植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

カキクケコの漢字 いい感じ

2022年07月26日 | 雑感
このところ「佳き事」が多いのです。

三男の結婚式披露宴の出席者全員に、自分で彫った印を贈ろうと思っております。次男が横浜で今春挙式した時、一応好評であったのです。自画自賛でありますが、篆刻の腕は、刻する印の数に比例して徐々にそして確実に上達していると思います。今回は、寿・福というおめでたい漢字一文字に加え、出席者さんたちの人物像や年齢などに応じていくつか趣向を凝らした篆刻印を用意しています。

カ「嘉」、めでたくりっぱなこと。
ワタシの初孫は嘉介と言う名前であります。いつの間にか小学校4年生、親がトライアスロンを始めさせて、今年で2回目の大会にも出ているようです。早生まれでひ弱な細身の子供でしたが、運動をするようになって見違えるように体幹がしっかりし、たくましくなっていました。彼の為に「嘉」の印を彫りました。


カ「華・花」
今朝、夜に咲き朝には萎れる儚い花「満月美人」の撮影をするために3時起きでした。株が1mくらいまで育たないと開花せず、1年に一度しか咲かない、一夜限りという花を見るためにずっと待ってきたのです。株が充実すればあと数回は咲いてくれるはずなのです。

また、さらに嬉しいことに遂に「地湧金蓮(チユウキンレン)」の花蕾が付きました。苦節6年であります。7年前に花付き鉢1万円と奮発しました。一度咲くと半年以上咲き続けるという珍しい花で、40年ほど前に花博で日本に初登場し中国雲南省原産、芭蕉科です。購入以後花がつかず、3年前に「株分け」しました。
株分けして一つは地植えしましたが、これも丸まる3年間葉が大きく茂るのみで花が咲かなかったのです。しかし先日ついに黄色く輝く花蕾を発見しました。欣喜雀躍、辛抱強く育てた甲斐がありました。これから花が開くが待ち遠しいものです。


キ「喜・祈」。九州で闘病中の兄が、このブログに「いいね」を押してくれました。ここ数年糖尿病からがんを発症、更に感染症にかかって入院し、一時は食事がとれなくなってしまいました。LINEも既読にならない事が何日も続いたり、食事を吐き戻してしまうとか、心配な状態が半年続いていたのですが、ようやくパンを3食食べていて体重も増え始めたというのです。身内の重篤な病気が快方に向かう、こんな嬉しいことがありましょうか。一年でも長く生きてほしいと願う「祈」ばかりであります

ク「苦」。生きていていい事ばかりではありません。むしろ悪い事苦しい事の方が多いくらいであります。兄の病気だけでなく、私自身も持病を抱え、ひどい腰痛に苦しみ、長年の酷使による手指の痛みもこのところ悪化して、湿布薬も多用するようになりました。今年生まれたメダカの稚魚が大量死しました。自治会他で厄介な人間関係に直面し、自分の時間を大きく雑用公用に割くようになっています。趣味三昧、書道と篆刻に埋没で来た時間を大幅に失っています。しかし、痛いかゆいは生きてる証拠、悲しみも人生の一つなのでしょう。

ケ「慶」。冒頭に書いた様に、三男がやっと結婚式を挙げます。不器用で出来が悪いのに子供のころから苦学し、人の何倍も勉強してやっと大学を卒業しても、就職先ではうまくいかず大変な思いをしてきたのをつぶさに見てきました。彼の苦しみや悩みの半分も理解してやれなかった。それが佳き人に巡り合い、新たな人生をスタートさせるのです。これを慶事と言わずになんといいましょう。10月には鎌倉で挙式、そのために、全霊を傾け40個の印を彫っています。

コ「幸」。私自身、様々な転機があり、数えきれないほどの失敗や後悔をし、いくつかの試練、身内の死などを経験してきました。しかし、いい伴侶と3人の子供に恵まれ、ここまでまがりなりにまっとうな生き方をしてきました。今、いくつかの悩みや懸案事項はありますが、畢竟大変「幸せ」であるとしみじみ思うのです。

