夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

11年目開設記念日に寄せて

2018-04-16 06:04:57 | 教育・躾全般
 いつの間にか、ブログを始めて11年目に入っていた。こんなに続けられるとは思っていなかった。ネタが尽きて滞るだろうと思っていた。毎週更新していた頃は大変だったけど、月一、月二の更新だと、そんなに困らない。仕事のことだけでなく、範囲を広げたことも良かったかな。11年やってきて振り返ってみると、自分のスタンスは何も変わっていないのに、私を取り巻く環境が大きく変わってきていることを感じずにはいられない。最近よく考えることは、言語・聴覚障害教育の必要性に疑問を持ち始めたこと。何故なら、通級する子どもの大半が、純粋な言語障害を抱えて悩んでいるわけではないということ。発達障害の症状を抱えた上で、二次的な障害として発音が未熟だったり、吃音があったりするだけ。どれも基底にあるのは発達障害なのだ。前の学校の頃に、一番人数が多かった時に、指導主事は「発達障害のある子は発達の教室に行くようにさせてください。言語の教室に入れるのは違反です。すぐに退室を。」と自校通級であるにもかかわらず、退室措置を執らされてしまった。それ以降、発達障害の診断を受ける子どもたちが激増し、発達の教室が増設されていった。その甲斐あってか、言語の教室には純粋な言語障害の子どもがほとんどいなくなった。それでは困ると、ほとんどの教室が未だに発達障害を抱えた子どもたちを指導人数に入れている。私は頑なに拒絶しているので、通級児童がどんどん減っている。その状況を知ってか知らずか、文科省の指針が示されたからと、指導室から「13人に満たない通級指導教室は廃級の対象になる」というお達し。今年は全く人数がそこまでに達しない上に、今年度で終了・退室する予定の子どももいるため、更に人数が減る予定。来年度の廃級対象になっているのはうちだけのようである。
 本校の周囲には発達の教室が乱立中である。しかも、自校でほぼいっぱい。つまり、発達の教室にはニーズが多いのだ。理由は別のところにあることは分かっているが、それを言うと発達の教室だけでなく、学校教育が成り立たなくなる恐れもあるので、敢えて言うことは控えるが、自分の見解としては、発達の教室よりも、学力補充をしてくれる教室や担当者が全ての学校にあれば良いのだろうと思う。通級指導教室は学力補充が目的の教室ではない。本来学級担任が欲しがっている教室ではないのだ。今のままでは遅かれ早かれ、公立学校教育は限界を迎えるような気がする。どう変えていけば良いのか、もっと真剣に考えないと、私立や、業者参入の学校が増えることになるのではないだろうか?言語のみでなく、通級指導教室はどこへ行くのだろう?「特別支援教育は専門外なので」と言い訳をする一般の学級担任や管理職が存在するうちは、教育が進歩するとは思えない。「障害について」などと詳しく知らなくても、「いっぱしの教師」であれば、「この子の困り感は何だろう?」「「どんな手立てを取ってあげるのが最良か?」くらいのことは分かるからだ。それをやるかやらないかは、それぞれの教師に託されているのだ。「私の学級には他に29人の子どもがいるから、この子1人に構っていられない。」この言葉を言う教師に「本気度」は観られない。ここで預かっている1人だって、「あなたのクラスの1人」なのだ。6時間全てを全力で見られないのは仕方がない。私だってそれが無理なことくらいは分かる。だが、1日に1人頭10分くらいは気に掛けてあげる時間は取れるのではないかな?今日取れなければ明日多めにとってあげるという形でも良いはずだ。初めから特別支援を「自分とは関係のない世界」と思っている人間の、何と多いことか。
 そろそろ次の身の振り方を考える時が来たのかも知れない。
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