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フィリピンへの仏教伝播と黄金のターラー女神像

2018-12-05 06:49:21 | 古代と中世

仏教の教義や『無』、『色即是空』等の形而上的なことについては、全く興味をもたない・・・難解すぎ、それがどうした・・・との心境になる。しかし形而下的な事柄には、多いに興味をもっている。以下、その類の話しである。

過日、セブのスグボ博物館で黄金のターラー女神像を見た。館内に入ると真っ先に目に焼き付いた。何と濃艶な女神像であろうか、しかも黄金である。

キャップションによると、”1917年ミンダナオ島北東のアグサン州エスペランザのワワ川の土手で出土した。13世紀後半から14世紀初頭のマジャパヒト時代①のヒンズー女神像で、叙事詩『ラーマーヤナ』にも登場する。仏教においては多羅菩薩と云う。発見場所に因んでアグサン像とも云う。マゼランが到着する前に仏教が信仰されていたことを示唆している”とある。

以下、フィリピンへの仏教伝播について概観する。5世紀の東南アジアがインド化の画期であったことは、この時期から中国史料に東南アジアにおけるヒンズー教や仏教の情報が現れることから伺うことができる。陸路でインドに渡り、海路で帰国した東晋の法顕は、東南アジア島嶼部について『外道婆羅門が隆盛し、仏法は言うに足らず』と述べているが、南宋に大乗戒を伝えたインド僧求那跋摩(Gunavarman)は、途中ジャワに立ち寄って仏法を伝えたとされており、島嶼部でヒンズー教と大乗仏教が併存していた状況を示している。

それでは現在のフィリピンの領域はどうであったろうか。イスラム到来前のミンダナオには、蒲端國(ブトゥアン王国)が在り、ミンダナオ北東部アグサン川流域のブトゥアンにあった中継貿易で栄えた海洋国家で、10世紀頃にはすでに占城(チャンパ)や馬来(ジャワ島のヌサンタラ)などとの交易を行っていた。11世紀までにブトゥアンはフィリピン諸島の交易・商業の中心となっていた。

そのフィリピンでは9世紀以降から仏教の存在を以下のように知ることができる。フィリピンは6-13世紀にかけて強力な仏教国家であったスリビジャヤ王国②の支配下にあった。9世紀前半にバジラヤーナ仏教が普及し始めた。いわゆる密教である。

フィリピンの仏教遺物が、考古学的調査で発見されている。それらは9世紀までの物が多く、遺物が出土した場所での仏教徒の存在を意味する。それらの場所は、ミンダナオのアグサン・スリガオ地域からセブ島、パラワン島、ルソン島にかけて広がっている。

バジラヤーナ仏教は島民の多くが信仰したであろう。そのバジラヤーナ仏教ではターラー女神(多羅菩薩)は、愛と思いやりを通して、その表情を見出す知恵の本質として、空の中で絶対を象徴している・・・とする。道理でなまめかし黄金像である。その像を考古学者ヘンリー・オーティー・バイヤーは、スリビジャヤ王国期のものとするが、様式の特徴から13世紀後半または14世紀初めのものと云われている。多分ジャワから輸入されたモデルのコピーであろうと推測されている。

ヒンズー教や仏教の緊那羅(キナラないしはキンナラ)の黄金像もエスペランザの遺跡から出土した。その他の仏教遺物は、主にタボン洞窟で発見されている。

巨大な彫刻や西域への旅を描いた絵画も発見された。以上がイスラム教やマゼラン到達以前の状況である。

しかしながら、イスラム到来により駆逐された感がある。現在フィリピンの仏教徒は推定値で2%とのこと、インドシナの国々と大きく異なっている。

マジャパヒト時代:1293年から1478年までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国の時代

②スリビジャヤ王国:7世紀後半から11世紀にかけてインドネシアやマレー半島、フィリピンに大きな影響を与えたスマトラ島のマレー系海上交易国家で仏教国。漢文では「室利仏逝」と音訳表記される

<了>

 


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