令和4年11月16日(水)
<雄島編 3>
島の南端には、
頼賢の碑が六角形の鞘堂の中に
納められている。
頼賢堂
ここに22年間住み、
その間ついに一歩も島を出なかったという
僧の頼賢は見仏上人の再来と崇められる。
高さ3メートルの碑の表面には、
まわりに雷文と唐草が施され梵字とともに、
「奥州御島妙覚庵」
「頼賢庵主行実銘並序」
の文字が刻まれている。
頼賢の碑
頼賢の碑説明
本文は、頼賢の徳を讃えたもので、
松島の古い時代の様子も記載されている。
北の端にある「妙覚庵敷」は、
見仏上人の修行する場所(見仏堂跡)。
享保17年(1732)になって、
享保17年(1732)になって、
僧良哉が一庵を建て、
六時念仏の道場にしたいと懇願したのに応え、
瑞巌寺第105代天嶺性空が、
三万人からの布施を集め建立する。
その後、荒廃して建て直される。
最後の堂宇は瑞巌寺に移築され、
近年まで執事寮として使用されていた。
<津波の痕跡>
雄島を訪れる人は、
私を含め数名。
見応えのある島のひとつという印象。
<雄島からの絶景>
雄島から見る松島の島々も、
これまた美しい!
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