<続き>
埴輪の紹介漏れがあったので掲載しておく。
<続く>
<続き>
今回は石包丁造りのジオラマ展示と弥生期・古墳期の農具・工具の展示遺物を紹介する。
弥生遺跡からも横槌が出土する。稲藁の加工にも使っていたと思われるが、草鞋の遺物が出土したとは聞いていない。出土しているのは田下駄と木製沓のみである。草鞋は存在していたであろうと考えるが、どうであろうか。
<続く>
過日、勧請縄についてネットで再検索していたところ、野洲市・行事神社に北タイ少数民族の鬼の眼と瓜二つの勧請縄が存在することが分かった。驚き以外の何物でもない。
他人様のブログなので写真流用が憚られるため、そのブログを紹介しておく。掲載されている勧請縄はまさに鬼の眼であり、以下の北タイ少数民族の鬼の眼と同じである。
(ラフ族村の聖木等に掲げられた鬼の眼)
(ラフ族住居入口の鬼の眼)
(チェンマイ郊外バーントーンルアンのアカ族の村の門)
野洲市の行事神社社伝によると、その起源は古く、神亀元年(724)御上神社の信託を受けた三上宿祢海部広国が勧請したのが最初とのことである。ところが、肝心の勧請縄の縁起というか由緒は不明である。何時の頃から勧請縄に鬼の眼が用いられたのかわからない。役目は北タイと同様で結界である。古来からの鬼の眼であれば、伝統が維持できているものと感心する。
本年2月20日過ぎに、勧請縄を見るため野洲に行ったが、当該行事神社は事前調査漏れであった。何でも毎年1月10日ころに、新しい勧請縄に張り替えられるらしい。来年1月中頃に行ってみたいと考えている。
<了>
東西南北、新型コロナである。そういえば出雲市湖陵町大池に疫病神社があることを思い出した。早期に収束するようお参りした。
その疫病神社とは出雲国風土記に記される美久我神社(延喜式神名帳には彌久賀神社)の末社である。
末社である疫病神社の御祭神は、 少名毘古那神(すくなびこなのかみ)、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おほまがつひのかみ)の三柱の神々である。この社の縁起がハッキリしないが、起源は吉田真道にあるようだ。
いずれにしても、疫病封じの社である。少なくとも近隣ではコロナウィルス罹患者がでないようにお祈りしたが、御利益のほどは・・・。
<了>
<続き>
〇弥生期の銅剣と刻文土器
各地に龍と思われる刻文土器が存在するようで。伊予でもそれが見られる。単なる装飾か、それとも水神との認識も存在したのか不明である。
<続く>