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エビアン選手権 しぶこ残念

2022年07月25日 | スポーツ
女子ゴルフのメジャー大会の一つ、「エビアン選手権 」が終わりました。かつてメジャー大会になる前女子ゴルフを牽引した宮里藍(155)ちゃんが2回優勝を飾った、日本人にとってなじみが深いフランスでの大会であります。日本からはLPGAに出続けロレックスランキング7位の畑岡奈紗(158)、これにゴールデンエイジと言われる、若手ゴルファー、一昨年全英女子オープン 優勝者の我らがしぶこ、こと渋野日向子(167)、昨年エビアンで4位に入った古江彩佳(153)や西村優菜(150)、 ジャンボ尾崎ゴルフアカデミーの1期生 笹生優花(166)西郷真央 (156) などのいずれ劣らぬ実力者が参戦しました。( )内は身長であります。

渋野は残念ながら、130人ほどの選手の中でほぼビリで予選落ちしました。最近のツアー7試合で5回の予選落ち、体調不良とかいろいろですが、要はスイング改造の失敗にあります。かつて全英で優勝した時、極端なハンドダウン(前傾が強く、長い手を下に下ろすと、腕とシャフトがくの字に曲がる角度がきついスイングでした。体が柔らかく体幹が強いので、多少くせのある打ち方でも強く正確なショットを放つことが出来ていました。

ところが、その後さらなる飛躍と飛距離の向上を目指してスイング修正を図ったのがいけませんでした。一説によると石川遼選手のアドバイスで、シャロースイングを目指したのです。浅いトップでクラブヘッドの位置が低く、横殴りに近い打ち方で、強く低いドローボールが打てると、男子選手の間で人気というのです。

しかし、ワタシ達素人から見てもこの打ち方は、ミスショットを生みやすくタイミングがゆっくりと打つ女子選手には不向きであります。男子ならば筋力が凄いので浅く早いバックスイングで切り返すことが出来ますは、女子は大きくゆっくりクラブを引き、大きなスイングアークと遠心力でボールを飛ばします。

結果として、早く切り返すために、ためがなく間が取れずショットの安定感を失いました。またヘッドが立って被ってくるのでボールを捕まえても、ドロー回転が強くなるために、大きくフックする球筋になります。ゴルフでグリーンに乗せるためにやってはいけないのが、フックボールを打つことで距離が出すぎ、ボールが止まらないために奥にオーバーさせたり極端に左に曲げてトラブルになります。

やっと乗せても、狙ったところにボールがおけなければ、当然パットも打ちにくいラインや長い距離が残ります。アプローチやパットも精度が落ち、そのうち自分に自信がなくなって、思い切りの悪いショットになってきました。その結果が今如実に表れているのです。

冒頭の選手説明に( )で身長を記したのは、意味があります。渋野選手は日本の女子にしては背が高いという利点があります。身長が高ければ上からボールを叩く縦振りが出来ます。ゴルフの正確性の決め手の一つが上から真っすぐクラブが下りることで真っすぐ曲がらないショットが打てるということです。身長があれば、きれいなバックスピンが掛けられ方向性も距離感も合わせやすくなります。今からでも遅くないのです。前かがみでわざわざシャロースイングにしないで、背筋を伸ばして大きく確り上からダウンスイングするように変えるべきだと思いますが。

一方、小柄な日本人選手たちは、そのハンディをものともせず、上位に食い込みました。 優勝したヘンダーソン選手は167㎝、3位シガンダ・Cハル選手なども170㎝前後、Nコルダに至っては178㎝であります。 プラチナ世代のホープと目される20歳の西郷真央さんは、そうした外国人大型選手の中で堂々3位タイでホールアウトしました。はたから見たら大人と子供であります。当然体の力やスイングの速さも比較にならず、飛距離では後れを取りました。それでも強い精神力と正確なパッティングで上位に食い込んだのです。古江彩佳、西村優菜、畑岡奈紗各選手も堂々20位以内に残ったのです。みんな150㎝代の小柄な女子です。

ゴルフに限らず大方の球技は体が大きい方が有利です。テレビの解説では、背が低い分、ボールもカップも近く大きく見えて優利などと言っていましたが、冗談がきつい(笑)。小さくても技術や工夫で克服できるのはその通りで、この大会もそれを示しました。しかし、その3位の西郷さんも、最終日アイアンを2度ばかり大きくフックさせて、OBやトラブルになりました。特にエビアンのようなフェアウエーの傾斜がきついコースでは、左右に曲げるショットが増えます。前上がりのライならば、相当気をつけてもフックボールになるので、渋野選手はまんまとそれにはまってしまいました。

