世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

杏が巡るバガン遺跡を見て:ワット・ジェットヨートその1

2015-10-24 10:11:24 | 日記
<続き>

ワット・ジェットヨートにマハボディー寺院を真似た建造物を建立したのは、ランナー朝9代のティローカラート王であったことは前回記載した。東南アジアの寺院はそうであるように、ここワット・ジェットヨートも例に漏れず、東西配置となっている。
写真の右が東面、左が西面である。東面から見る堂内と西面から見る堂内を下に掲げる。
東面の仏堂である。左右手前のカーテンが屋上への入り口であるが、現在は登ることができない。また蝋燭や線香もみえないので、あまりお参りする人はいないであろうか?
西面の仏像が、どうも本尊のようで写真に写ってはいないが、段下には多くの蝋燭が灯され、線香があがり多くの花々が献花されている。写真にもあるように多くの蛇の置物も奉納されている。
ここは、コンムアン(北タイ人)の巳年生まれの守護寺院である。日本人観光客で巳年生まれの方が是非参拝されると、チェンマイ旅行が有意義なものになるであろう。




                                <続く>

杏が巡る「バガン遺跡」を見て

2015-10-23 09:03:06 | 日記
過日、題記のNHK特集を見た。いきなり話が飛び恐縮であるが、滞在先のカンタリーでは、NHKプレミアム以外に日本の民放5社の番組が視聴でき、山陰の片田舎よりチャンネルが多い。
バガンでは、アーナンダ寺院やシュエージーゴン・パゴダについて放映していた。時のバガン朝が国の統治に、上座部仏教の教えを有効活用している様が、よく伺える内容であった。
そのバガンには、バガン朝後期の13世紀に建立された、マハボディー・パヤ―なる寺院が存在する。それはインドのブッダガヤのマハボディー寺院を写したものである。マハボディー寺院を写したと云えば、チェンマイにワット・ジェットヨートが在る・・・と、このような連想で本日出かけてみた。何度も出向いているが番組を見た後なので、個人的に新たな発見があるかもしれない。
写真の寺院がバガンのマハボディー・パヤ―で、中央の四角錐の周囲にも低い尖塔を従えている。外観は何やらヒンズー寺院のゴープラムを見るようである。インド・ブッダガヤのマハボディー寺院を写したと云うからには、本家もそうであろう。
上の写真は、本場のマハボディー寺院で、ウキペディアから借用したものである。成程中央の尖塔の周囲に小さな尖塔を従えている。本場の寺院建築様式を真似て、バガンで13世紀に建立したというが、職人をインドから招聘したのか?それともバガンから職人を派遣して技術習得させたのであろうか? 下の写真はワット・ジェットヨートでマハボディー寺院を真似たと云われている。

ワット・ジェットヨートでは、中央の尖塔が前の2者に対し若干低いが、真似たと云われているだけに似ている。それにしても、老朽化が目立つ。
 これは、ランナー朝第9代・ティローカラート王(在位・1441-1487)が15世紀に建立したものである。彼ならできたであろう、その9代王の時にランナー朝は最大版図を築き上げ、ミャンマーのシャン州をも版図に置いた。この時、ミャンマーの職人を連れて来て建立の任に当たらせたのであろうか?・・・等々想像することができる。
ワット・ジェットヨートは、煉瓦と漆喰でできており、時間の経過とともに崩壊し始めている。


日本なら国宝級の建造物が、自然現象による崩壊に身をまかせており、何とも痛々しい。タイ人は新しもの好きで、古いものには目もくれない。事実、ワット・ジェットヨートではランナー様式の仏堂が次々と建立されているが、上記の9代王が建立した寺院建造物は、保存の手が行き届いていない。何とか保存して欲しいものである。



                                 <次回に続く>










シャープは何処へ行くのか?

