貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

何で仙台に東照宮?

2018-04-24 08:34:56 | 日記
何で仙台に東照宮?

平成30年4月24日(火)

 牡丹の花がはらはらと落ちる。

 傘をかざすこともなく、大きな

花弁一枚一枚が根元を覆う。

 桜の花びらは絨毯のようだが・・・。

 何か無念さ、無残さみたいな・・・

残滓が漂う。

 新緑もすっかり万緑近くに落ち着いて

来ている我が里山。

 今朝も仙台へ。

 仙台に東照宮?

初めはきょとん!とにかく行ってみる。

時は、 2017(平成29)年 7月12日 

お昼過ぎ到着 12:56~ 

 石灯籠の並ぶ階段をゆったり!



見事な随身門!







随身門の説明もあり。



拝殿を参拝。



 何で仙台に東照宮が?

 仙台東照宮は仙台藩二代藩主伊達忠宗が、

徳川家康を伊達家の守護神として祭るため、

慶安2年(1649年)に三代将軍徳川家光に

願い出て許しを得た。

 それから5年後の承応3年(1654年)に

本殿や唐門石鳥居等全てが完成したという。 

 徳川と伊達の絆の強さを改めて知る。

 芭蕉と曾良は、元禄2年(1689年)5月7日

(新暦6月23日)、大淀三千風門下の加右衛門

の案内で、東照宮等を訪れた。

芭蕉が訪ねたのは完成から35年後という

ことになる。

 曾良随行日記には、「七日 快晴。加衛門

(北野加之)同道ニテ権現宮(仙台東照宮)を

拝、玉田・横野を見。つゝじが岡ノ天神ヘ詣、

木の下ヘ行。薬師堂、古ヘ国分尼寺之跡也。

帰リ曇。夜ニ入、加衛門・甚兵ヘ入来。

冊尺並横物一幅づゝ翁書給。

 ほし飯一袋・わらぢ二足、加衛門持参。

翌朝、のり壱包持参。夜ニ降。」

と記されている。

仙台東照宮は氏神神社として勧請された、

全国でもほぼ例のない東照宮。

 奥の院



 御譜代町と呼ばれた伊達家とともに米沢

から移転してきた家臣の住む大町・肴町・

立町・南町・柳町・北目町・染師町・

田町の8町を氏子町に指定したという。

 氏子町は東照宮御祭礼の時に神輿を

担ぎ、山車を出すことが決められて

いた。

 それが、仙台祭だ。

 現在では、5年に一度行われており、

360年以上前に御神体をのせて江戸から

仙台まで渡御した東北最大ともいわれる

御神輿が現代に残っているという。

若い神主さんは、

「芭蕉は訪れてようですが、特に句も

詠まれなかったので、句碑はありま

せん。」

と言われたので、御朱印だけ戴くこと

にした。

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