すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

「どこからプレスをかけるのか?」問題にハリルはキッチリ結論を出した

2017-11-16 08:25:30 | サッカー戦術論
ベルギー戦で修正されたプレスに行く位置

 それは日本代表で歴代随一の「無能監督」だったジーコ率いる日本代表の練習中に起こった。「どこからプレスをかけるのか?」をめぐり中田ヒデと福西が練習中に口論になったのだ。

 アタッカーである中田は前から行きたい。だがセントラルMFの福西は守備のバランスを考え、前からでなく安全策を取りミドルブロックを作りたいーー。そんな行き違いだったように思う。そのうちに監督のジーコまで論争に介入してきたが、無能なジーコは何の役にも立たずさっさと現場放棄していなくなった。

 あのときのクソの役にも立たないジーコと、ベルギー戦でキッチリ「そこ」を修正してきたハリルの姿はいかにも対照的だ。

 ちなみにこの論争は、何もジーコジャパンで始まったわけでもなんでもない。ゾーンプレスを掲げた加茂ジャパンでもそうだったし、岡田ジャパンでもそれは起こった。日本代表は歴代ずっとこの「永遠のテーマ」に悩まされてきた。そして現在も同じだ。

ブラジル戦でまたも露呈した「永遠のテーマ」

 例えば先日のブラジル戦では、プレスをかけ始める位置が意思統一できず日本は崩壊した。

 前だけが行っても2列目が付いてこず背後にスペースを作ってしまう。または1列目はプレスに行ったが最終ラインの選手がブラジルをこわがりライン設定が低すぎる。で、中盤にスペースを作ってしまい、そのスペースを敵に使われる。あるいは逆にハイプレスをかけるべき局面なのに、積極的に前が行かないーー。選手たちがフィールドでの状況を見て自己判断できず、ひどい現象が起きていた。

 なんと、それをハリルはあのブラジル戦からたった中3日やそこらでキッチリ修正してきた。あのジーコとは大違いだ。それほどベルギー戦での日本代表はプレッシングに迷いがなかった。ハイプレスに行く場面と、ミドルブロック、あるいは低くローブロックを組んでじっくり守る局面とーー。状況に応じてしっかり意思統一ができていた。

 しかも興味深いのは、ベルギー戦の前日会見でハリルがこう言い放ったことだ。

「どこからプレスをかけるのか、だって? それは私が決めるのではない。状況による」

 チャンチャン。お見事、である。得点差や残り時間、そのときの敵味方の配置はどうか? サッカーにおいては、すべてが「状況による」。こんなカンタンなことを、我が偉大なる日本サッカー界はああでもない、こうでもない、と長年結論を出せずに来た。それを一刀両断してみせたハリルのひと言は実に痛快だった。

不毛な二元論が大好きな日本サッカー界

 例えばトルシエ時代に起きた「個か? 組織か?」の不毛な議論もそうだ。そんなものは状況によるし、どちらも必要に決まっている。

 あるいはザックジャパン時代に巻き起こった「アクションサッカーか? リアクションサッカーか?」の議論だって同じだ。それは状況に応じて「使い分ける」のだ。こんなふうに日本のサッカー界は「状況に合わせて臨機応変にプレイする」という発想がなく、常に「自分たちのサッカー」一本やり。で、バカみたいな意味のない二元論にハマってしまうのだ。

 私は何が言いたいのか? それはハリルという監督は少なくともジーコより何倍も優秀だし、歴代の日本代表監督とくらべてもそれは同じだ、ということである。

 なぜ私がこんなことを改めて言い始めたかといえば、ベルギー戦をめぐるあまりに不当で見当はずれな与太記事が世間にあふれ返っているからだ。目を覆うばかりのひどさに黙っていられなくなった。日本のサッカージャーナリズムは「いかに叩くか?」ありき。公平で客観的な分析をしない。

 ジャーナリズムがこの有り様じゃあ、日本のサッカーは100年たってもベスト8なんて夢のまた夢だ。

(大胆に言ってしまうが)ベルギー戦で発揮されたハリルの修正能力を見て、私なんぞはロシア後の4年間も彼に任せればおもしろいかも? と思えてきたのだが。

 以上である。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【国際親善試合】粘り強い守... | トップ | 【ベルギー戦・分析】日本は... »
最新の画像もっと見る

サッカー戦術論」カテゴリの最新記事