世界の街角

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前編・目一つ鬼と目籠

2023-08-09 09:22:18 | 日本文化の源流

出典・WikiPedia

写真は鳥取県境港市水木しげるロードの『一つ目小僧』ブロンズ像である。いきなり横道に反れたが、『目一つ鬼』から説き起こす。出雲国風土記に以下のように記されている。

『大原郡阿用郷条』に“郡家東南一三里八十歩。古老傳云、昔或人、此處山田佃而守之。爾時、目一鬼来而食佃人之男。爾時、男之父母、竹原中隠而居之。時、竹葉動之。爾時、所食男云動々。故云阿欲。〔神亀三年、改字阿用。〕・・・とある。つまり、”郡家の東南一十三里八十歩の所にある。古老が伝えて言うには、昔、ある人がここの山田を烟(けむり)たててこれを守っていた。そのとき、一つ目の鬼が来て、耕している人の息子を食べた。そのとき、息子の父母は竹原の中に隠れていたが、竹の葉が動いた。そのとき、食べられている息子が「あよ、あよ。」と言った。だから、阿欲(あよ)という。〔神亀三年に字を阿用と改めた。〕“・・・となる。

阿用郷の地名譚であるが、父母のなんとも惨いことか。目一つ鬼の文献上の初出をしらないが、前述の出雲国風土記大原郡阿用郷条の地名譚は、最も古い部類に入るかと思われる。

茅ヶ崎市下寺尾官衙(かんが)遺跡は、平安時代初期(9世紀)の遺跡であるが、そこの七堂伽藍跡から、一つ目墨書土器が出土した。かつて2月8日と12月8日を「事八日(ことようか)」と云ったが、この日に“一つ目鬼”が来ると云う伝承があり、目一つ鬼に備えて、竹竿の先に目籠とヒイラギの枝をつけて軒先に飾る習慣があったとされる。写真は、静岡市経済局の“オクシズ推し!ニュース”より借用したものであるが、そこには目籠がたてられ、目一つ鬼の侵入を防ぐ辟邪とされている。

目籠

竹のヘギで編んだ辟邪目的の肖形は、東南アジア少数民族のターレオ(辟邪の鷲の目)や日本の勧請縄にも見ることができる。

チェンマイ民族学博物館展示のターレオ(鷲の目)

北タイ山岳部少数民族のターレオ

滋賀県野洲市八幡宮の勧請縄

これらの肖形物は、東アジアや東南アジア諸民族の共通の習俗であったと考えられる。日本人も含め、それらの諸民族の本貫の地が、揚子江中・下流域の地であったことを物語っている。

<中編に続く>

 



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