暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

女性で言えば

2018-02-25 13:14:29 | Weblog
 女性で言えば、『同意して、同意して』の人達だけれども。男性で言えば、『居酒屋では、立派な意見を言うのに、会議では黙っている人達』だよね、と思う。

 左翼思想の人が、『一緒に飲めば、分かりあえる』とか書いていたけれども。
 話し合いに話し合いを重ねた挙句、『意見が相違する事に、お互い同意した』だったら、どうするのだろうか、と思う。
 自分の意見を、他者にも、賛成してもらえる事を、前提にするなんて、傲慢だよね、と思う。

 『同意して、同意して』の人達も、同意してもらえなくて、苦しむ事があるらしい。
 千田拓哉さんは、『みんなで、一緒につるむから、出世しないのだ』と書いていたが。
 『同意して、同意して』の人達は、みんなで、一緒につるみたがるが、結局、同意してもらえない事があって、苦しむらしい、と。
 でも、『みんなで、一緒につるむ人達』も、別に、結局の所、幸せを感じる人生を生きるという訳でもないであろう、と。

 人に合わせた方が、簡単な事はある。
 だけど。
 それでは、結局の所、何も成し遂げる事は出来ないのではないか、と。
 『一緒に飲めば、分かりあえる』の左翼の人達も、結局、上手く行っていないのではないかと思うけれども。

 バシャールが、リアリティの話をしている。『2018年バシャールの年賀状』という話だが。
 『あなたが深くまで理解していないから、リアリティがなく、ただのアイデアに過ぎないと感じるのです。あなたが自分コアの信念を見つけるまで、アイデアはアイデアのままです。分かったように感じたとしても、骨に達するまで深くは理解していません』と。

 自分の意見が怖い。
 なんか、排除の理論のような気がするが。
 「霊的レベルが高い人というのは、世界の幸福とか、宇宙の幸福とか言う人で、霊的レベルが低い人というのは、自分の利益が得られれば、他者が不幸になっても構わないという人の事」とか。
 『問題を他者のせいにして、「何で、こんな所にゴミ箱を置いてあるのよ」と言っていませんか』とか。
 
 自分の問題に向き合う事が、その人の人生の目的だと思う。
 八つ当たり(?)して、問題を他者のせいにしても、全然、自分の人生の目的を果たした事にはならないと思う。
 だけど、問題を他者のせいにして、『旦那の給料が低いから不幸だ』とか、『姑のせいで、不幸だ』とか、『職場の人達のせいで不幸だ』とか言っている人達が大勢いる、と。
 まあ、「普通の人達」だと思う。
 だけど、そういう、「普通の人達」を、「間違った人達である」と言っているのだから。心理的抵抗があるのは、当然だと思う。

(続き)
 まあ、「自分と違う意見を持つ人と出会う事」が、生まれてくる目的、価値だよな、と思う。
 天国では、自分と同じような人としか、知り合えないから。
 それが、常に、幸福ばかりをもたらす訳ではないとしても。

(続き)
 ブログの、ツイッターで、『カリアゲ(北朝鮮のトップ)と、話し合いが出来る訳がない。お前が北朝鮮に行って、話し合いとやらをしてこい。そして、日本に帰ってくるな』と書いていた人がいたが。

 『共産主義って上手く行っていないよね』と思う人は多いと思うけれども。
 基本的に言えば、『科学が唯一客観をもたらすので』が分からない。
 共産主義の事を、『全体主義』という言い方をする人達がいるが。これは、美しい言い方をしている方だと思う。実際は、「トップの人の言う事を、みんな正しいと信じなければならない」という思想だから。
 だから、「共産主義の理想」を求めた、カルト村(ヤマギシ会らしいが)は結局、上手くいかないのであり、と。

(続き)
 そりゃまあ。自分がポジティブ列車に乗っていたら、ネガティブな、分離の人達との違和感は大きくなっていくよね。
 で、バシャールの言っている事が正しければ、ポジティブな人達は、人数が少ないらしい、と。
 で、結果として、いわゆる、“普通の人達”の事を、否定する意見、見解が出てきてしまう、と。

 結構色々あるのだ。結局の所、「自分が変わってしまった」のだろうが。
 グチグチいう人とケンカして、さよならしてしまい、とか。
 グチグチ言う人達に耐えられないのだよね。

(続き)
 自分のふがいなさを認めるのは、辛い。それよりも、誰かのせいにした方が簡単。
 自己責任を認めるのは、辛い。それよりも、誰かが悪いせいにした方が、簡単。

 同居している家族の悪口をブログで書いている女性だって、派遣社員で、時々仕事を辞めているから、一人暮らしする出来る能力はないと思う。やったとしても、貧困生活になると思う。
 悪いのを旦那の給料が低いせいにしておけば、自分に、一人暮らしする能力がない事について、見ないで済むから。

 共産主義は、暴力なしに成立しない。
 一人の言っている事を、40人もの人に言う事を聞かせるには、暴力を使うしかない。
 人は人の言う事なんて、聞こうとしないだろうから。

(続き)
 問題を誰かのせいにすることは簡単だと思う。だけど、それでは進歩がないと思う。
 そして、『自己責任』という言葉にぶち当たる。
 自分の思っている事を、人に言ってもらいたがっている人達がいる。
 そして、自分では自分の言論に責任を取らないで、『どうして、他者が言わないのか』と言っている人達がいる。
 全部、自己責任なのだけれども。

 男性であろうと、女性であろうと、結局の所は、問題にぶつかる。
 それを、自分が考える責任があるとして考えるのが、自己責任と言うことだが。
 他者のせいにしていては、進歩はないし、結局の所は、能力が向上しないままである、と。
 少しずつでも、やっていけば、そのうち能力は向上するのに。
 最初から、『この問題は他者のせい』にしていたら、能力はいつまでたっても、向上しない、と。

 結局の所は、「何で、自己責任なのか」と。
 それ以外に能力を向上させる方法はないからだが。
 そして、「自分に責任がある」と認めた時、初めて、それを、変えられる、と。
 自分の責任にない事は、変えられないから。
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