ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

有峰ダム

2022-08-30 12:00:00 | 富山県
2022年7月29日 有峰ダム
 
有峰ダムは富山県富山市有峰の常願寺川水系和田川上流部にある北陸電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
和田川最上流部は山岳盆地となっており戦前からダム建設適地として注目され、1938年(昭和13年)に富山県電気局(現富山県企業局)によって治水・発電目的の有峰ダムが着工されました。
事業は配電統制令により日本発送電に引き継がれますが、戦況悪化により1943年(昭和18年)にいったん中断します。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令で誕生した北陸電力は戦後の電力不足に対処するためまず神通川で電源開発を進め、ついで工事が中断したまま放置されていた有峰ダムに着目、1956年(昭和31年)に『常願寺川有峰開発計画(JAP)』として建設事業を再開し、当時の資本金の10倍以上の資金を投入する文字通り「社運を賭けた事業」の末、1959年(昭和34年)にダムが完成しました。
堤高140メートル、堤頂長500メートル、総貯水容量2億2200万立米は当時としては屈指のスケールを誇りました。 
併せて和田川第一発電所(最大出力2万7000キロワット)、和田川第二発電所(最大出力12万2000キロワット)、新中地山発電所(最大出力7万3000キロワット)
の運用を開始、翌1960年(昭和35年)には逆調整池として小俣ダムおよび小俣ダム発電所(最大出力3200キロワット)、小俣発電所(最大出力3万2700キロワットのちに3万3600キロワットに増強)も完成し、計25万キロワットを超える発電能力を有します。
さらに1981年(昭和56年)には電力需給ひっ迫時のピーク発電対応として有峰第一発電所(最大出力26万5000キロワット)、有峰第二発電所(最大12万2000キロワット)、逆調整池として小口川ダムおよび有峰第三発電所(最大出力2万キロワット)が完成し、一般水力として単一のダムが生み出す発電量は奥只見ダムに次ぐ日本第2位となっています。
有峰ダムは日本を代表する発電ダムとして日本ダム協会により『日本100ダム』に選定されているほか、貯水池の有峰湖はダム湖百選にも選ばれています。

有峰ダムへのアプローチは有料の有峰林道を利用します。今回は小口川線から祐延ダム経由で到達しました。
 
祐延ダムから有峰ダムへ下ってゆくと、視界が切れ左手に有峰ダムが俯瞰できます。
クレストラジアルゲート2門、昭和30年代のダムらしく導流壁は一直線。
右岸にカドがあります。


堤頂部をズームアップ。


左岸、上流側から
右手は1981年(昭和56年)に増設された有峰発電所向け取水塔。


左岸から下流面
左岸は大きく湾曲。


天端にある半円形のバルコニー
これも昭和30年くらいまでの発電ダムでしばしばみられるデザイン。


天端も有峰林道の一部となっています。
大型車は離合困難のためダム両端の信号により交互通行となります。


天端から見下ろすと
右手は和田川発電所向けの調圧水槽
減勢工わきの小さな建屋は2010年(平成22年)にできた維持放流を利用した有峰ダム発電所(最大190キロワット)。


右岸の『カド』
高さがあるのとあまり角度がないのでイマイチな写真。


右岸高台に展望台があります。
展望台の『ダム湖百選』のプレート。


展望台から
有峰湖の総貯水容量は2億2200万立米で黒部湖を凌ぎ富山県最大。


ダム愛好家定番の眺め
左岸が湾曲、右岸にカドがある『S字』の堤体。
奥は有峰発電所向け取水塔、手前が和田川発電所向け取水設備。

さらに上流側から
二つの取水設備がよくわかります。


上流から遠望。


ダムの直接の目的は発電ですが、発電を通じ常願寺川の河川流量の季節変動を平準化することで流域の治水や安定した利水補給にも大きく貢献しています。
富山のダムと言えば黒部のイメージが強いですが、地元への貢献という意味では有峰ダムは黒部に勝るとも劣らない存在となっています。

(追記)
有峰ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0841 有峰ダム(1875)
富山県富山市有峰
常願寺川水系和田川
 
 
140メートル 
500メートル 
222000千㎥/204000千㎥ 
北陸電力(株) 
1959年
◎治水協定が締結されたダム


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