夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

きらめき展(教育展)に寄せて

2011-01-13 12:03:56 | 言語・難聴
 昨日、教育センターへきらめき展の作品搬入に行ってきました。特別支援教育の浸透により、かなりの参加人数になり、展示パネルを最大限にまで使って開催されています。でも、発達障害の通級指導教室が増えたため、予定では作品を収めきることができなくなってきたらしいのです。そのためでしょうか、うちの通級に連絡が来たときに、出品数の確認をする係の人が一言、「通級は出しても出さなくてもどっちでもいいです」この一言を聞いて私の頭の中で何かが切れる音がしました。もう出品するのをやめようと思ったのです。
 知的障害児学級・情緒障害児学級の担任を経験して、初めての転勤で言語の通級指導教室を担当することになったとき、行事部の役員をしていた私は、通級指導教室の知名度の低さに驚き、教育展にはなんとしても作品を出品して、世間に「こういった方法で学んでいる子どもたちもいるんだ!」ということを知らしめてやる!と鼻息荒くこの世界に飛び込んだのでした。当時は教育展という名称で、通級の担当者たちは「図工」の授業をしているわけではないから参加する意義がない、といってほとんどの教室が参加していませんでした。確かに周囲は特殊学級や養護学校と呼ばれた時代の学級・学校ばかりなので、図工や作業学習で取り組んだ作品が並ぶ場所だったのです。しかし、「教育展」という名称は「図画工作や作業学習」を意味する言葉ではなく、言語や難聴の子どもたちが日頃取り組んでいるものを展示すればよいのではないですか?という私からの問いかけに、当時言語難聴のスペシャリスト集団だった名古屋の通級指導教室の先生方が賛同してくださり、ほとんどの学校が「絵日記」とか「自己紹介文」などの文章表現したものを展示するようになりました。大きく紹介するコーナーを作ってもらい、通級指導教室は一躍有名になりました。
 しかし、特別支援教育と名を変えてからは、言語・難聴よりも発達障害が通級の中心となり、支援を必要とする子どもたちの数も圧倒的に後者の方が多くなってきました。今では各区に一教室以上設置されるまでになりました。特別支援学級自体も数が増え、今や設置されていない学校を数える方が早くなってきました。それほど特別支援教育は当たり前になってきているのです。まだそれが特別支援学級の教員が中心になって取り組んでいるところが問題ではありますが、これだけ通常の学級に支援を必要とする子どもたちが増えていったのでは、通常学級の担任のレベルアップが大きな課題でしょう。話はそれてしまいましたが、これだけたくさんの児童・生徒が参加する「きらめき展」の会場として、教育センターが手狭になってきているのは事実です。会場が変わることも議論されて、ほぼ決定したと聞きます。
 それはさておき、私が問題にしたかったのは運営する側のスタッフの意識の低さ。「出しても出さなくてもどちらでもよい」とは何事か!!と怒鳴りつけたい心境でした。その一言で心が折れてしまった私。それでも今年は子どもたちにも保護者の方々にも「きらめき展に参加しますので」と言って絵日記を書いてもらっているのに、出さないわけにはいかないと半ば消極的になり、初めてお手伝い一つせずに我が校の作品だけを掲示して帰ろうとしたときのこと。通級担当の若い女性の先生が楽しそうに自校の子どもたちの作品を掲示していました。そこで私が今回のことを愚痴って「もう来年から出すのやめようかな」と言ったとき、若い二人はこう言いました!「それは腹が立ちますね!でも、一層燃えてきます!!言語・難聴の存在を見せつけてやるんだ!!私たちはずっと出し続けます!!!」その言葉を聞いて目が覚めました。14年前に自分もそう思って先輩の先生方に意見したのを思い出しました。自分が名古屋の言語・難聴の最長老になり、若い先生の見本にならねばならないにもかかわらず、こんなことくらいでめげていては、今までやってきたことが水の泡になってしまう。でも、若い先生方がこんな風に意識を持って取り組んでくれているのがとても嬉しかったです。久しぶりに一人で嬉し泣きをしてしまいました。今後もそんな先生たちが増えると嬉しいな!
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