2015-10-21 10:56:09 | 日記
誰が動画投稿サイトにUPしたか知らないが、先ず下の画面をクリックして頂きたい。
動画の噺はいったん措いておく。先日シャープが2015年9月中間連結決算で、本業のもうけを示す営業損益が、当初予想の100億円の黒字から赤字へ転落する見通しとなった・・・との報道である。
シャープには、苦い思い出がある。かれこれ40年弱前のことであるが、クレーム処理に行った。夏の暑い日にクーラーもない場所で処理の仕事をしたが、シャープの担当者からは、部品屋等々・・・との上から目線で苦情を云われた経験がある。
その時は、何れ見返してやる・・・との固い決意を抱いたものである。それから20-30年、液晶でもてはやされるようになった。何を血迷ったのか亀山第二、堺と矢継ぎ早の大型投資である。その筋の専門家のみならず、小生まで危険を感じた。
それは歴史が証明しており、シャープの自己努力が感じられなかったからである。TV生産はアメリカから日本に移った。自動車とともにTVをアメリカに集中豪雨のように輸出し、貿易摩擦になったことは記憶に新しい。何故TV生産の主力が日本に移ったのか、それは単にコストが低かったからに過ぎない。そうであればTV生産は韓国、台湾さらには中国に移るのは自明の理である。
液晶は、半導体、太陽電池パネルともども、メーカーに設備開発、生産技術開発の力量があるのではなく、とっくの昔に設備機器メーカーに依存する体質になっていた。従って欧米、日本の半導体製造機器メーカーから生産技術・製造技術ノウハウ付きで製造設備を購入することが可能である。それゆえのサムスンの躍進であり、さらには中国などの躍進のはじまりでもある。つまり金さえあれば、技術つきで製造設備は購入でき、賃金の安い国に生産基地が移るのは自明である。
なぜシャープの技術陣は生産技術と製造設備を外部にたより、自社開発しなかったのか? 自社で技術開発できない商品。設備機器メーカーの設備機器を買い集めて開発できる商品。そんな商品への大規模投資・・・何かおかしくないのか?疑問を持たない方がおかしい。

村田製作所の創業者は、良き製品は良き材料と独自の技術で提供するとして、徹底的に生産技術と製造設備は自社開発に拘った。従って今日でもごく一部の設備以外は全て自社開発である。この姿勢が今後も貫かれる限り、村田製作所は不動の地位を維持し続けるであろう。SEMCOのMLCC生産設備は過去のものとなった。村田製作所は常に先端の設備開発を継続し、ある意味国内生産にこだわっており、TDKのように安直に海外生産は行っていないのである。つまり国内生産で対抗可能なコストが達成できる設備開発を繰返し行っている。

それにしても、吉永小百合は心が痛まないのであろうか?高い出演料を懐にし、一方でシャープ社員は望まないにもかかわらず、退職を迫られる。従業員の方々はやるせない想いであろう。経営者の面々は何を感じているのか?






厚顔無恥な朴槿恵

2015-10-17 10:08:40 | 日記
噺は古くて恐縮である。2013年にハノイに半年滞在していた。その2013年9月初旬に、大統領官邸前を通りかかると、ベトナム国旗とともに韓国の太極旗がたなびいている。韓国の朴大統領が来たのかと調べてみると、9月7日夜に到着し、11日まで国賓として滞在するとのことであった。
2013年9月は、9日午前中の歓迎式典の後、共産党書記長、首相や国会議長と会談。
朴大統領の目的は原発の売り込みである。ベトナムは10基の原発建設を計画しており、第一期の2基分はロシア、第二期の2基は日本が既に受注しており、残る6基を受注するためである。その第三期分として、両政府は事業調査に着手したとのことで、韓国の受注が有力視されている。
2015年現在、ベトナムの計画実行は大幅に遅延しており、第三期分の韓国受注は、どうもペンディング状態のようである。写真は大統領府正面を車中から写したもので、韓国国旗がたなびている。
今回はそのような噺ではない。朴槿恵は日本には執拗に謝罪要求するが、韓国が迷惑を掛けた他国には謝罪の謝の字すら表明していない。
1965年、日韓基本条約において、日本から韓国へ経済協力が決まり、それに伴い韓国から日本に対する、一切の請求権を放棄することで解決済みであるにも関わらず、執拗に謝罪請求している。
その経済協力は総額11億ドルで、当時の韓国の国家予算は3.5億ドルであり、当時としては膨大な資金協力であった。その11億ドルのうち3億ドルが無償資金協力で、第2次大戦で日本に召集・徴集された遺族に個人補償金として、その5.4%にあたる91億8000万ウォンが支給されたが、元慰安婦は補償対象から外された。これは何を物語るのか、まさに朴槿恵の父親朴正煕の内政問題である。
この内政問題をなぜも、執拗に外交問題化するのか?もはや正常な感覚ではなかろう。
朴槿恵は現在訪米中だが、ついに口を閉ざしていたベトナムが動き始めた。個人的には感謝の気持ちでいっぱいである。10月15日、在米ベトナム人の団体とベトナム戦争当時、韓国軍兵士から性的暴行を受けたというベトナム人女性らが、訪米の朴槿恵に謝罪を求めた。あわせてウォールストリート・ジャーナルに、被害者に対する公式な謝罪を朴槿恵に求める広告を掲載したと報道されている。
ベトナム政府はなお慎重のようではあるが、それに謝意を表明しない朴槿恵の韓国は、ベトナム人にとっては大嫌いである。日本政府よベトナムとは更に良好な関係を築いて欲しい。安倍さんの再度の訪越が必要である。