JR西日本の列車事故。
被害者の遺族の方々の気持ちを思うと胸がしめつけられる。
8年前、私の夫も朝元気に家を出たまま帰らぬ人となった。(列車事故ではなかったが。)
遺された家族は、「もう一生大切な人と会えない」という現実を背負ってその先ずっと生きていかなければならない。
最初はその突然の死が受け入れられない。
私は夫の冷たい唇にも「死」を実感できなかったが、ふと、「もうこの人が自分の名前を呼んでくれることは2度とないのだ」という現実を受け入れた時、どっとあふれる悲しみと共に「死」を受け入れた。
「悲しみ」と「怒り・憎しみ」(人災だったので)の感情に支配される日々が長く続いた。
そのような感情ばかりでいると、人は病気になることを知った。
救急車で運ばれ、ガンの宣告を受けた。
幸いそれは、ショックからくる一過性の数値だったが、内臓が癒着していたので手術をした。
自分の体を切り刻む事による痛みで、心の傷はいくらか紛れた。
退院すると次に向き合わなければならないのは裁判だった。
「過失」という言葉を使うだけ使われ、「故意」でないことを主張された。
死亡した夫の人権はそこにはなかった・・・。
一審判決のあと、控訴され、裁判はなおも続いた。
本当に裁判は辛かった。
今回の列車事故の遺族の方々の中にも、私と同じような気持ちをたどられる方も多いであろう。
そして裁判も・・・。
運転手はまだ一両目に閉じこめられているようだが、被疑者死亡で不起訴・・となれば遺族はよけいやりきれないだろう。
私は事故のあと「被害者の会」を立ち上げたが、その設立メンバーのほぼ全員が挙げている「事故直後の遺族へのNGワード」が3つある。
「頑張って」 「元気だして」 「一日も早く忘れて」
頑張れるわけも、元気が出るわけも、忘れられるわけもない遺族にとってこの3つは辛すぎる。
もし身近に今回の被害にあわれた遺族の方がいらっしゃれば、「大変だったね」とただ彼らの悲しみと共にいてあげてください。まだ今は励まそうとしないであげてください。
もし自ら命を絶てば愛する家族の元に行けると考えている人がいたら、自ら命を絶った場合天国へいけないので、愛する人とは永遠に会えない事を伝えてあげてください。
そしてその人を1人にしないであげてください。
私はそうしてもらって今ここにいます。
5年ほどは目に映る景色に色がついていなかったけど、今は綺麗な色がついています。
あのとき私のそばにずっとついていてくれた人たちに感謝しています。
犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます・・・。
被害者の遺族の方々の気持ちを思うと胸がしめつけられる。
8年前、私の夫も朝元気に家を出たまま帰らぬ人となった。(列車事故ではなかったが。)
遺された家族は、「もう一生大切な人と会えない」という現実を背負ってその先ずっと生きていかなければならない。
最初はその突然の死が受け入れられない。
私は夫の冷たい唇にも「死」を実感できなかったが、ふと、「もうこの人が自分の名前を呼んでくれることは2度とないのだ」という現実を受け入れた時、どっとあふれる悲しみと共に「死」を受け入れた。
「悲しみ」と「怒り・憎しみ」(人災だったので)の感情に支配される日々が長く続いた。
そのような感情ばかりでいると、人は病気になることを知った。
救急車で運ばれ、ガンの宣告を受けた。
幸いそれは、ショックからくる一過性の数値だったが、内臓が癒着していたので手術をした。
自分の体を切り刻む事による痛みで、心の傷はいくらか紛れた。
退院すると次に向き合わなければならないのは裁判だった。
「過失」という言葉を使うだけ使われ、「故意」でないことを主張された。
死亡した夫の人権はそこにはなかった・・・。
一審判決のあと、控訴され、裁判はなおも続いた。
本当に裁判は辛かった。
今回の列車事故の遺族の方々の中にも、私と同じような気持ちをたどられる方も多いであろう。
そして裁判も・・・。
運転手はまだ一両目に閉じこめられているようだが、被疑者死亡で不起訴・・となれば遺族はよけいやりきれないだろう。
私は事故のあと「被害者の会」を立ち上げたが、その設立メンバーのほぼ全員が挙げている「事故直後の遺族へのNGワード」が3つある。
