令和6年5月23日(木)
江東区: 大島(おおじま)稲荷神社
江東区を横切る小名木(ぎ)川。
江東区を横切る小名木(ぎ)川。
この川は天正18年(1590)、
江戸に入府した徳川家康が、
千葉県行徳の塩を運ぶため、
小名木四郎兵衛に命じて
水路の開削をさせる。
それに因んで
「小名木川」と命名。
慶安年間(1648 - 1651)、
慶安年間(1648 - 1651)、
小名木川近くの海辺が
度々津波に見舞われて、
耕地が荒廃、苦しむ住民。
伏見稲荷大社の分霊を奉遷し、
産土神として奉ったのに始まる。
元禄5年(1692)9月29日、
元禄5年(1692)9月29日、
芭蕉が深川から小名木川を下って
門弟の桐奚宅を訪ねる途中で、
当社を参拝。
境内には「女木塚」が建立され、
<女木塚>
芭蕉翁像と
参拝で詠んだ句等整備されている。
<女木塚碑>
句は、
「秋に添て
「秋に添て
行はや末ハ
小松川」 。
<その説明>
<芭蕉句碑の説明>
芭蕉像は、宗匠となり、
蕉風を確立したイメージ。
<芭蕉翁像>
後に、
近くにある愛宕山勝智院境内の
愛宕神社と、
柳川藩下屋敷の邸内社であった
太郎稲荷を合祀する。
<社殿>
合祀前の愛宕神社には
享和3年(1803)から1年間、
小林一茶が居住していたという。
<阿吽像>