女性で言えば、『同意して、同意して』の人達だけれども。男性で言えば、『居酒屋では、立派な意見を言うのに、会議では黙っている人達』だよね、と思う。
左翼思想の人が、『一緒に飲めば、分かりあえる』とか書いていたけれども。
話し合いに話し合いを重ねた挙句、『意見が相違する事に、お互い同意した』だったら、どうするのだろうか、と思う。
自分の意見を、他者にも、賛成してもらえる事を、前提にするなんて、傲慢だよね、と思う。
『同意して、同意して』の人達も、同意してもらえなくて、苦しむ事があるらしい。
千田拓哉さんは、『みんなで、一緒につるむから、出世しないのだ』と書いていたが。
『同意して、同意して』の人達は、みんなで、一緒につるみたがるが、結局、同意してもらえない事があって、苦しむらしい、と。
でも、『みんなで、一緒につるむ人達』も、別に、結局の所、幸せを感じる人生を生きるという訳でもないであろう、と。
人に合わせた方が、簡単な事はある。
だけど。
それでは、結局の所、何も成し遂げる事は出来ないのではないか、と。
『一緒に飲めば、分かりあえる』の左翼の人達も、結局、上手く行っていないのではないかと思うけれども。
バシャールが、リアリティの話をしている。『2018年バシャールの年賀状』という話だが。
『あなたが深くまで理解していないから、リアリティがなく、ただのアイデアに過ぎないと感じるのです。あなたが自分コアの信念を見つけるまで、アイデアはアイデアのままです。分かったように感じたとしても、骨に達するまで深くは理解していません』と。
自分の意見が怖い。
なんか、排除の理論のような気がするが。
「霊的レベルが高い人というのは、世界の幸福とか、宇宙の幸福とか言う人で、霊的レベルが低い人というのは、自分の利益が得られれば、他者が不幸になっても構わないという人の事」とか。
『問題を他者のせいにして、「何で、こんな所にゴミ箱を置いてあるのよ」と言っていませんか』とか。
自分の問題に向き合う事が、その人の人生の目的だと思う。
八つ当たり(?)して、問題を他者のせいにしても、全然、自分の人生の目的を果たした事にはならないと思う。
だけど、問題を他者のせいにして、『旦那の給料が低いから不幸だ』とか、『姑のせいで、不幸だ』とか、『職場の人達のせいで不幸だ』とか言っている人達が大勢いる、と。
まあ、「普通の人達」だと思う。
だけど、そういう、「普通の人達」を、「間違った人達である」と言っているのだから。心理的抵抗があるのは、当然だと思う。
(続き)
まあ、「自分と違う意見を持つ人と出会う事」が、生まれてくる目的、価値だよな、と思う。
天国では、自分と同じような人としか、知り合えないから。
それが、常に、幸福ばかりをもたらす訳ではないとしても。
(続き)
ブログの、ツイッターで、『カリアゲ(北朝鮮のトップ)と、話し合いが出来る訳がない。お前が北朝鮮に行って、話し合いとやらをしてこい。そして、日本に帰ってくるな』と書いていた人がいたが。
『共産主義って上手く行っていないよね』と思う人は多いと思うけれども。
基本的に言えば、『科学が唯一客観をもたらすので』が分からない。
共産主義の事を、『全体主義』という言い方をする人達がいるが。これは、美しい言い方をしている方だと思う。実際は、「トップの人の言う事を、みんな正しいと信じなければならない」という思想だから。
だから、「共産主義の理想」を求めた、カルト村(ヤマギシ会らしいが)は結局、上手くいかないのであり、と。
(続き)
そりゃまあ。自分がポジティブ列車に乗っていたら、ネガティブな、分離の人達との違和感は大きくなっていくよね。
で、バシャールの言っている事が正しければ、ポジティブな人達は、人数が少ないらしい、と。
で、結果として、いわゆる、“普通の人達”の事を、否定する意見、見解が出てきてしまう、と。
結構色々あるのだ。結局の所、「自分が変わってしまった」のだろうが。
