<続き>
前回までインドシナ各地の窯構造を概観してきた。北タイ陶磁の源流を考察する前に、インドシナ特にタイを中心にカンボジアとミャンマーの文化的背景を概観しておく。
<環濠集落分布>
先に「日本と泰国の環濠集落」とのテーマで、タイの先史時代からドヴァラバティー時代や北タイのハリプンチャイ朝までの環濠集落を紹介してきた。先史時代のそれは先住民であったモン・クメール系民族の環濠であり、ドヴァラバティーやハリプンチャイのそれは、モン族の環濠である。以下、それらの環濠(あくまでも一部の環濠であるが)をクメール(アンコール帝国)の最大版図を薄い桃色で、ハンタワディー・ペグー朝、ドヴァラヴァティー王国、ハリプンチャイ朝のモン族国家の版図を薄い水色で示した中にプロットした。
カンボジアに環濠集落が存在するかどうか不勉強と怠慢で調べていない。ミャンマーの環濠集落については図上にプロットしていないが存在する。ヤンゴンとペグーの中間に存在するラグンビーはモン族の環濠の一例である。
モンとクメールの勢力下にあったタイ中部に環濠集落が分布するほか、タイ北部のモン族勢力下にも環濠集落が分布する。北タイと中部タイに窯址が点在するが、それはモン族勢力下の地であったことに留意したい。
<仏教遺跡分布>
●タイ東北部や中部はクメール様式の仏塔(プラーン:トウモロコシのような仏塔)が立ち並ぶ、クメールの勢力下であり、当然と云えば当然である。
●ところがタイ北部(後世のランナー領域)は、モン族のハリプンチャイ様式の仏塔である。
●そのハリプンチャイ領域にあって、チェーンセーンにワット・パサックなるシュリービジャヤ様式の仏塔が建っている。シュリービジャヤと云えば、スマトラやマレー半島先端のマレー系民族の美術様式である。それが距離的に隔たるチェーンセーンに何故・・・ということになる。・・・この謎解きは次回。
上の版図に各遺跡の位置と共に、主要窯址群の位置もプロットした。如何にも重なる・・・ことをご理解頂けたと考える。一部の無釉陶やクメール(ブリラム)陶を除き、北タイや中部タイの開窯はタイ族西南下・南下後とおもわれるが、彼の地の先住民の何がしらの土壌抜きに考えられない重複である。
<続く>
前回までインドシナ各地の窯構造を概観してきた。北タイ陶磁の源流を考察する前に、インドシナ特にタイを中心にカンボジアとミャンマーの文化的背景を概観しておく。
<環濠集落分布>
先に「日本と泰国の環濠集落」とのテーマで、タイの先史時代からドヴァラバティー時代や北タイのハリプンチャイ朝までの環濠集落を紹介してきた。先史時代のそれは先住民であったモン・クメール系民族の環濠であり、ドヴァラバティーやハリプンチャイのそれは、モン族の環濠である。以下、それらの環濠(あくまでも一部の環濠であるが)をクメール(アンコール帝国)の最大版図を薄い桃色で、ハンタワディー・ペグー朝、ドヴァラヴァティー王国、ハリプンチャイ朝のモン族国家の版図を薄い水色で示した中にプロットした。
カンボジアに環濠集落が存在するかどうか不勉強と怠慢で調べていない。ミャンマーの環濠集落については図上にプロットしていないが存在する。ヤンゴンとペグーの中間に存在するラグンビーはモン族の環濠の一例である。
モンとクメールの勢力下にあったタイ中部に環濠集落が分布するほか、タイ北部のモン族勢力下にも環濠集落が分布する。北タイと中部タイに窯址が点在するが、それはモン族勢力下の地であったことに留意したい。
<仏教遺跡分布>
●タイ東北部や中部はクメール様式の仏塔(プラーン:トウモロコシのような仏塔)が立ち並ぶ、クメールの勢力下であり、当然と云えば当然である。
●ところがタイ北部(後世のランナー領域)は、モン族のハリプンチャイ様式の仏塔である。
●そのハリプンチャイ領域にあって、チェーンセーンにワット・パサックなるシュリービジャヤ様式の仏塔が建っている。シュリービジャヤと云えば、スマトラやマレー半島先端のマレー系民族の美術様式である。それが距離的に隔たるチェーンセーンに何故・・・ということになる。・・・この謎解きは次回。
上の版図に各遺跡の位置と共に、主要窯址群の位置もプロットした。如何にも重なる・・・ことをご理解頂けたと考える。一部の無釉陶やクメール(ブリラム)陶を除き、北タイや中部タイの開窯はタイ族西南下・南下後とおもわれるが、彼の地の先住民の何がしらの土壌抜きに考えられない重複である。
<続く>
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