芭蕉が名付け親
令和2年4月20日(月)
今日は
『十八楼の記』を
じっくり味わう。
「美濃の国ながら川に望みて水楼
あり、
あるじを加島氏と云ふ、
伊奈波山後にたかく、乱山西に
かさなりてちかゝらず、また遠からず、
田中の寺は杉の一村にかくれ、
岸にそふ民家は竹のかこみの緑も深し、
さらし布所々に引きはへて、
右に渡し船うかぶ、里人の往かひしげく、
魚村軒をならべて網を引き、
釣をたるゝおの がさまざまも、
たゞ此楼をもてなすに似たり、
暮がたき夏の日もわするゝばかり、
入日の影も月にかはりて、
波にむすばるゝかがり火のかげ
もやゝちかうなりて、
高欄のもとに鵜飼するなど、
誠にめざましき見物なりけらし、
かの瀟湘の八のながめ、
西湖の十のさかひも、
涼風一味のうちにおもひこめたり、
若し此楼に名をいはんとならば、
十八楼ともいはまほしや
このあたり
目に見ゆるものは
皆涼し
はせを
貞享五仲夏 」
その口語訳。
十八楼女将 伊藤泰子さんの訳。
「美濃の国(岐阜)の長良川に面して、
川がよく眺められる様になっている高殿
のがある。
ここの主を賀嶋氏と云う。
金華山が高く聳えており、
低い山や高い山が西の方に重なり合って、
近くでも、遠くでもない距離に見える。
田畑の中にある寺は、杉木立の中に
ある村にあり、隠れてよく見えない。
岸に沿って建つ民家は、竹の塀の緑も
青々としている。
白く晒した布が所々に引き伸ばしてある。
右岸には渡し船が浮かんでおり、
そこら辺りに住む人の往来が激しい。
漁村が沢山あり、漁師が魚捕りの網を
曳いたり、釣をたらして漁をしている。
そのような人々が忙しくそれぞれ働いて
いる光景も、私のお邪魔している水楼
(川に面して建てられている高い建物)
でも同じで、皆が忙しく働いていて、
私をもてなしてくれている。
やがて日が暮れてゆき、
夏の日が長いのも忘れる位に日が沈むと、
すぐに月が出て、夕日の影が川面の波に
写っている。
鵜飼の篝火が近くに見えてきて、
私のいる高い建物の下で鵜飼をすると
云う、
本当に珍しい見物ができたことである。
かの有名な中国の瀟湘八つの景色と、
西湖の十の地も、すがすがしいこの景色の
中にあるように思われる。
私のいるこの建物に名前を付けるなら、
十八楼とでも本当にいいたい事だなあ。
このあたり
目に見ゆるものは
皆涼し
はせを
この水楼からの景色は野も川も森も村々も
遠い山も総てがすがすがしいことよ。」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます