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北タイ陶磁に魅せられて:第5章

2019-07-13 16:45:21 | 北タイ陶磁

不定期連載として過去4回に渡りUP-DATEしてきたが、あまりにも間隔が空いているため、過去に掲載した記事をご覧頂けたらと思い、それらのURLを掲載しておくので参考にされたい。

〇北タイ陶磁に魅せられて:第1章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/9e015d9fcaf6a02f33bbb92747452b95

〇北タイ陶磁に魅せられて:第2章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/064fddaeccaf6dd6886827e73c5ffb8f

〇北タイ陶磁に魅せられて:第3章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/1dcad4db5e1347f88d342c6dae2a4858

〇北タイ陶磁に魅せられて:第4章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/5990013b5a36044056e97932badb92da

 

それでは第5章としてパーン窯址編を紹介する。其の前に過日、ネット・オークションにパーン青磁刻花四弁花文盤が出品されていた。縁は巧みに輪花形状で削り込み、それに沿って櫛歯文を見る、近年まれに見る優品の出品である。最後まで見届けていないが、多分3万円程度であったか? バンコクの一流アンティークショップでは、5万ー10万バーツになるであろう。落札者は儲けものである。近年タイの経済成長で、タイ古陶磁の価格はタイが日本の価格を上回っている。日本に持ち込まれたタイ古陶磁がタイへ還流するのは時間の問題とも思われる。オークション出品のパーン青磁刻花四弁花文盤が下の写真である。

いきなり横道にそれたが、パーンの青磁が如何に優れたものか御理解頂けたと思われる。オリーブグリーンに発色した釉薬は、まさに耀州窯青磁を思わせる。それでは本題の第5章を紹介する。

 

パーン窯は他の北タイ諸窯に比べ、やや遅い14世紀後半から15世紀に開窯したと云われていますが、窯の形式は他と同じながら、もっとも進歩した地上式の穴窯(横焔式単室窯)でした。そのパーンの古窯址は、明らかになっているタイの窯址で一番北に位置し、北からポーンデーン地区とサイカーオ地区、そこから南東方向にやや離れたバン・チャンプーの3箇所に古窯址群が存在しています。窯址は3箇所に分散していますが、所在地はいずれもチェンライ県パーン郡内です。

パーン窯の最大の特徴は、胎土が緻密で磁器のように固く焼締まり、青磁の発色も素晴らしいものです。それは同じタイのシーサッチャナーライ焼き、いわゆる宋胡録(スンコロク)に勝るとも劣らない素晴らしさをもっています。

今回はチェンマイ国立博物館前庭に移設されているポーンデーン窯、同じポーンデーン地区ながら、その西の端に在る一つの窯址、更にバン・チャンプーの窯址群の中から一つの窯址を紹介します。原形を留める窯はチェンマイ国立博物館前庭移設の窯のみで、他は原形を留めていないのが残念です。

窯址巡りの前にパーン陶磁を見ることができる展示施設を紹介します。

先ず紹介するのはChao377号にも掲載したパヤオのワット・シーコムカム付属博物館(文化センター)です。ここでは、残念ながら綺麗な翠色の青磁盤を見ることができませんが、写真のようなやや肌色に発色した青磁の盤や壺などを見ることができます。

 ワット・シーコムカム付属博物館

肌色に発色した青磁盤

次はリニューアルされたチェンマイ国立博物館です。合わせても10点に満たないのですが、写真のようなパーン焼特有の刻花文様で装飾された碗を見ることができます。

 チェンマイ国立博物館

チェンマイ国立博物館 青磁刻花花卉文碗

パーン陶磁を見ることができる2つの展示施設を紹介しましたが、いずれも展示の品数は少なく、概要を理解するには物足りなさが残ります。

そこでもう1箇所紹介します。それはバンコク郊外ランシットのバンコク大学付属東南アジア陶磁館です。パーン陶磁の名品が皆様方をお待ちしています。ここではパーン陶磁の名盤をひとつ紹介しておきます。大振りの名盤です。

バンコク大学付属東南アジア陶磁館 青磁輪花縁刻花々卉文大盤

見込み中央には三弁の花卉文様が刻まれ、盤の端は外側に反れています。このような口縁を鍔縁(つばぶち)と呼んでいますが、その鍔縁が等間隔で削りこまれ、リズミカルな印象を与えています。このような形状の鍔縁を特に輪花縁(りんかぶち)と呼ぶこともあります。尚、中央の三弁の花卉文様ですが、大方の見方が花卉文と表現していますのでそれに従いますが、これは仏教で云うところの煩悩を打ち砕くチャクラ(投擲武器:とうてきぶき)を図案化したものと、個人的に考えています。

尚、蛇足ながらパーン陶磁の名品は日本の2箇所の展示施設で鑑賞可能です。一つ目は近年富山市立美術館に寄贈された敢木丁(カムラテン)コレクションと、福岡市美術館の本多コレクションです。まさに名品中の名品が所蔵されています。

●胎土(陶土)

素地に微細な黒と白の粒が散見されますが、夾雑物はほとんどなく緻密であり、陶器というより磁器にちかく固く焼きしまっているのが最大の特徴です。

●釉薬

他の北タイ陶磁諸窯は一つの産地で種々の釉薬や、装飾技法では鉄絵と判子を用いる印花文、掻取りで文様を示す刻花文など、複数の装飾技法を駆使していますが、不思議なことにパーン焼では青磁のみ存在します。その青磁は焼成時の還元度合いにより、まさに青磁の翠色に発色したものと、還元不足により肌色に発色したものと、2つに分類されます。特に翠色に発色した青磁は、細かい貫入(石垣のような釉薬のヒビ)が入っています。尚、青磁とは鉄分を含んだ釉薬で、それを還元雰囲気で焼くと、翠色つまり青磁色に発色します。還元度合いが低いと、肌色や鉄錆色に発色します。

●器形

翡色か肌色かは別にして、釉薬は青磁釉の一種類ですが、それが色々な器形と組み合わさって焼成されました。目にすることができる器形には以下のようなものがあります。

 盤、大皿、皿・・・それぞれ鍔縁付きと鍔縁無し(直口縁という)

 鉢、碗類

 大小の壺

 二重口縁壺(ハニージャーという)

 燭台の生活用具

この中で、最も多い盤や大皿にパーン焼の特徴があります。他の北タイ陶磁に比較し、盤や皿の高台は径が小さいのが最大の特徴で、焼成台に載せて焼成されたため、その焼成台の跡がクッキリ残っています。ここでは端正な姿の大きな壺を1点紹介しておきます。

●装飾技法

パーン焼には鉄絵による装飾文様が存在しません。またサンカンペーンやパヤオでみる判子を用いた印花文も存在しません。在るのは道具や櫛歯を用いた刻花文(猫描き手、櫛歯文)のみです。尚、無装飾の盤や鉢・皿も存在します。

パーン焼の刻花文の最大の特徴は、装飾の文様に独特なものがあります。それは二つの特徴をもっています。一つ目はシーサッチャナーライの文様と似た猫描き手(ねこがきて)の文様ですが、パーン焼のほうが大振りな感じを受けます。二つ目は見込み中央に三弁の花卉文様、その周囲には四匹の魚が右回りで回遊する見事な装飾の青磁盤です。この見込み中央文様は、ミャンマーの陶磁器に頻出するモチーフで、何らかの関連があると思われますが、詳しいことは分かっていません。

それでは二つ目の特徴である、三弁の花卉文様を中心に周囲を四匹の魚が回遊する刻花文の大盤と、十弁の花卉文様の盤を紹介しておきます。

 バンコク大学付属東南アジア陶磁館 青磁花卉四魚文大盤

バンコク大学付属東南アジア陶磁館 青磁花卉文盤

以上がパーン焼の特徴です。 

窯址を巡った順に紹介します。何度も記載して恐縮ですが窯址巡りでは、語学力に自信のない方は、タイ人日本語ガイドを同伴してください。

 バン・チャンプー古窯址

それでは窯址巡りです。先ずパーン市街を経由し、そこから10kmチェンライ方向に走ると国道1号の両側に家並が見え、行く手には横断歩道橋が見えてきます。そこを右折すると、バン・チャンプーまで3kmの道路標識が掲げられています。直進してその突き当りに在る、ワット・チャロエンムアンを左に曲がって、道なりに進むとバン・チャムプーの村落に到達します。当然ながらバン・バンチャンプー古窯址の位置など分かりません。そこでバイクで通りかかった人に尋ねると、その窯址の地主を知っているとのことで電話して頂きました。
バイクの人に尋ねた場所から200m北上し、その地主を尋ねると、既にバイクに乗って準備完了でした。地主のバイクを追走すると、小高い丘をのぼり寺院(ワット・パープッタ二ミット)に突き当たり、そこを左折して道なりに走ると、丘の下りになり田園の平地にでました。そこを尚400-500m北上すると、左手の田んぼのこんもりした立木が窯址でした。

 窯址と地主

レンガが一部残存する窯址

写真のこんもりとした処が窯址で、右の人が案内して頂いた地主です。畦道を伝って現地に立つと、殆ど崩壊しているが、煉瓦の基礎部分と散乱する陶片から、地上式の窯址と認識することができました。

 散在する窯址群の遠景

それにしても村人の案内がなければ、到達できないうえに地主に出会えたのはまことにラッキーでした。地主によれば、西の山塊の麓の田園の中にまだ窯址があるとのことでしたが、そこはパスすることにしました。上の写真の辺りとのことでした。

 ポンデーン窯群

 バン・チャンプー古窯址より国道1号に戻り、再び北上すること約5kmで家並が見えてきます。徐行してバン・ノーンパックジックの道路標識のところを左折し、ポンデーン古窯址でチェンマイ国立博物館へ移設前の窯が、在った処に向かことにしました。1kmも進んだでしょうか? 住居前に人をみたので、場所を尋ねると要領を得ません。更に近くにいた人にも尋ねましたが、知らないようでした。行ってみたいものの2人以外に尋ねる人もいません、チェンマイ国立博物館の前庭に移築復元されていることもあり、残念だがあきらめることにしました。
いよいよ最後はバン・ノーンパックジックの家並の手前で、ポンデーン古窯址群の西の端にある窯址群の探索です。国道1号左折地点より3kmも走ったでしょうか、丘を下って平地に出た地点に小川が流れており、そこを右折したまではよかったのですが、そのどこに窯址があるというのでしょうか?
運が良いのは重なるのでしょうか? たまたまバイクで通りかかった農夫に尋ねると、自分の所有地に在るので、ついて来いとのこと。追走すること1.5-2kmで小川が左へターンするところが目的地でした。何とラッキーなことでしょう。そこは、周囲が田んぼで、半径200m程のこんもりと木々が茂る林の中で、半分はラムヤイ(竜眼)の果樹が植わっています。

そこを入るといきなり左手に高さが1.5m、長さが5-6mのこんもりした封土がありました。そこが窯址のようで、陶片が散乱していましたが、窯の概要は分かりません。そこをパスして更に150-200m進んで行くと、林の西南端で田んぼとの境界付近に、比較的窯体が残る場所に案内されました。そこはタイ芸術局が過去に発掘調査したようで、立て看板が残っていました。窯の名称を案内して頂いた地主にたずねましたが、窯の名前はついていないとのことでした。そこはポンデーン古窯址群の西南の端に相当しています。残念ながら窯址は、タイ芸術局の調査とともに陶片も全て回収されていました。そこは煙突部らしき構築物と焼成室の基盤部分の煉瓦が残るが、焼成室幅が2mほどであったので、全長は5-6mと推測されます。

 残存する煙突

残存する窯址の煉瓦

窯址で見た陶片

ここも地元の案内人がいないかぎり、近くまでアプローチできても、古窯址にたどり着くのは困難と思われます。
帰途、ラムヤイ畑のなかには陶片の散乱物が無数に在り、青磁の陶片と共に焼成台などの焼成具も目に付きました。其の中でびっくりしたことがありました。パーンと云えば、盤や皿の縁の形状が輪花縁や鍔縁と呼ぶ形状で、刻花文や櫛歯文様の青磁盤(前掲写真参照)が著名ですが、ビックリしたことに当該盤は、口縁が釉剥ぎされ盤形も含めてサンカンペーンのようにも見えます。このような口縁の釉剥ぎの存在など思いもつきませんでしたが、驚き以外の何物でもなく新たな発見でした。

今回各古窯址ともに崩壊が激しく、まともな窯址を見ることができませんでした。そこでチェンマイ国立博物館の前庭に移設されている窯址を紹介して、パーンの一連の古窯址訪問記の終わりにしたいと思います。

 チェンマイ国立博物館移設のパーン・ポンデーン窯址

移設された窯址は、北タイ諸窯の中では異例の大きさで、長さは10mを越えます。これをみればサンカンペーン古窯などは三分の一の大きさでしかありません。この移設された窯址を観察すると窯壁が二重になっていることが、お分かりになると思われます。推測ですが天井も二重であったと思われます。これは青磁を焼成するための還元焼成による窯圧上昇で、天井や窯壁が崩壊するのを防止するための処置と、気密性向上の手段と思われます。優れた青磁が焼成できたことをご理解頂けたと思います。

 

<了>

 


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