渋野選手は、身長167㎝と大変恵まれています。また、世界でもとても人気の高い選手であります。気さくで笑みを絶やしません。あっけらかんとした性格は、世界共通で好かれるのでしょう。私設ファンクラブの一人として、彼女にはいいコーチがついて教えて貰いたいと思うのです。
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親の因果が子に報い アブラムシと蟻

2022年07月24日 | 時事
仏教用語で誰でも知っている言葉の一つが「因果応報」であります。すべての結果には必ず原因がある 。言い換えれば自分やあるいは近親者や先祖のしでかしたことは、それが善いことであれ悪事であれ、いずれその報いがあるという教えです。

家内によると、その報いは「弱いものに出る」のだそうです。つまり極悪非道な人間は、邪悪が半端ないので神仏も手が出せない代わりに、その子供や孫に障りが出る、という意味になります。親の因果が子に報い、という諺・慣用句はそれを表しておりますな。今の宗教家はそれを引き合いにして、あんたの先祖が悪いことをしたから、寄付しなさい・壷を買いなさいとか、脅かしお金を巻きあげるようですが。

安倍さんが、非業の死を遂げた当初「民主主義を踏みにじる」暴漢による暗殺と喧伝されました。自民党は選挙運動に使ったのです。かつての宰相がそうであったように、偉大な指導者であるが故、国に仕え正義を通そうとして斃れたと仕立てようとしたのです。しかし、実際は、親が身ぐるみはがされ破産するまでに至った新興宗教「世界統一教」に親兄弟・財産を失った「ある意味まっとうな行動や思考」をとった息子に殺されることになりました。

彼の行為を擁護支持する理由は毫もありません。しかし、彼が金銭的にも精神的にも追い詰められ、教会の指導者の代わりに狙った相手は、ある意味最も効果があり合理的とさえ思える標的でした。日本にその宗教が深く進行し、多くの被害者を出しても勢力を広げたのに大きく関わったのが安倍さんの祖父・岸元首相であったからです。安倍さんは祖父の因果をもろに食ったという事になるのでしょうか。結果として、その「宗教団体」から献金を受け、信者からの支援・選挙協力を受けてきた与党の議員が数多くいるという事に、多くの国民が愕然とし、事の深刻さを思い知った、それが山上氏の狙いであったともいえます。

長きにわたってタブー視され、ほとんど社会問題として取り上げられることが無かったのは、安倍一族や自民党が、統一教会を保護しアブラムシに集る蟻のような存在であったからなのです。アブラムシは植物の弱い柔らかい部分(花芽、新葉等)に憑りつきコロニーを作り、樹液や花のエキスを吸い取ります。のみならず様々なウィルス・病原菌を植物に移し、徐々に植物は弱っていきます。蟻はそのアブラムシが分泌する「蜜」を狙って集まり、アブラムシを捕食する昆虫や寄生虫から守ろうとするのです。

これは、植物(国民)の弱い部分を狙って搾り取り、いずれ破滅させるアブラムシ(統一教会)に、甘い蜜(献金と票=排泄物)を貰おうと集まる蟻(自民党議員)が、教会を保護するという構図であります。国会議員がどれだけ統一教会から金を貰い、選挙運動してもらっていたか、徐々に明らかになっていますが残念ながらそれは、まだ自民党が強大なために、うやむやにされ表層部分に終わるでしょう。我が国では、「創価学会」という宗教団体が政治の主導権を握っているというもう一つの構造的な病巣もあります。今回の安倍さんの事件には一切無言を貫いているのがその証拠であります。

わが国のマスコミも政治家も、日本国憲法 20条 「信教の自由」で規制できないと防御線を張ります。また、一方で「政教分離」というありもしないお題目を唱えたりもします。

信教・宗教は自由で良かろう、それは世界の多くに共通する考えであり、宗教戦争を避ける知恵でもあります。だからといって、インチキ宗教団体を野放しにしていいはずがありません。あのオウム教団の一連の犯罪を見る時、それが両刃の刃であることは明らかであります。今でも「名前を変えたオウム真理教=ひかりの輪・アレフ」の信者は多くいるようです。それだけでは無く、銭湯の旦那さんに神が降臨したという「大山ネズの命神示教会 」、エホバの証人、大川隆法の幸福の科学、芸能人が多く入会するという「真如苑」など枚挙にいとまがありません。

