And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

発狂したドストエフスキー

2015-01-30 23:20:08 | 日記
ドストエフスキーの「白痴」と書こうとして白痴が変換されないと前に書いたが、フレドリック・ブラウンの短編集も「さあ、気ちがいになりなさい」のまま、ゴダールの映画も「気狂いピエロ」のままとそういう例は結構あるが、それらを現代の適切な言葉に置き換えてとなるとおかしな題名になってしまうだろう。「罪と罰」で老婆を・・これは差別用語だから年老いた女性をだとか、「馬鹿が戦車でやって来る」の馬鹿も差別用語だろうとか言い出すとすべてに当てはまってしまう。聖書も重い皮膚病だとか目の不自由なとか言葉を直しているが、前の言葉で読むこと自体が差別なのだろうか。昔のしかも文化などに関わるものは無理に直す必要ないと思うのだが。逆に猥褻なものが緩和され「ユリシーズ」を卑猥な小説と今言う人いないだろうし、「チャタレイ夫人の恋人」を卑猥だから発売禁止にしろとPTAも言わないだろう。言論の自由だけでなく、すべての自由は好き勝手できるという意味ではなく何に対しても責任を持たなければならないというのは当たり前だ。「鬼警部アイアンサイド」で警部が足が戻るならお前のように真っ黒の肌になってもいいという科白があったが、人種差別的なものもたくさんある。今なら車椅子でという設定が差別とか言われかねない。今もって公式に出版できない深沢七郎の「風流夢譚」や大江健三郎の「政治少年死す」などあるが、戦後自由に発言できる国に生まれたのは幸運というより神はすべての人の前で公平でないのは創世記からあること。未だBorn At The Right Timeと言えない国で育ち死んでいく人もいる。ベルリンの壁崩壊を見ることのできた人、シュタージに捕らえられ出ることのできなかった人などさまざま。自分の関わる小さな世界ですらいろいろな人間がいる。好き勝手に自分の思うところをネットで書き込める時代だ。そんな時代になったからこそ差別用語として禁止することがより必要になってきたのだろう。でもいやだな、この間DVDでゴダールの精神に病を持ったピエロ観たよなんて言うの。