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宇宙樹と新年の柱

2020-12-01 08:37:30 | 日本文化の源流

――荻原秀三郎著『稲と鳥と太陽の道』―― シリーズ(10)

以下、荻原秀三郎氏の著述の引用である。“扶桑・若木と考えられる神樹を描いたものに湖北省随州市戦国曽候乙墓出土の衣装箱がある。紀元前五世紀の楚文化に属するもので、鳥はまだ烏(カラス)としては描かれていない。樹木は二本一対で上下が対応する形で四本描かれている。一対の樹木は枝の数に違いがあり、十一本のものと九本のものとが並び、それぞれ枝の先端には光を発するような姿の花がついている。十一の花をつけた樹の上には二羽の鳥が、九つの花をつけた樹の上には二頭の獣が描かれている。両樹の間で弓矢を射る人と、それにあたって落下する鳥の姿が見える。

(出典:曾布川寛氏論文『漢鏡と戦国鏡の宇宙表現の図像とその系譜』)

一樹十一枝で花が十一あるのは十一の太陽を表すが、仮に射落とされた鳥を一つと数えると十二となる。一樹九枝九光華の上には二頭の獣が描かれるが、これは『楚辞』にある月中の『顧莵(こと)』であり、それは楚で云う『虎』のことであると云われている。射日神話では英雄・羿(げい)は余分な太陽を射落とし、害獣も退治している。

曽候乙墓の衣装箱には銘文があり、農業の吉祥を示す星を祀り、調和を得て豊作であらんことを祈願する意が示されていることから、衣装箱に描かれた宇宙樹(神樹)は旱魃を治める射日神話の一場面であるとする。

黔東南(けんとうなん)雷山県上郎徳の苗寨では、苗年になると村の広場中央に鶺宇鳥(ジーユイニャオ)のとまる杆(柱)をたてる。杆の頂近くに水牛の角をあらわす横木があり、ここから銅鼓が吊るされる。石畳の中央には穴があり、そこから銅鼓の太陽紋と同様の放射状の文様が描かれている。

(出典:新華報 China News)

(出典:新華報 China News)

この杆をめぐって左回りに芦笙踊りが行われるので、杆を芦笙柱とよぶが、苗族にとっての神樹・楓香樹でできている。銅鼓はふだん洞窟などに埋めておき、祭りの時などに掘り出してたたく。

芦笙柱の上には木彫の鳥がとまる。山の野生のニワトリ(白寒鳥、苗語でノンソウ)だが、村によっては鳳凰を象る。柱の中程に水牛の角が出ていて、柱には龍が巻かれる。龍は昇り龍・降り龍が彫刻されているか描かれている。

(出典:荻原秀三郎著『稲と鳥と太陽の道』より

黔東南四栄郷雨卜村では、芦笙柱を中心に行事があるのは苗年だけではなく、春分と秋分にも牛を贄にして祖先を祀り、春社、秋社の祭りが三日間にわたって行われる。雨卜村では田の真ん中に祭りのたびに仮設の草屋根の小祠を建てる。この小祠は土地の守護神の依代である。小祠の傍らには祭竈(さいそう)が築かれている。春分・秋分には真東に昇る太陽を柱の鳥が迎えている。芦笙柱の頂にとまる鳥が太陽を迎える鳥であることは、宇宙樹上の鳥が太陽を象徴することとひとしい。

(出典:China News)

(出典:新華報)

苗年には、芦笙柱をめぐって芦笙舞・采堂が行われる。内回りの男たちの芦笙には白いニワトリの羽根やチガヤがさされ、采堂を踊る外回りの女性たちは鳥の羽根を象る衣装で身をかため、羽毛をいっぱいにつけて鳥装している。こうした鳥装の衣装を白鳥衣といって、貴州省東南部円寨県・三都県中心に、隣接する広西では北部の杆洞地域に多い習俗だという。“

中国古来の射日神話に登場する宇宙樹と芦笙柱について論述されている。中国古来の神話・伝承が芦笙柱を巡る芦笙舞に反映されているのかどうか、やや不明な点も残存するが、これらの古い伝承が周辺の少数民族に残っている事例は多い。

荻原秀三郎氏は、祭りの度に仮設の草屋根の小祠を建てる。これは土地の守護神の依代であると指摘されている。当該ブロガーが黔東南四栄郷雨卜村に行って現地調査したわけでもないが、果たしてこの小祠は土地の守護神の依代だけであろうか・・・との、かすかな疑問が湧く。なぜ小祠の傍らに祭竈を築くのか? これは土地の守護神に対し豊作を感謝する稲作儀礼、つまり新嘗祭であろう。祭竈で新米をたき食することに意味があり、その小祠は田ノ神の依代に他ならないと考える。これと似た儀礼が北タイに存在する。田の一角に竹で祠を造り、そこで収穫儀礼をおこなう姿にかさなって見える。

かつて北タイの少数民族・バローン族のラック・バーン(ムラの祖柱)をみた、前述の苗族のような祭りがおこなわれているのであろうか? 吉野ヶ里遺跡の一本柱での祭りはどのようなものであったのか。苗族の宇宙樹と新年の柱の概念は存在したであろうか? 御覧の各位の判断や如何に。

<シリーズ(10)了>

 


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