年時から日本語が達者で、聞くと日本のアニメが大好きで日本語を覚えたと教えてくれました。
日本語・日本に関することにも広く関心を持っていて、何より自ら関心を持って学んでいるのが印象的でした。
特に学生が大学三年時の私の自主ゼミ、また四年時には自主的に毎週私の出講の大学院授業に参加し、
関心を持って学んでいる様子を見て、「指導すれば何とかなるかもしれない」と感じるようになりました。

そして四年生の冬、学生から留学のことについて相談を受けたの契機に、本格的な指導が始まりました。
研究課題は学生本人の「問題意識」に沿って決めさせ、それに意見をしながら、修正を進めるというのが主な方法でした。
書いては書き直しをさせ、その都度、学生の課題は二転三転しました。

基本的に日本語を四年間勉強しただけで、他の教養が身についていないのが中国の大学の日本語科学生の特徴です。
もちろん自分で本を読み、第二専門の授業などに参加していれば別ですが、そうした学生は少ないのが現状です。
この学生も専門とした日本語教育の基礎的教養がほぼない状態でスタートしたので、苦労しているようです(今も)。

「自分がかなりの部分を手助けしたらすぐに終わるのに」と何度も思いますが、最後まで自分でやらせる予定です。
この壁を越えないと日本に行ってから通用しませんし、この学生の目標とする「日本で博士号取得」は夢のまた夢だからです。

現状を見ていると、やはり上海の大学(中国の重点大学の一つ)の学生とは違い、成長速度は遅めです。
また論理性・思考力・修正力・基礎的な知識・自由な発想などがどうしても劣っているのを感じます。
加えて気になるのは、「一度言った注意を繰り返しミスしていること」です。

こうした学生に対して、指導者がどう向き合うべきかと問われれば「辛抱強く向かい合い、焦らないこと」なのかなと思います。
あとは研究に関わる指導をする以上、「本当にやりたい研究は何か、その研究で自分は何を考えたいのか」を何度も問いかけ、
本当にやりたい研究像を何とか形になるまで付き合うことも必要だと思います。


今の大学で日本への大学院留学の指導をする場合、これまでよりも負担が大きいのは事実でしょう。
しかし、こうした機会を通じて自分自身も大学教師として成長できるチャンスがあると感じています。

「この大学の学生は…」とか、「この水準では大学院では通用しない…」などと言うのは簡単です。

ただ、その学生が持っている日本語への強烈な興味・関心はまぎれもなく本物である以上、
その芽が出ないとすれば、指導者も十分な指導方法が出来ているのか否かを反芻すべきだと考えます。

今回、済南で学生の留学指導を引き受ける過程で、悩みながら前に進もうとしている学生も、
指導する私自身も共に、自分自身の“壁”を超えようとしているのかもしれません。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加