世界の街角

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北タイと日本本来のカミ概念&結界(後編)

2020-03-16 07:43:00 | 日本文化の源流

<続き>

ところで、この種の類似性は他にも認められそうである。それは、内と外を区別する結界の概念である。先にラフ族の鬼の眼(ターレオ)を貼り付けた聖木をご覧頂いた。その鬼の眼はエイリアンの侵入を監視し、異端者の害を防ぐ一種の呪具である。

そのラフ族村の入口の両側の立木から〆縄が張られ、その〆縄には鬼の眼や小石を入れた苞(つと)がつけられ、根元にも竹を編んだ大きな鬼の眼が置かれていた。苞の小石はカミが村に侵入しようとする悪鬼・悪霊に投げつけて防いでくれるものである。それは木造りの『村の門』の省略形とみてよい、鳥越憲三郎氏はその著書に記されている。

ラフ族については、残念ながらほとんど知識をもたない。そのラフ族の村の門に相当する村の門を、チェンマイ県オムコイ郡深南部のバン・メーテンから一気に700-800mも駆け上がったところに在るモン(苗・Hmong)族村の入口でみた。行くときの車中から写した写真で、不明瞭かつ鬼の眼は写っていない。うっすらと写る縄の中央に鬼の眼があった。鳥越憲三郎氏は、これをアカ族のロッコン(村の門)の省略形だとしておられる。つまり結界以外の何物でもないのである。

日本では村の入口に張る同形式の〆縄を勧請縄と呼んでいる。写真は滋賀県野洲市小浜町・八幡神社の勧請縄である。

(八幡神社の勧請縄)

〆縄の中央に竹の枌で編んだ鬼の眼があるではないか。まさに北タイ少数民族村の出入り口で見る、村の門の省略形そのものである。う~ん・・・と唸り驚くような一致である。同じ小浜町に天満宮があり、そこにも八幡神社と同じ形式の勧請縄が掛かっている。

(天満宮の勧請縄)

そこで両社の位置関係であるが、下のグーグルアースを御覧頂ければ、小浜集落の両端に位置していることが御分り頂けるものと考えている。つまり集落出入り口を守る結界と云うことになる。

更に奈良県でみる勧請縄には、男性の性器と女性の性器を藁で模してつけたものがある。男性のもの(男縄と呼ぶことにする)は村の入口、女性のもの(女縄と呼ぶことにする)は出口に張られると云う。それはアカ族の『村の門』で、柱の根元におく性器を露わにした男女交合像に通じると思われ、生殖によって農作物の豊穣を願うためと、露わな姿をみて悪霊が避ける辟邪の呪具の一つと考えたい。

(男性と女性をシンボライズさせた苞が〆縄に付けられている。この男縄と女縄が明日香村の稲渕と栢森に渡されている。明日香民族資料館で見ることができる)

その勧請縄は奈良県明日香村の稲渕と隣の栢森(かやのもり)で見ることができるという。稲渕には男縄が栢森には女縄が谷を跨ぐ形で張られている。その勧請縄が張られている地点をグーグルアースに示しておく。

これを見て頂ければ即刻御理解いただけるとおもわれるが、稲渕集落の出入り口、つまり集落の境に張られた勧請縄で、それは結界以外の何物でもないであろう。ここでは男綱と女綱が別々のものであったが、それが一つの勧請縄に表現されている事例が、奈良県橿原市太田市町の天満宮や福井県南越前町今庄でみることができると云う。

(写真は橿原市太田市町の天満宮の勧請縄である。右の藁苞は♂のシンボル、左の枝葉の一群は♀のシンボルである。大和の国には、この種の雌雄双方を表した勧請縄が多々存在するという)

ここで噺はやや飛躍する。関裕二氏は道祖神の古様を示すのが、男根柱であると大和岩男著「神々の考古学」から引用する形で、氏の発刊書籍に掲載されている。“中部地方の縄文中部遺跡には、亀頭状の石棒が立つと云う。その石棒の伝統は弥生時代にも継承されている。信州で見られる道祖神は、縄文時代と同じ男根状の石棒、石柱をそのまま使用していると云う。男性や男女の性器が境の神になっているのは、境界が相反するものが結びつく結界だからであり、その結びつきが新しい生命の創造、豊穣を約束するからである。性交は相反する性器をもつ男女の結びつきであり、結界をしめしていることになる。”・・・とある。

(出典:WikiPedia 長野県南佐久郡佐久穂町を流れる北沢川から出土し、同町高野町上北沢1433に保存されている石棒が道祖神とされている。縄文時代中期後半に作られたものが、道祖神として崇められている。)

そこで、先述の勧請縄の男縄・女縄とアカ族の門の男女交合像、蒲生の山のカミの依代、飛鳥坐神社の『むすひの神石・(陰陽石)』更には道祖神の双体像(双体道祖神像を下に紹介しておく)の陰と陽の組合せが辟邪・魔除けの役割を担っており、日本古来の習俗と北タイ少数民族の習俗が極似していることになる。

(写真は出雲市口宇賀町の宇賀神社境内に鎮座する道祖神である)

更にアカ族の村の門に横たわる横木というか笠木は、三角の鋸歯文で装飾されている。考古学者の寺沢薫氏は銅鐸文様にみる綾杉文と鋸歯文は辟邪文様である・・・としておられる。とすればアカ族の村の門は、二重三重に辟邪の肖形や文様で守られていることになり、最強の結界であることになる。

