ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

津賀ダム

2021-12-02 23:00:00 | 高知県
2021年11月21日 津賀ダム

津賀ダムは左岸が高知県高岡郡四万十町大正大奈路、右岸が同町下道の渡川水系檮原川にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
愛媛県新居浜で金属精錬を行っていた住友鉱業(株)(現住友金属鉱山(株))は精錬用電力確保のため大正半ばより四国各所で電源開発に着手します。
渡川水系では傘下の渡川水力(株)を通じて電力開発が行われ、当ダムも1939年(昭和15年)に着工されますが、直後に電力管理法により日本発送電に接収されました。
ダムが未完成のまま1944年(昭和19年)に津賀発電所(最大出力1万8650キロワット)が稼働しダム便覧ではこれを津賀ダムの竣工年度としていますが、ダムが正式に竣工したのは戦後1951年(昭和26年)まで下ります。
そして同年の電気事業再編成により津賀ダムおよび発電所は四国電力(株)が事業継承しました。
その後、河川維持放流による小水力発電を行う津賀発電所3号機(最大550キロワット)が増設されました。
 
今回は土佐大正から国道439号線を北上して津賀ダムに至りました。
下流面が見れるのは右岸のみ


クレストにはラジアルゲートが10門並び、減勢工は左右両岸に絞りが入った昭和10年代設計らしいすり鉢状。



 
下流面。

右岸に繋がれた巡視艇。

 
右岸上流側に集落があり、天端は左岸の国道と右岸を結ぶ生活道路になっています。
上流側には巻き上げ機が並びますが、フェンスで厳重に隔離。


天端から
減勢工は四方形のすり鉢状。
この絞りの形状はほぼ同時期に着工された長沢ダムと酷似しています。

 
河川維持放流の義務化によって増設された津賀発電所3号機
最大550キロワットの小水力発電を行います。

 
ダム湖は上流に細長く続き総貯水容量は1930万立米に及びます。

 
水利使用標識。

 
四国電力おなじみの発電所説明版。

 
左岸から上流面
対岸に管理事務所と取水口があります。

 
管理事務所と取水口をズームアップ。

 
(追記)
津賀ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2305 津賀ダム(1752) 
左岸 高知県高岡郡四万十町大正大奈路 
右岸         同町下道 
渡川水系檮原川 
 
 
44.5メートル 
145メートル 
19300千㎥/14000千㎥ 
四国電力(株) 
1944年発電開始 
1951年ダム完成 
◎治水協定が締結されたダム 

西久山池

2021-12-02 20:00:00 | 高知県
2021年11月21日 西久山池
 
西久山(にしひさやま)池は高知県高岡郡四万十町上宮にある灌漑目的のアースフィルダムです。
上宮地区は四万十川が大きく蛇行した河岸段丘上にある集落で、揚水技術のない時代は目の前を流れる大河を指をくわえ見るのみ、水利は沢水を溜めた溜池に頼るしかありませんでした。
ダム便覧には四万十町上宮の所在地は記されているものの経緯度の記載はなく位置未確認案件となっていますが、四万十町ため池ハザードマップで位置の特定ができます。
ダムの起源については、ダム便覧には1923年(大正12年)に上宮土地改良区の事業で竣工と記されており、土地改良区の前身となる水利組合の事業、つまり受益農家の持ち出して築造されたと思われます。
一方、諸元についてはダム便覧では堤高15メートルとなっている一方、高知県のため池データベースでは堤高11.5メートルとなっており河川法上のダムの要件を満たしていません。
 
右岸から下流面
定期的に草刈りが行われているようです。
 
天端は町道。
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上流面
需要期が終わったせいか、訪問時は水が抜かれていました。
中段に土留の杭が並び、この辺りが満水位のようです。
 