「頑張って」 「元気だして」 「一日も早く忘れて」
頑張れるわけも、元気が出るわけも、忘れられるわけもない遺族にとってこの3つは辛すぎる。
もし身近に今回の被害にあわれた遺族の方がいらっしゃれば、「大変だったね」とただ彼らの悲しみと共にいてあげてください。まだ今は励まそうとしないであげてください。
もし自ら命を絶てば愛する家族の元に行けると考えている人がいたら、自ら命を絶った場合天国へいけないので、愛する人とは永遠に会えない事を伝えてあげてください。
そしてその人を1人にしないであげてください。
私はそうしてもらって今ここにいます。
5年ほどは目に映る景色に色がついていなかったけど、今は綺麗な色がついています。
あのとき私のそばにずっとついていてくれた人たちに感謝しています。
犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます・・・。
今までいろいろな方々のお通夜・お葬式に参列してきましたが一番悲惨で忘れられないお通夜があります。
底冷えのする寒い夜でした。
こんなに涙って出るのか?と思うくらい泣いた顔で
祭壇の前に座っていたね。
もう8年か・・・。
それからこれまでいつも遠いところからだったけど、何も言わずにそっと見守ってきたつもりです。
徐々に自分を取りもどし、心の中の悲しみは見せずに、自分の将来も考えながら過ごしてきた姿は本当に立派だったと思っています。
強いよね、ホント。いや・・・強くなったのかな?
私の夫は仕事上、事故の被害者や遺族の方に会う機会があり、病院やその方のお家、時には裁判所にも出かけます。
時々、その時の話をしてくれますがどれもこれも語りつくせないほど本当に悲惨です。
現実、事故はどうしてもなくならない。
自分の身にいつ起こってもおかしくない世の中で暮らしていることを肝に銘じておかなければ・・・と改めて思い返す日々です。
>自分の将来も考えながら過ごしてきた姿は
そういえば、将来の事を深く考えないで埼玉に行こうとした時、さきちゃんに、
「○○こは幸せにならなあかんて言うたやん!!」
ってめちゃめちゃ怒られたことがあったね(苦笑)
人生の岐路で幾度となくさきちゃんに助けてもらっている私。
いつかご恩返しができるかしら。
これからも引き続き見守っててくださいね。
狭いようで深い
わかるようでわからない
無くした穴の大きさは測れないし、例え近付けたとしても、わからないだろう
自分が誰かに何かをしてあげることができるなんて私は思ってない。出来ないことを知ってる
友達がかけがえのない人を亡くしたとき(私にとってもかけがえのない人でしたが)唯一私が出来たことは、ただ、彼女が自ら動きはじめるのを待つことだけだった。そんなことを思い出しながらブログ読みました
たけこ姉はかけがえのない友達がいて幸せだね
いつも力になってもらってるのに、言葉一つ出てこないなんて
私もたけこさんには乗り越えてきた出来事の分だけ、いっぱい幸せになってほしい
時にはサポートする側、時には対立する立場になることも。
うらみをかうこともある、それは仕方ないけれど、私の言動で、その人に更につらい思いをさせることのないように、って・・・
とても難しいけれど、その場面になったとき、たけこ姉さんの言葉を忘れないようにしようと思います。
ありがとう。
>ひーちゃん
「待つ」事は大変なんだよね。
でも待っててくれたひーちゃんに、そのお友達は感謝してると思うよ。
そしてここを覗いてくれるひーちゃんはじめ観劇友達のみんなもかけがえのない友達
どれだけ多くの人に支えられて生きてるんだか、私。
いつもみんなに感謝してます
>空くん
『いつでも会える』っていう絵本の「シロって呼んで、頭をなでて」っていう言葉だったね。
名前を呼んでもらえないことで「死」を受け入れた私にとって、飼い主を亡くした犬のシロの「シロって呼んで」っていう言葉がたまらなかったんだ~。
空くんにはいつも元気もらってありがとう。
>京ちゃん
京ちゃんのお仕事は人を救えるお仕事だよね。素晴らしい。
私側のその人はとても親身になってくれ、遺族の気持ちをとても理解してくれた。
その人のおかげでいろんな事が報われたの。
今もずっと感謝してるんだ~。
これからもたくさんの人々を救ってあげてくださいね。
お願いします