貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

山 寺 (立石寺) その1

2017-03-24 09:06:32 | 日記
山 寺 (立石寺) その1

平成27年8月6日 10:00~

「山形領に立石寺と云山寺あり。

 慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。

一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、

尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。

日いまだ暮ず。

梺の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。

 岩に巌を重て山とし、松栢年旧土石老て

苔滑に、岩上の院々扉を閉て物の音きこえず。

 岸をめぐり岩を這て仏閣を拝し、佳景寂寞

として心すみ行のみおぼゆ。

閑さや岩にしみ入蝉の声 」


~ 現代訳 ~

山形藩の領内に立石寺という山寺がある。

慈覚大師が開かれた寺であり、とりわけ清らか

で静かなところである。

「一度見ておいた方が良い」と人々に勧められ、

尾花沢から引き返すように出かけたが、その間

七里ほどであった。

着いた時は、日はまだ暮れていなかった。

 ふもとの宿坊に宿を借りておいて、山上の堂

に登った。

岩に岩を重ねたような山姿を呈し、松や杉、

ひのきは老木となり、古くなった土や石は滑ら

かに苔むし、岩の上に建つ多くのお堂の扉は

閉じられており、物音ひとつ聞こえない。

 崖のふちをめぐり、岩を這うようにして仏閣

を参拝したが、すばらしい景観は静寂の中で

さらに映え、ただただ心が澄み渡っていくよう

であった。

 何と静かに思えることよ。その鳴き声しか聞

こえず、かえって静けさがつのるように感じら

れる蝉の声は、まるで岩々にしみこんでいるか

のようだ。


 これだけの準備をし、猛暑の早朝出発。

汗が絶え間なく噴き出る。

 上里で朝食。家内がつくっておいてくれた

おむすびとミニトマト、肉団子、キュウリの

梅漬けを頬張る。

 上河内SAで、残りを食し、横になり休養。

 安積にに7時50分。

 10時に山寺の駐車場に入る。

立谷川の橋の手前のの駐車場に止める。



橋より一望



水も少なし。猛暑が続く。



日枝神社






尾花沢:芭蕉宿泊先:養泉寺

2017-03-23 10:12:40 | 日記
尾花沢:芭蕉宿泊先:養泉寺

 七日間滞在したという。

「涼し塚」と称す句碑があった。

涼しさを 我が宿にして ねまる也

養泉寺入口・・・標柱





養泉寺山門 





養泉寺本堂



養泉寺由緒・奥の細道説明



涼し塚:中に句碑がある

涼しさを 我が宿にして ねまる也
           芭蕉



芭蕉・曾良・清風・素英の4句碑



裏面は加藤楸邨の書であることを表示


尾花沢 : 芭蕉・清風歴史資料館

2017-03-22 13:35:25 | 日記
尾花沢  芭蕉・清風歴史資料館

  2015年7月19日 13:10~


 5月17日(陽暦7月3日)は快晴で、堺田

を立った芭蕉は、笹森・一刎から山刀伐峠を越え、

市野々・正厳を経て尾花沢の鈴木清風宅に午後

到着したという。

 清風は、紅花の豪商で、江戸で大儲けをし、

吉原の遊女を全員3日間休暇を与えるという

豪放磊落振りの人であったという。

 尾花沢に戻り俳句集なども出し、芭蕉は

その人柄を褒めている。

 芭蕉・清風歴史資料館



歴史の路 説明板



芭蕉は、十日間も滞在したという。出会いの凄さ。俳聖だものね。



町屋造りの建物



芭蕉翁立像


美豆の小島・尿前の関 その2 

2017-03-21 09:26:21 | 日記
美豆の小島・尿前の関 その2

「なるごの湯より尿前の関にかかりて、

 出羽の国に越んとす。

 此路旅人稀なる所なれば、関守に怪しまれ

て、漸として関をこす。」

と記しているのが、『おくのほそ道』の

尿前の関。

 「死と前」の関の思いか?

 封人の館での三日間は大変だったことも

想像できる。

芭蕉の立像は、若々しい!


尿前の関跡





尿前の関説明碑



芭蕉翁立像




美豆の小島・尿前の関 その1 

2017-03-21 08:53:46 | 日記
美豆の小島・尿前の関 その1

平成27年7月19日 12:55~

 小黒崎・みづの小島というのは、古歌で

知られた歌枕だ。

 小黒崎は、鳴子町川渡と岩出山町一栗

またがる244.5メートルの山で、

新緑と紅葉の景観が素晴らしいという。

美豆の小島は、鳴子町川渡名生定(みょ

うさだ)に属する、

 小黒崎西南の荒尾川(玉造川)中の

小島で、盆景の美しさがあるという。

 こけしで有名な鳴子温泉をゆっくり走り

ながら尿前の関へ。

<尿前の関>

 7月19日  12:55~ 13:30

駐車場から旧出羽街道の勾配の高い

ひも段を降りる。

 降りきったところに、3日間閉じ込めら

れたという封人の家があった。

 すぐ近くに尿前の関跡も見つけることが

できた。

 難儀したといわれる関所だが、この後の

道も大変である。

 九十九折りの道といわれ、難所中の難所

だったそうな。山

 刀伐峠まで13キロと記されている。

 今、そこに立つだけでも当時のことが忍

ばれる。

人ひとりいない・・・。


(お詫びと訂正)

 写真が小さく見づらかったでしょう。
申し訳ありません。やり直しました。

駐車場の近くにある説明板



案内板   この先ほんと急降下!



整備されたひも階段を慎重に一歩ごと・・・



封人の家跡



芭蕉句碑のある場所





芭蕉句碑

「蚤虱 馬の尿(ばり)する 枕もと」