右岸の簡易な洪水吐。
 
堤体右岸に沿って導流部が流下します。
 
歩いて池下に降りられますが、自重しました。
池から補給を受ける農地はこの下流の四万十川沿い段丘上に広がります。
 
池下の底樋桝。
 
水が抜かれた貯水池
逆L字型に折れ曲がった総貯水容量6万立米の小さな溜池です。
 
水が抜かれていたので、湖面に降りてみました。
法面上部は石張りで護岸され、その下に土留めの杭が並ぶ昔ながらの作り。
 
左岸の取水設備。
木栓を差し込む昔ながらの池栓です。
もとは石樋だったんでしょうが、さすがに樋はコンクリートでした。
右手の擁壁も石積み。
 
水が抜かれていたおかげで池側面の石積み擁壁、上流面の石積み護岸と土留めの杭、さらには木栓を差し込む池栓など昔ながらの池の形態を目の当たりにすることができました。
 
2299 西久山池 (1751)
高知県高岡郡四万十町上宮
渡川水系四万十川左支流
15メートル(ため池データベース 11.5メートル 
60メートル(ため池データベース 67メートル) 
60千㎥/40千㎥
上宮地区
1923年

佐賀取水堰

2021-12-02 10:00:00 | 高知県
2021年11月21日 佐賀取水堰
 
佐賀取水堰は左岸が高知県高岡郡四万十町家地川、右岸が同町弘瀬の渡川水系四万十川にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリート堰堤です。
愛媛県新居浜で金属精錬を行っていた住友鉱業(株)(現住友金属鉱山(株))は精錬用電力確保のため大正半ばより四国各所で電源開発に着手します。
渡川水系では傘下の渡川水力(株)による電源開発が進められ、1937年(昭和12年)に竣工したのが佐賀取水堰で、ここで取水された水は佐賀発電所に送られ最大1万5700キロワットの水路式発電が稼働しました。
その後、ダムおよび発電所は日本発送電の接収ののち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により四国電力が事業継承しました。
堤高8メートルと河川法上のダムの要件を満たしていませんが、『最後の清流』と称される四万十川本流唯一の河川工作物であるとともに、四国堰堤ダム88箇所巡り番外札所に選ばれていることから今回足を延ばすことにしました。
 
取水堰はJR予土線家地川駅が目印となり、取水堰周辺は家地川公園として整備されています。
下流の弘瀬橋から
ローラーゲート4門で四万十川を閉め切り、左岸に魚道、右岸に自由越流頂があります。
 
ゲート扶壁前面のテラスに巻き上げ機が置かれ、ゲート支柱を経由したワイヤーでゲート昇降を行います。
これは中国電力や四国電力の発電ダムで多く見られるスタイル。
 
ダムサイトには佐賀発電所で使われていた水車ランナーが展示されています。
 
上が発電用取水口と沈砂池
手前は魚道ゲート。
 
沈砂池下流側
左手に取水用スクリーンが見えます。
右手のゲートは余水ゲート。
ここから約7キロの導水路で佐賀発電所に送水され、放流水は流域変更して伊与木川を通じ太平洋に流れます。
河川維持放流が義務化されていない時代、佐賀取水堰から梼原川合流地点までの約16キロは無水区間でした。
 
天端から下流の眺め
1枚目の写真は下流の弘瀬橋から撮ったものです。
 
『昭和十二年十月竣工』の銘。
 
下流側のテラス。 

天端は歩行者及び二輪車のみ通行可  
足元は板張りのため、ちょっと吊橋気分が味わえます。 
ゲート支柱上段には管理用の鉄骨トラス製歩廊が渡されています。 

貯水池右岸に繋がれた巡視艇。
 
右岸側は護岸のためでしょう、自由越流頂になっています。
ここには後付けのフラップがあり、これで水位の微調整を行うようです。
 
取水堰周辺は家地川公園として整備され、周辺では屈指の桜の名所だそうです。
訪問時は紅葉がいい感じで色づいていました。
 
ダム反対派は『四万十にはダムがないから清流が保たれている』と口にしますが、堤高15メートルに満たないものの四万十を閉め切る佐賀取水堰は構造物としてはダムと変わりありません。
ダムが環境にまったく負荷を与えないとは言いませんが、ダムの有無が川の清濁全てに関わるという考え方には賛同しかねます。
事実四万十よりも水質がよい仁淀川にはハイダムが4基作られているのだから。 

佐賀取水堰 
左岸 高知県高岡郡四万十町家地川
右岸         同町弘瀬 
渡川水系四万十川 
 
 
8メートル 
112.5メートル 
---千㎥/925千㎥ 
四国電力(株) 
1937年