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中編・四ツ目の方相氏

2023-08-12 07:24:01 | 日本文化の源流

<前編の続き>

過日、京都吉田神社大元宮の方相氏(ほうそうし)なる四ツ目の鬼神像を見に行ったが、扉がしまり拝顔すること能わず残念であった。

2月2日夜の吉田神社の節分祭(追儺式とも・ココ参照)は、方相氏と呼ぶ四ツ目の鬼神が登場し、赤鬼・青鬼・黄鬼を退治すると云う。中国の『周礼・しゅうらい』(前3世紀―前1世紀)は、弥生時代中期に相当する儒教経典の一つであるが、それに方相氏なるものが記されている。

“方相氏掌、蒙熊皮、黄金四目、玄衣蒙朱裳、執戈揚盾、師百隷、而(しこうして)時難、以索室敺(おう、く)疾、大喪先置、及墓入壙、以戈撃四隅、敺方良。” 方相氏は熊の毛皮をまとい、黄金の四ツ目仮面をかぶっており、身に着けた衣服は朱と黒である。手には戈と盾をもち、たくさんの付き人を従えている。ときにやらいの声をあげて、宮室のなかで疾鬼がいないか探る。葬列の先頭に立って墓のなかに入り、戈で四隅を打ち払い、方良を退治する。

方良とは山や川の怪である魑魅魍魎のチミとされモウリョウは人を食す。方相とは四辺に区画された結界のことで方位除けや陰陽五行説に由来すると云う。この方相の災厄を駆逐するための役割を「方相氏」と云うとのこと。古典によれば中国古代・殷の職能的氏族とも云う・・・と、ある。

吉田神社の節分祭では、四ツ目の方相氏が童女をしたがえて、桃の弓でいらくさの矢を放ちながら赤丸五穀①をまいて鬼を払う祭礼である。

この方相氏なるもの、我が国で歴史上どこまで遡れるのであろうか。考古学者で東大名誉教授の設楽博己氏によれば、藤ノ木古墳(6世紀後半)出土の馬具に方相氏が刻まれているとのこと。かつて橿原考古学研究所付属博物館で、その馬具の複刻版をじっくりみたが、全く気付かなかった。図が掲示できなく、文言のみで恐縮であるが、それを見ると人物像は、斧を手にして顔を斜め上に向けており、憤怒の形相である。これが方相氏であるとされている。6世紀には既に方相氏の思想に触れる機会があったことになる。

清水風遺跡出土線刻絵画土器片 異形の頭上飾りと戈、盾を持つ人物像

いやいや古墳時代どころか、弥生時代後期まで遡れるとなえるのは、春成秀爾氏で、清水風遺跡出土土器片に異形の頭上飾りと戈、盾を持つ人物像が描かれていることから弥生中期後半には、方相氏の思想は近畿地方に入っていた可能性を指摘している。

先に、方相氏は周礼に記されていると記した。その成立は春秋戦国時代以降のことであるが、成立年代からすれば方相氏と呼ぶ管掌制度が戦国時代あるいは前漢の時代、つまり弥生中期と同時代に存在している。

春成秀爾氏によれば、その直後の弥生時代中期後半に近畿に及んだとしておられるが、本当かいな・・・とやや疑問に感じなくもない。

この方相氏について、更なる追求をしていると思わぬ展開となった。それについては次回記事にしたい。

注①・赤丸五穀:赤丸=小豆 五穀=米、麦、粟、豆、黍(きび)

<後編に続く>

 



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