And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

ポドゴルヌイの踊り

2015-01-20 22:27:13 | 日記
学生の時ドストエフスキーの「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」をあっという間に読み切った。もう何十年も前の話であるし記憶というのは自分のいいように変えられていることも多いので思い起こしてこうだったと言えないこともあるが、面白く読み切った覚えがある。ただ「悪霊」だけがわからなくて何年か前に読み返したら、よくドストエフスキー読んでたなと思った。最初に読んだのが「未成年」。「白痴」は小説より黒澤の映画が印象的だった。札幌を舞台に第2回雪まつりが映っているのが興味深く、それより原作より面白いと思った。と書いていたら白痴が変換できない。atokでもマイクロソフトでも。差別用語なのだろうか。そうすると小説の題名になっているのにそれは変わっていないというのもおかしい。小説の題名が変換できないのは面倒だ。聖書も差別用語は訂正されているが、昔の映画では差別用語連呼みたいのも当然ある。これからは当然としても過去の小説、映画などは無理に訂正する必要あるかと思う。どこで線を引っ張るか問題で、微妙な話題をこんなブログで書くことではないが変換できないのはおかしくないか。それでドストエフスキー。今でも嫌いではない。トルストイよりずっと中身がある。だけど今でも「罪と罰」を昔のように読めるだろうか。それは他の小説も一緒。カミュの「異邦人」を何年か後に読み返したら、こんな小説だったのかとがっかりした。あの太陽は30歳過ぎると色が変わる。若いとき面白くなくて腹立ったレビ記が面白くなったり。若いときも今も好きでない、でも気になるフォークナー。未だに読まない森鴎外。影響されたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」よりずっと面白かった北杜夫の「楡家の人々」。ブレッソンが「白夜」を現代に置き換えて映画化したのだけど、どういうわけかDVDはおろかビデオにもLDにもなっていない。ドストエフスキーを以前より面白く読めるとしたら、昔読まなかった聖書を今は少しは知ってること。小説でも出てくる議論はロシア人特有だろうがドストエフスキーは日本ドラマに近い湿気がある。思い悩まないアメリカ人にはなく、ドイツ人の思索とも違った共通のものが。と10年以上読んでいないドストエフスキーのことを書くのは、あらすじだけ読んで読書感想文を書く小学生のようだと引け目を感じてきた。