これらのカルトといっていいような教団の共通点は特定の個人を神格化する、多額のお布施・寄付を強要する、精神的に不安にさせ日常の行動制限を強いるなどが挙げられます。本来は心の弱い人救いを求めている人たちを支え衆生を救うことが役割であったはずの宗教が、お金を吸い上げるための巨大な集金マシンとなっていると思えるのです。

ワタシは、信教や信条・思想の自由を否定するものではありません。しかし、宗教団体そのものは、公序良俗に反しない様、一定の要件を具備して許認可事項を設け、会計や運営を開示させる義務を負わせるべきだと思います。少なくとも人々から金を巻き上げて、中心のグループが非課税で収入を独り占めするという禍々しきシステムを排し、宗教法人と言えど「課税対象団体」とすべきだと思います。それと、信教の自由は矛盾しません。

もっとも、憲法20条の改正やそうした規制をを法制化しようと思ったら「仏教団体」「神社団体」から猛烈な反発を食らうでしょうから、まず実現の見込みはありません。自民党は公明党の言いなりですし。

そういう意味では、安倍さんのような権力者で強固な改憲論者が居ても良かったのですが、死んでしまいました。もっとも彼は、自衛隊を憲法で認める事しか考えてなかったし、統一教会から鼻薬を貰っていたらしいのでやるわけはありません。
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コロナ無くすに刃物は要らぬ 

2022年07月23日 | コロナ
予想通りというべきかあるいは予想以上に、コロナが急拡大しています。
株はオミクロンBA5という変異株らしいですが、その前のものと混在していて、一番感染力が強いBA5に置き換わっているのです。

その特徴は、過去の変異株に比べて①感染力が最強 ②無症状は少なく発熱とせき、のどの痛みがある ③今までのオミクロンと違って肺炎の症状が出る ④感染から発症・陰性化までの期間が短くだいたい1週間くらい ⑥既存のワクチン接種が効かない ⑦今までのコロナに一度感染しても、再度感染する、というようなもののようです。

ただいまの所、政府は重症化や死亡率が低いので、経済を回し日常的な生活を優先する、という選択をしています。体調に異変があったらPCR検査を受ける、陽性ならば自宅療養する、重症化したら救急車を呼べ、と簡単に言っていますが、PCR検査キットや検査能力が絶対的に不足していて、都市部では検査もままならないそうです。発熱外来にせよ一般病院にせよ、保健所などにも電話がつながらないのです。また、体調不良で感染が疑われても、仕事や日常生活をするという人が増えているようです。体が動ければもう保健所や病院に連絡せず、外出するのです。

救急車は、熱中症が増えていてコロナも急増で出ずっぱり、出動しようにも車が間に合わないのだそうです。そもそもコロナの疑いでの救急要請は、結局受け入れ病院が見つからず、自宅の舞い戻る破目になるのだとか。

つまり、お上は絵に描いた餅で腹を満たせといっているのに等しいのです。

コロナが出始めた頃、何人かの専門家がこれは3,4年かかると言っていたのを思い出します。過去のパンデミックのパターンで言えば数年で自然消滅しているという論拠でした。そこにワタシが疑問を抱いたのは、今回のコロナが自然発生したものでは無く、地球上に存在しなかったウィルスを中国の研究所でわざわざ作ったということです。恐らく人類が経験したことがない厄介で危険な代物である、と想像しました。

また、100年以上前の疫病の世界と決定的な違いは、人口(密度)であります。世界人口が20億人に満たない時代から80億人に増加した今、流行り病の感染確率は4倍、しかも交通機関の発達国際的な人流の拡大によってその何倍も感染する可能性が高まっています。従って今までの疫学的常識や経験則は通用しないのです。

もう一つの懸念が、更なる変異があるという危険です。感染率が強まったり、既存の抗体がきかない新種の変異株が出るのに、致死率・重症化率が高い変異株が出ないという理屈は通用しません。変異株の出現メカニズムは知りませんが、一般論として、細胞が分裂を繰り返すとき一定の確率で「突然変異」が起きるのです。一人の人体でそれが数億回も繰り返される、そして、それがまた誰かに移って変異するのです。その繰り返しならば、感染力が強い(猛烈な勢いで感染者が増える)コロナが更に進化するリスクも増していく、と考えるべきであります。
 
