――荻原秀三郎著『稲と鳥と太陽の道』―― シリーズ(11)
以下、荻原秀三郎氏の著述より、“唐古・鍵遺跡出土の踊るかのような人物の頭上に鳥の羽毛らしきものがある。また清水風遺跡出土土器にも同一工房の製作と考えられる土器絵画がある。
(唐子鍵遺跡出土土器片・唐子鍵ミュージアム)
(シャーマン推定復元象・唐子鍵ミュージアム)
(清水風遺跡出土土器片・唐子鍵ミュージアム)
シャーマンと思われる人物は、首の上に半月状の頭部があり、さらにその上に鳥毛がのびる。高々とあげた両腕は踊る姿をあらわし、胸に鹿を描く。鹿は聞き耳を立て鋭敏に異界の情報を察知する。超能力の持ち主と考えられていたであろう。シャーマンは神衣(鳥装)によって、神(鳥霊)に変身していく。“
鳥装のシャーマンの事例が、朝鮮半島、中国や苗族に存在するとして紹介されているが、それについてはここでは省略する。
稲吉角田遺跡出土土器の線刻絵画には、ゴンドラ風の舟に乗る羽人が描かれている。これは過去に紹介したように銅鼓に描かれた羽人と同じである。
(稲吉角田遺跡出土土器片)
“貴州省東南部の苗族が鳥装してロングボートを漕ぐのは、田植後に行われる祖霊への豊作祈願だ。龍舟には『風調雨順』と筆書きされている。舟尾チガヤをさし、手に手にもったチガヤを川に流して、水死者の霊を慰め、今後の田仕事、天候に事なきを祈る。苗族はイネ科のチガヤをイネの象徴として使い、あらゆる宗教活動に欠かさない。稲吉のロングボートの舳先にはチガヤ状の植物がみえる。稲吉と同じ弥生中期の唐古・鍵遺跡出土の壺に線刻されたロングボートの先端に立つ人物は、丈の高いチガヤを川に流しているかにみえる。
苗族の龍舟については以下を御覧願いたい。貴州 苗族の龍舟祭り~「セイナン・スカイ」 中国西部旅行専門 (seinansky.com)
こうして鳥装し、鳥巫として鳥に限りなく近づこうとするのはなぜなのか。春成秀爾氏は、稲吉も唐古の場合もシャーマンが船に乗って、鳥の世界に近づいて鳥を迎えに行こうとしていると解する。なぜなら鳥が人間界に初めて稲の穂をもたらしたという伝承があり、鳥の世界が海の彼方にあるとしたら、翼をつけ舟に乗って行かなければならないからだという。
果たしてどうか。稲の原郷である中国長江流域の稲作民の伝承世界を見すえてからでなければ結論は出せない。鳥装の人物については、広く東アジア的視野でなければ本質に近づけないであろう。“
以上が荻原秀三郎氏の論旨である。ここで、鳥装の苗族がロングボートを漕ぐのは、稲作の予祝儀礼であろうとする点に異存はない。しかし日本の考古学や民俗学で定説とされる鳥装の人物は果たしてシャーマンなのか、個人的に少なからぬ疑問を抱く。苗族はほぼ全員が鳥装している。彼らすべてがシャーマンであろうか? 荻原秀三郎氏は、この鳥装の人たちを『鳥夷』とも記しておられる。鳥は限りなく精神的な拠りどころとするトーテムで、単にシャーマンが鳥装するのと、意味合いが異なると考える。つまり鳥装の人々は民族を表す風俗で、必ずしも鳥装のシャーマンとは限らないであろう。それは下記の『尚書』の記事からも伺われる。
『尚書』の夏書・禹貢・揚州(揚子江中下流域・楚の地)に”鳥夷”がでてくる。
淮海惟揚州。 彭蠡既豬、陽鳥攸居。 三江既入、震澤厎定。 篠簜既敷、厥草惟夭、厥木惟喬。 厥土惟塗泥。 厥田唯下下、厥賦下上、上錯。 厥貢惟金三品、瑤、琨、篠、簜、齒、革、羽、毛惟木。 鳥夷卉服。 厥篚織貝、厥包橘柚、錫貢。 沿于江、海、達于淮、泗。
鳥夷は卉服(きふく)すとあり、鳥夷は草で織った衣服を着ており、これを貢納していた。
その昔、楚には鳥夷がいたと尚書は記す。楚とは苗族本貫の地であろう。その苗族は鳥夷であろう可能性が捨てきれない。その鳥夷と目される人々が倭へ渡海した、或いは浙江から華南、北越にかけての鳥夷に繋がる人々、その中の人が指導者なり、巫覡となったが故の鳥装のシャーマンと解したい。つまり鳥装の人々は、古来日本に大きな影響を与えた鳥夷であったと思われる。・・・何やら噺が論証なしで飛躍してしまった。噺し半分どころか十分の一程度と思っていただければよろしいかと・・・。
<シリーズ(11)了>
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