貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

まだあるという大山の芭蕉句碑

2019-06-30 09:15:23 | 日記

まだあるという大山の芭蕉句碑

令和元年6月30日

 6月も大晦日。水無月とも

余すところ十数時間。

 この頃は一日はゆったり、

1週間はあっという間、

そして、1ヶ月は「えっ、もう!」

というのが実感?

 時の流れを感じる感覚は

人生とともに変化していく。

 これもまた楽しからずや!

 

 「大山」には、この他三基の芭蕉句碑

があることもわかる。

「花盛り 山は日ごろの 

     朝ぼらけ」

とうふ坂にあるという。

「観音の 甍見やりつ 

      花の雲」 

は、来迎院前。

 この四基は参道や境内にあるが、

「雲雀より 上にやすらふ 

       峠かな」

の句碑は、秦野に抜ける山道の

「いより峠」という所にあるという。

 かなりの急坂で、標識も看板も

なく、何度も行って見つけられ

ない人もいるという。

 さて、大山寺の由緒。

 大山寺は、奈良の東大寺を開いた

良弁僧正が天平勝宝7年(755)に

開山。

 行基菩薩の高弟である光増和尚は

開山良弁僧正を継いで、大山寺二世

となり、大山全域を開き、

山の中腹に諸堂を建立。

 その後、徳一菩薩の招きにより、

大山寺第三世として弘法大師が当山

に入り、数々の霊所が開く。

 大師が錫杖を立てると泉が湧いて

井戸となり、また自らの爪で一夜に

して岩塊に地蔵尊を謹刻して鎮魂と

なすなど、大山七不思議と称される

霊地信仰を確立する。

 また、日本古来の信仰を大切にし、

尊重すべきとのお大師様のおことば

により、山上の石尊権現を整備し、

伽藍内に社殿を設けるなど、

神仏共存を心掛け手厚く神社を

保護。

 元慶8年には、天台宗の慈覚大師

の高弟・安然が大山寺第五世として

入山。

 伽藍を再興し、華厳・真言・天台の

八宗兼学の道場とする。

 これより大山は相模国の国御岳たる

丹沢山系の中心道場として各地に

知られ、別当八大坊をはじめとする

僧坊十八ケ院末寺三、御師三百坊

の霊山として栄える。

 しかし、明治初年の廃仏毀釈により、

現阿夫利神社下社のある場所から

現在の場所に移る。

 関東一円を初め日本中の強い信仰

に支えられ、幸いにもご本尊を初め

とする数々の寺宝は破壊を免れる。

 明治期に数多くの信者たちの寄進

によって現在の位置に本堂をはじめ

数々の伽藍が再興され現在に至る。

 大山寺はまさに多くの信者に支え

られた一大霊地。

 次回は、大山登山は、男道を通り、

頂上の阿夫利神社参拝しようかな

と、またこれからの楽しみになる。


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