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北タイ陶磁の源流考・#50<窯詰め技法>

2017-04-11 09:35:19 | 北タイ陶磁
<続き>

前回は、製陶における基礎技術のひとつである轆轤の回転方向を見てきた。結果は約100年で変化した事例を観察でき、時間の経過により基礎技術と云えども、変化しうる可能性に言及した。
今般は、窯詰め技法について検討してみたい。下表はそれを一覧表にしたものである。
情報が不明な点も多々あり、全てを網羅しているわけではないが、バラバラの印象である。
北ベトナムのタム・トーについては情報が得られていないが、北ベトナムは隣接する中国の影響をうけた窯詰めが、行われていたと考えてよさそうである。それと似た
窯詰めが行われていたのは、シーサッチャナーライとスコータイである。シーサッチャナーライ最初期のMON陶を除き、シーサッチャナーライの時期はやや下り14世紀頃である。その時代のシーサッチャナーライでは、中国からの陶工来訪説に加へ、暹羅国の使節が帰国時、大越国の陶工を伴ったとの伝承がある。その伝承とは別に時代はやや下るが、「大越史記全書」黎太宗招平四年(1437年)の条に、「暹羅国遣使察罡刺等入貢、帝以勅書使之賚還・・・・略・・・・賜国主分色絹二十匹、磁碗三十副、国妃分色絹五匹、磁碗三副、毎副三十五口」とある。国主つまり暹羅国王に対し磁碗30副×35口=1050口の磁器を賜ったとしるしている。この時代大越国と暹羅国には交渉があり、その影響としての類似した窯詰め技法と解釈したい。
そのタイにあってMON陶と北タイの窯詰め技法が共通している点に注目したい。もう一つの注目点は、窯様式が類似する中部ベトナムと、クメール・タニ及びブリラムの違いである。前者は匣鉢を用いるのに対し、後者はそれを用いない点にある。これらは何を物語るか容易に答えは思いつかない。
この一覧表による、陶窯地間の相違と相似をみていると、重要な基礎技術のひとつである窯詰め技法もまた、変化しうることを示しているように思われる。従って窯詰め技法が異なるので、窯が中國→北ベトナム→北ラオス→北タイへと伝播した可能性を否定することはできないと考えるが、如何であろうか。

                                    <続く>