つまり、風邪のような症状で、重症化する確率が低いのでマスクして手洗いして、あとは感染するのは仕方ないという姿勢は油断を生み、将来とんでもない変異株の出現を許すことに繋がりかねないということなのです。

そこでどうすればいいか、世界の偉い学者や医者が考えてもその防護や解決策を導き出せません。そんなものがワタシに分かるはずもないのです。

しかし、極めて単純な原理が、コロナは人体から外に出れば1,2日で死滅する。現在何人感染者がいようが、その人達が次に誰にもうつさなければ1週間で本人は「陰性」となり、この世の中からコロナが消えて無くなるという動かしようのない論理です。これを実践したのが中国であります。

コロナのたすきリレーを断ち切るには、1週間完全に人同士の接触を断つ、という社会実験を行えないものか、と考えます。例えば海で隔てられた四国だけで1週間食糧備蓄をし、食糧・医療・介護などの例外的緊急的な職種だけを除いて、一切の外出を禁じる(ロックダウン)をすることは可能ではなかろうかと思うのです。

コロナを殺すには刃物も薬も要りません。島国の日本人のみんなが1週間我慢して家に居ることだと思うのですが、これって絵空事なんでしょうか。


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お寺の印を買ったり彫ったり これって功徳になるのか

2022年07月22日 | 篆刻
先日ヤフオクで、例によって古い篆刻印材を落札しました。いずれも紐(持ち手の飾り彫り)がある箱入りの古印で、5個で1500円、つまり骨董的価値や印材としての希少性もない一般的なもの、と判断されてほとんど競争も無く、とても安く落札できたのです。

山ほど印材を持っているのに、変哲もない印を落札した理由は二つ、印面文字が写真に出ていて「〇〇山常〇院」と読み取れたことと、西泠印社の側款のある印材が含まれていたからであります。出品者から「寺院初出し」の説明書きがあり、同じ人から、他にもお寺からの古い木彫りの仏像やら仏具など出品物が多数ありました。

静岡県にある実在する仏寺で、日蓮上人が宿泊したという法華宗の古刹であります。そこでこうした品々が出品されるとしたら、世代交代があって古い品を処分したか廃寺になったか、あるいは資金繰りに窮して売り食いしたか(失礼)、かもしれません。いずれにせよ、間接的にでも仏教関係者にお金が回るので、お布施と思えばよろしかろうと思います。

お寺さんの印ならば、専門家や書道家さんの手になるものである可能性が高く、印材もホームセンターに置いている流通品の安物に彫るわけもありませんから、ある程度の値打ちものに相違ないと見たのであります。事実、このワタシも、先祖のお墓がある菩提寺のお坊さんに頼まれて彫った印は、失礼のないように、芙蓉石という上物の印材を使いました。そういうものであります。

箱代だけで、新品なら1個500円以上します。紐がある印材ならば、安い石でも500円から1,000円程度になるので、お買い得であります。また、中国の書道・篆刻の聖地・印泥の本家である西泠印社が側款を刻んでいるなら、悪いものでは無かろうという読みであります。いずれにせよ届くのを楽しみにしているのであります。

そこで、ふと考えたのが例によって「押し彫り(頼まれもしないのに勝手に彫って押し付ける)」です。お寺の名前を彫って上げようというお節介でありますな。ここからは、だいぶ前からお上人と若坊さん双方から「世話人」になってくれと頼まれていて、固辞しているのです。本当は「危うきに近寄らず」出来るだけ疎遠になっているのが賢明なのですが、来週は親戚の法事(家内の従兄弟の3回忌)があって嫌でも顔を合わせることになるのです。

まぁいいか、いずれ世話になることだし、お坊さんに良くして罰が当たることは無かろうと思います。高野山真言宗 「海詠山長楽寺」であります。

石は旧巴林凍石8分で、中には童子が彫られております。買えば5千円前後でしょうか。数千万円とか数百万円の壷を買わされるといったどこかの宗教とは違って、地元のお寺さんにわずかでも寄進するくらいならば、家人に迷惑を掛けることもありますまい。因みにワタシはばりばりの無信教で、若い頃から罰当たり、と揶揄されておりました(笑)
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