夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

中学校総合体育大会(中学総体)剣道個人戦初参加

2013-07-24 13:22:33 | 剣道
 この8月から、待ちに待っていた剣道部が、我が子の中学にできることになりました。長男たちが入学した頃には無かったため、3年生の募集はありません。1年生のみの募集で、表題の大会にラッキーな出場を果たした次男坊。その日は長男のバスケ部も総体の試合があり、早朝から稲永SCへ出掛けていきました。2試合勝つとベスト16に入れると言いながら、試合の応援には来るなと言う長男。スタメンではないので見られたくない気持ちは分かりますが…。次男に「○○中の誰々が強い!こいつと当たったらイチコロだ!」などと偉そうにアドバイスする兄でした。部活自体はまだ始まっていないので、中学総体へは先生のご厚意で個人戦のみの参加が認められた訳です。集まったのは我らが味鋺剣友会の中1剣道部員4名。ちゃんと制服を着て、駅から防具一式を担いで会場入りするのは、おそらく初めてでしょう。今までの剣道の大会は、親が車で送り迎えして、駐車場も、観覧席も良い場所をとるために開場2時間も前から並ぶのが常識のようでした。私はそれを嫌って、駅の近くに駐車して、電車で行く、いわゆるパークアンドライドで露橋へ連れて行きました。息子たちが6年生になると自動的に役員になっていたので、その2年だけは全て車で行って係の仕事をしましたが、今年はお役目から解放されて、私も今年は全てパークアンドライドです。
 前日の団体戦を、次男と一緒に観戦し、自分の相手となる選手の試合を目の当たりにしていたので、次男も相手の強さは分かっていました。1回戦を勝ち上がれば、その強い選手と当たります。1回戦目は開会式後の第2試合なので、気合いが空回りしてガチガチの次男。ところが、その1回戦目の相手が欠席で不戦勝になってしまいました。緊張感が一気に抜けて、礼式をして帰ってきた次男の前で、次の試合が行われます。勝った方の選手と次の試合を戦うことになります。しかし、目の前で見せられたのは二振り秒殺の圧勝。いくら相手が格下の選手だとはいえ、トータル3秒くらいしかかからなかった、その試合。見つめる次男の目に不安がよぎります。私にも次男が同じように敗れるだろうと予想できました。次の試合まであと20試合。
 6面コートが用意されており、次男の戦ったコートには名だたる剣士たちが集合していました。中学は別でも、道場が皆同じという選手が4人、その他にも日本一に輝くこと数回という道場の大将を努めた子も、真横で面を付けていました。20試合待つ間に、彼らの強さ、そして、一部傲慢さも、よく見させてもらいました。もっと「心を磨いて」ほしいと思う子どもたちでした。
 いよいよ次男が面を付けて順番に並ぼうとしている時です。次男の出番まであと6人、という頃でしょうか。しかし、肝心の戦う相手は私の左横で同門の連中といつまでも喋って遊んでいます。試合が進んであと3人という時にようやく面を付けに入る余裕。完全に舐められています。いざ、試合が始まると、開始早々、1秒で面を決められました。正に瞬殺です。2本目もすぐに来る!と私は覚悟していたのですが、危ないシーンは3回くらいしかなく、逆に次男が面を「当てる」瞬間も見ることができました。1本にはならなかったけど、あの選手相手に一歩も引かない、攻めてかかる態度は、私にとって好印象でした。奇跡的に3分間、1本のみで終了しました。相手も、きっと次男坊のことを舐めてかかっていたのでしょう。出鼻小手を連発してきましたが、不十分な打ち込み。面も、初回の1本のような、目の覚めるような1本はそれ以後1本もなかった訳です。全力で戦わないのか、次男坊が本当に「やりにくい」相手なのか、それは分かりませんが、彼なりに善戦したのでしょう。それでも、相手に舐められていたことが分かっていたのでしょうか、悔し涙を浮かべながら、私の講評を聞いていました。
 剣道の「本当の強さ」とは何でしょう?試合に勝つための圧倒的な技術?表面上だけ教わって本来の意味を知らない小中学生の「礼儀作法」に悲しくなりながら、ただ強いだけの剣士(うちの子たちは弱いけど)ではなく「心」を伴った剣士に育ってほしいと、切に願う父でした。「剣心活人」我が師・故・鷹尾範士の大切な教えの1つです。
 全く別の話ですが、先日、新聞に外国での剣道の記事が載っていました。勝つための剣道を広めたいから、日本のような伝統や形式にこだわらず、飛び上がって面を打っても当たれば勝ち!という剣道が好まれているようなことが書かれていました。それは個人的には既に剣道ではなく、スポーツチャンバラの世界だと思います。剣道という武道を愛してくれる外国人の皆さんがたくさんいることは素晴らしいですが、自分たちの都合の良いように解釈を変えていくのであれば、それは既に本流ではないということを知ってもらいたい。新たに解釈をくわえて広げていくのであれば、それはあくまでも亜流。分家。本家・その国の文化を非難することはあってはならない。その国の文化を学ぶために剣道を学んでいるのだから、なおさらである、と私は思う。どんなスポーツでも同じ。発祥の地の文化を大切にしなければ。
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