グチグチいう人とケンカして、さよならしてしまい、とか。
グチグチ言う人達に耐えられないのだよね。
(続き)
自分のふがいなさを認めるのは、辛い。それよりも、誰かのせいにした方が簡単。
自己責任を認めるのは、辛い。それよりも、誰かが悪いせいにした方が、簡単。
同居している家族の悪口をブログで書いている女性だって、派遣社員で、時々仕事を辞めているから、一人暮らしする出来る能力はないと思う。やったとしても、貧困生活になると思う。
悪いのを旦那の給料が低いせいにしておけば、自分に、一人暮らしする能力がない事について、見ないで済むから。
共産主義は、暴力なしに成立しない。
一人の言っている事を、40人もの人に言う事を聞かせるには、暴力を使うしかない。
人は人の言う事なんて、聞こうとしないだろうから。
(続き)
問題を誰かのせいにすることは簡単だと思う。だけど、それでは進歩がないと思う。
そして、『自己責任』という言葉にぶち当たる。
自分の思っている事を、人に言ってもらいたがっている人達がいる。
そして、自分では自分の言論に責任を取らないで、『どうして、他者が言わないのか』と言っている人達がいる。
全部、自己責任なのだけれども。
男性であろうと、女性であろうと、結局の所は、問題にぶつかる。
それを、自分が考える責任があるとして考えるのが、自己責任と言うことだが。
他者のせいにしていては、進歩はないし、結局の所は、能力が向上しないままである、と。
少しずつでも、やっていけば、そのうち能力は向上するのに。
最初から、『この問題は他者のせい』にしていたら、能力はいつまでたっても、向上しない、と。
結局の所は、「何で、自己責任なのか」と。
それ以外に能力を向上させる方法はないからだが。
そして、「自分に責任がある」と認めた時、初めて、それを、変えられる、と。
自分の責任にない事は、変えられないから。
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左翼思想の人が、『一緒に飲めば、分かりあえる』とか書いていたけれども。
話し合いに話し合いを重ねた挙句、『意見が相違する事に、お互い同意した』だったら、どうするのだろうか、と思う。
自分の意見を、他者にも、賛成してもらえる事を、前提にするなんて、傲慢だよね、と思う。
『同意して、同意して』の人達も、同意してもらえなくて、苦しむ事があるらしい。
千田拓哉さんは、『みんなで、一緒につるむから、出世しないのだ』と書いていたが。
『同意して、同意して』の人達は、みんなで、一緒につるみたがるが、結局、同意してもらえない事があって、苦しむらしい、と。
でも、『みんなで、一緒につるむ人達』も、別に、結局の所、幸せを感じる人生を生きるという訳でもないであろう、と。
人に合わせた方が、簡単な事はある。
だけど。
それでは、結局の所、何も成し遂げる事は出来ないのではないか、と。
『一緒に飲めば、分かりあえる』の左翼の人達も、結局、上手く行っていないのではないかと思うけれども。
バシャールが、リアリティの話をしている。『2018年バシャールの年賀状』という話だが。
『あなたが深くまで理解していないから、リアリティがなく、ただのアイデアに過ぎないと感じるのです。あなたが自分コアの信念を見つけるまで、アイデアはアイデアのままです。分かったように感じたとしても、骨に達するまで深くは理解していません』と。
自分の意見が怖い。
なんか、排除の理論のような気がするが。
「霊的レベルが高い人というのは、世界の幸福とか、宇宙の幸福とか言う人で、霊的レベルが低い人というのは、自分の利益が得られれば、他者が不幸になっても構わないという人の事」とか。
『問題を他者のせいにして、「何で、こんな所にゴミ箱を置いてあるのよ」と言っていませんか』とか。
自分の問題に向き合う事が、その人の人生の目的だと思う。