(チェンマイ郊外バーントンルアンのアカ族の村の門)

神社の鳥居がいつのころに現在の姿になったのであろうか。古様を示すのは、奈良県の神社で多く見る左右の柱に〆縄を張ったものであろう。

(奈良県桜井市大神(おおみわ)神社の鳥居。拝殿側から振り返って写した)

その古様を示す鳥居は、出雲国風土記所載の八重垣神社でも見ることができる。

(八重垣神社の古様を示す鳥居)

それが何時、横木(貫)と笠木を渡す様式になったのか。種々検索すると、年代は不詳ながら、トカラ列島・悪石島の坂森神社の鳥居の笠木に鋸歯文が刻まれている写真がヒットした。この由来については全く知識を持ち合わせていない。残念乍ら版権の関係で、写真は掲載できないのでスケッチを掲げておく。

アカ族の村の門の鋸歯文と坂森神社鳥居の鋸歯文。これも驚きと共に何だ・・・との印象である。そこで銅鐸の鋸歯文は辟邪文様であったが、他に古代を証明できる辟邪としての鋸歯文を探すと、過去に別のテーマで紹介した加古川市行者塚古墳出土の“囲いのある家の埴輪”を思い出した。

その埴輪の囲いの入口上部が鋸歯文で装飾されている。まさにエイリアンの侵入を監視・防ぐ結界以外の何物でもない。埴輪で確認できることから、当時の住居にも結界を設けていたことがわかり、アカ族のロッコンや下に記述するラフ族の習俗も、日本の古墳時代どころか、相当古い伝統的な習俗であろうと思われる。

ラフ族の高床式住居について記す。その住居入口の軒下には、写真の鬼の眼と竹の枌で交互に編んだものが掲げられている。それは日本で云う〆縄に相当し、家の内と外を区別する結界に他ならない。

日本では、正月を迎えるにあたり、一般民家でも注連縄を掲げるのは、北タイの少数民族と同様に辟邪いわゆる魔除けを願うためであり、その目的は双方同じである。何時頃から小正月を過ぎれば、その正月飾り(注連縄)を外すようになったのか知らないが、日本でも北タイ同様に年間を通して注連縄を張っている地域があるとのことである。2020年2月下旬に年間を通して張られているであろう注連縄を奈良県明日香村役場近くの民家でみた。自動車で通過中のことであり、残念ながら写真を撮らずじまいである。その他の地域として、三重・伊勢志摩や宮崎・高千穂で見ることができると云う、地域名を聞けばなんとなく古来の伝統が、継承されている印象を受ける。

それにしても古代日本で、別な表現をするなら倭人のクニで、これらの風俗・習俗(文化)をもつ人々の背景は、どのようなものであったろうか。

みてきたように、これらの文化は北と云うより南方の匂いがする。最近の研究では、縄文人のDNAと南方ホアビン文化圏の人とのDNAが一致したと云う。また大陸に『倭人』が存在したらしいことは『論衡』に記されている。「周時天下太平にして越裳白雉を献じ倭人鬯艸を貢す」とある。この周(前1046年ー前256年)の時をどの時期とするかの問題があるが、縄文期とすれば、それらの人々が渡海して来たとも考えられる。いずれにしても、今回綴った文化は南方から渡海してきた人々、明言すれば縄文人の文化で、古代日本の支配者勢力(弥生人)とは別物であり、それが今日も伝統として残り、北タイ少数民族の文化と類似しているものと考えている。

今回、古来以降の信仰形態と形而下的な『もの』について、北タイと日本古来のそれを比較検討してきたが、単なる一致とは思われない。北(朝鮮半島以北)の影響もあろうが、民族の心情という根源的な事柄は南(といっても南西)との類似点が多い。ちなみにラフ族の正月行事と云えば、コマ回し、凧揚げ、竹馬、餅つきである。今回紹介した日本の習俗・風俗は黒潮が洗う沿岸地の日向、伊勢志摩、大和、近江であり、やはり南の匂いであろう、倭族の出自と大いに関連がありそうである。

 

注釈:

  1. ラフ族:雲南では拉祜族と記す。古代羌族がチベット方面から南下したとの説があるが、詳細不詳である。中国雲南に多く、タイ北部には10万人強が居住する。尚、www.chaocnx.com/ のchao連載記事の『タイの山岳民族』に詳細が紹介されている。
  2. 鬼の眼(ターレオ):岩田慶治氏は稲作儀礼に田圃の一画に設けられる鬼の眼(ターレオ)を紹介しておられる。今日北タイで田圃のターレオを目にすることの可否をしらないが、チェンマイ民俗学博物館で見ることができる。
  3. 山ノカミ:春になると山ノカミが、山から降りてきて田ノカミとなり、秋には再び山に戻るという信仰がある。すなわち、1つの神に山ノカミと田ノカミという2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰がある。
  4. 産土神:各個人の生まれた土地の守護神を指す。地縁による信仰意識に基づき成立したとされる。
  5. 『呪いと祟りの日本古代史・関裕二著』

参考文献

  1. 日本文化のふるさと 岩田慶治著
  2. カミの誕生・原始宗教 岩田慶治著
  3. 古代中国と倭族 鳥越憲三郎著
  4. 王権誕生 寺沢薫著
  5. 呪いと祟りの日本古代史 関裕二著
  6. タイ系諸族の「クニの柱」祭祀をめぐって 森幹男氏論文
  7. 北タイ日本語情報誌 CHAO368号

<了>