And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

空のあなたの道へ

2015-01-15 08:50:24 | 日記
最近若者さえテレビ離れが多いという。つい最近まで巨人戦が毎日放映され、一昔前はプロレスがゴールデンタイムに放映されていたのが嘘のようだ。戦後娯楽といえば映画くらいだったのがテレビが出てきて映画会社が次々つぶれた。小さな映画館こそ淘汰されてしまったが、また映画が盛り返しているのかもしれない。溝口健二が自分の気に入る雲が出るまで撮影行わないとか、国宝の壺を持ってこいとスタッフに指示しただとか、溝口に限らずその頃の映画監督は湯水のように金を使って好き勝手言っても通用した。それだけ投資しても儲かったのだ。それがハリウッドとなれば桁違いのセットを組んだりできたのも当たり前か。しかし無名監督はそういかず少ない予算でプロデューサーの言いなりで作るしかない。周防正行だって最初はピンク映画の監督からスタートだったが、その中で小津を思わせるショットを入れて自分を主張した。スタンリー・キューブリックだって「スパルタカス」ではプロデューサー、カーク・ダグラスの言いなりで作ったので、あれは俺の作品ではないようなことをいってる。ベルイマンも軽いタッチの映画「夏の夜は三たび微笑む」でヒットしたおかげで「第七の封印」から始まる深刻で難解な映画を作れた。それは「アニーホール」がヒットして「インテリア」を作ったウッディ・アレンも同じ。コメディアンや歌手だって映画作れるのだから金さえあったら誰でも作れる。逆に金なくて細々映画作ってるのがすべて才能あるとは限らない。マイナーな映画からいいのを探そうと思うのは知らない作曲家ばかりの現代音楽のCDを買っていいのを探そうというのと同じで、ほぼハズレばかりに出会うこととなる。だから文学のように処女作に向かって前進するみたいなことはほとんどない。自分が思いつくのはブニュエルの「アンダルシアの犬」くらいか。だいたいがどの名監督でも何作か撮ってから傑作と評価が高い作品が出てくる。ヴィスコンティのように晩年になってから傑作連発も珍しい。大抵はフェリーニ、黒澤のようにゴミ連発が多いのだが。全部が面白いと思うのがヒッチコック。初期の作品すら観だしたら最後まで観てしまう。ベルイマン、ブニュエルは好きだという強い気持ちがあっても何本かはたいしたことないなというのが混ざっている。昔文庫で洋画、日本映画それぞれベスト150が出ていて、それを見ながら上位から1本ずつ観ていけばそれなりに楽しめるのだが、CGばかりで最近の映画はつまらなくなったとはいえ新しい映画を映画館で観るのが本当の楽しみだろう。だが今日も家にこもって古い映画のことばかり考えている。