マキペディア(発行人・牧野紀之)

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物質代謝、der Stoffwechsel(新陳代謝)

2011年12月28日 | ハ行
 それでは、労働における自然的な関係とは何だろうか。マルクスは言う。「労働はまず第1に、人間と自然との間の一過程である。この過程で人間は自分と自然との物質代謝を自分自身の行為によって媒介し、規制し、制御するのである。人間は自然素材にたいして彼自身1つの自然力として相対する」。

 人間も生物の1種として、自然との間に同化と異化の物質代謝を行なっている。これを生物的物質代謝と呼ぼう。人間が労働し始めることによって動物と異なるのは、生物的物質代謝をし始めることではなく、この物質代謝を、直接目の前に見いだされるものとの間ではなく、それを加工し、変形して、媒介して行なうようになる点にある。

 この媒介とは何か。労働である。だからマルクスは、人間は自分自身の行為(労働)によって自分と自然との物質代謝(生物的物質代謝)を媒介すると言ったのである。しかし、労働といえども無から有を生むのではない。「労働は素材的富の父であり、大地はその母である」。あるいはまた、「人間は、その生産において、ただ自然がやるとおりにやることができるだけである。すなわち、ただ素材の形態を変えることができるだけである」。しかし、これによって、労働対象は使用価値に変わるのである。

 この変化はある意味で、その労働対象の同化と異化、つまり物質代謝と呼んでよい。労働対象が自分に必要なものを同化し、不必要なものを異化して使用価値になるからである。異化されたものがいわゆる産業廃棄物である。その意味で労働過程を「労働的物質代謝」と呼ぼう。この用語法を使うと、労働とは生物的物質代謝を媒介する労働的物質代謝のことである。これが自然的な関係としての労働である。

 それでは、社会的な関係としての労働とは何か。マルクス・エンゲルスは先の個所で、社会的とは「いくたりかの個人の協働」と定義している。「生産のさい人間たちは、自然に働らきかけるばかりではなく、また互いに働らきかけあう。彼らは一定の仕方で共同して活動し、その活動を互いに交換するということによってのみ生産する」。

 このもつとも広い意味での「活動の交換、共同の活動」をマルクスは「社会的分業」と呼んでいる。

 マルクスの「社会的分業」を工場内分業と対置された意味に取る人が多いが、誤解である。工場内分業と対置されるのは社会内分業である。マルクスは言う。「たんに労働そのものだけを見るならば、農業、工業というような大きな諸部門への社会的生産の分割を普遍的分業、これらの生産部門の種や亜種への区別を特殊的分業、そして1つの作業場内の分業を個別的分業と呼ぶことができる」。

 これらすべてを総称するのが社会的分業という語である。だからこそマルクスは、「社会的分業は商品生産の存在条件である。と言ってもしかし、商品生産が逆に社会的分業の存在条件なのではない」という命題の証拠として、「どの工場でも労働は体系的に分割されているが、この分割は労働者たちが彼らの個別的生産物を交換することによって媒介されていない」という事実を指摘したのである。ここでは明らかに工場内分業が社会的分業とされている。すなわち社会的分業とは、「多種多様な属、種、科、亜種、変種を異にする有用労働の総体」である。
 この社会的分業の生産物が商品になるのは、それが「ただ、独立して行なわれていて、互いに依存しあっていない私的労働の生産物である場合だけである」。そしてマルクスは実に、この「私的個人の特殊な生産物の交換」を「社会的物質代謝」と呼んでいるのである。

 私はマルクスのこの概念を拡張して、すべての社会的分業における何らかの意味での生産物の交換を「社会的物質代謝」と呼びたい。そうすることによって我々は、マルクスの言う生産関係の外延に一致した社会的物質代謝概念を持つことができるからである。

 我々はここに人間における3つの物質代謝を持った。生物的、労働的、社会的物質代謝である。この用語で捉え直すと、マルクスが人間史の根源的契機とした3点はどうなるだろうか。人間は生物的物質代謝を直接的に行なわず、それを労働的物質代謝と社会的物質代謝によって媒介する、ということになるのである。このことは直接的には、人間の個体維持に関係しているだけだが、それはさらに生殖=家族の面にも変化をもたらすのである。マルクスはこれを人口法則の歴史性として、『資本論』でも取り上げているが、詳述しない。(牧野紀之「労働と社会」第3章第1節第1項)

  参考

 01、社会的な物質代謝、即ち私的個人がその特殊な生産物を交換すること(マルエン全集第13巻37頁)

 02、物質代謝そのものは生命がなくてもあり得る。化学には、原料が十分に供給されれば自己固有の諸条件をつねに再生産し、しかもその時、或る物体がその過程の担い手になるような、そういう1系列の過程がある。(マルエン全集第20巻75頁)

 03、無機物においても又そのような物質代謝はあり得るし、長い期間を取ればどこにでも見られるものである。なぜなら、化学的な作用はたとえ極めてゆっくりしたものであろうと、ともかく至る所に見られるからである。

 しかし、(有機物の物質代謝と無機物のそれとの)違いは、無機物にあってはそれは無機物を破壊して他の物にしてしまうのに、有機物ではむしろそれは存在の不可欠な条件である、という点である。(マルエン全集第20巻560頁)

 感想・ここまで物質代謝概念を広げるのは意味がないと思います。

 04、[生物的]物質代謝では物質を外から摂取するのだが、その時その摂取される物質の化学的な組成は変化し、(それによって)その物質はその有機体に同化され、(同化されなかった)残りはその有機体自身の生命過程によって分解され、作り出された産物と一緒に排出される。(マルエン全集第20巻560頁)

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