八つ当たり(?)して、問題を他者のせいにしても、全然、自分の人生の目的を果たした事にはならないと思う。
だけど、問題を他者のせいにして、『旦那の給料が低いから不幸だ』とか、『姑のせいで、不幸だ』とか、『職場の人達のせいで不幸だ』とか言っている人達が大勢いる、と。
まあ、「普通の人達」だと思う。
だけど、そういう、「普通の人達」を、「間違った人達である」と言っているのだから。心理的抵抗があるのは、当然だと思う。
(続き)
まあ、「自分と違う意見を持つ人と出会う事」が、生まれてくる目的、価値だよな、と思う。
天国では、自分と同じような人としか、知り合えないから。
それが、常に、幸福ばかりをもたらす訳ではないとしても。
(続き)
ブログの、ツイッターで、『カリアゲ(北朝鮮のトップ)と、話し合いが出来る訳がない。お前が北朝鮮に行って、話し合いとやらをしてこい。そして、日本に帰ってくるな』と書いていた人がいたが。
『共産主義って上手く行っていないよね』と思う人は多いと思うけれども。
基本的に言えば、『科学が唯一客観をもたらすので』が分からない。
共産主義の事を、『全体主義』という言い方をする人達がいるが。これは、美しい言い方をしている方だと思う。実際は、「トップの人の言う事を、みんな正しいと信じなければならない」という思想だから。
だから、「共産主義の理想」を求めた、カルト村(ヤマギシ会らしいが)は結局、上手くいかないのであり、と。
(続き)
そりゃまあ。自分がポジティブ列車に乗っていたら、ネガティブな、分離の人達との違和感は大きくなっていくよね。
で、バシャールの言っている事が正しければ、ポジティブな人達は、人数が少ないらしい、と。
で、結果として、いわゆる、“普通の人達”の事を、否定する意見、見解が出てきてしまう、と。
結構色々あるのだ。結局の所、「自分が変わってしまった」のだろうが。
グチグチいう人とケンカして、さよならしてしまい、とか。
グチグチ言う人達に耐えられないのだよね。
(続き)
自分のふがいなさを認めるのは、辛い。それよりも、誰かのせいにした方が簡単。
自己責任を認めるのは、辛い。それよりも、誰かが悪いせいにした方が、簡単。
同居している家族の悪口をブログで書いている女性だって、派遣社員で、時々仕事を辞めているから、一人暮らしする出来る能力はないと思う。やったとしても、貧困生活になると思う。
悪いのを旦那の給料が低いせいにしておけば、自分に、一人暮らしする能力がない事について、見ないで済むから。
共産主義は、暴力なしに成立しない。
一人の言っている事を、40人もの人に言う事を聞かせるには、暴力を使うしかない。
人は人の言う事なんて、聞こうとしないだろうから。
(続き)
問題を誰かのせいにすることは簡単だと思う。だけど、それでは進歩がないと思う。
そして、『自己責任』という言葉にぶち当たる。
自分の思っている事を、人に言ってもらいたがっている人達がいる。
そして、自分では自分の言論に責任を取らないで、『どうして、他者が言わないのか』と言っている人達がいる。
全部、自己責任なのだけれども。
男性であろうと、女性であろうと、結局の所は、問題にぶつかる。
それを、自分が考える責任があるとして考えるのが、自己責任と言うことだが。
他者のせいにしていては、進歩はないし、結局の所は、能力が向上しないままである、と。
少しずつでも、やっていけば、そのうち能力は向上するのに。
最初から、『この問題は他者のせい』にしていたら、能力はいつまでたっても、向上しない、と。
結局の所は、「何で、自己責任なのか」と。
それ以外に能力を向上させる方法はないからだが。
そして、「自分に責任がある」と認めた時、初めて、それを、変えられる、と。
自分の責任にない事は、変えられないから。
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