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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

鳥取県立博物館(1)

2021-07-29 07:52:02 | 博物館・鳥取県

今回から鳥取県立博物館の展示品を紹介する。初回は縄文時代の土器を中心とした遺物である。

パネルに説明されているように、縄文土器は15000年前に製作が始まった、これは世界最古であり、我々の祖先は世界最先端のテクノロジーを駆使していたのである。土器の厚さは5mmほどである。中国の玉蟾岩遺跡(ぎょくせんがん)の土器の厚さは1cm以上であった。この時代のナイル川流域やメソポタミアでは、まだ土器を作る技術をしらなかった。縄文人は土器により食べ物を煮炊きし、健康増進に寄与していたと思われる。縄文時代は世界に先駆けた時代であったことを誇りたい。

以下は、石製品である。

下左は玦状耳飾りである。日本の縄文時代と同時代の中国・長江下流域の遺跡からも、この玦状耳飾りが出土する。縄文人は15000年前に中国本土と交流があった証であり、縄文人は世界に誇る日本人の祖であったことになる。

<続く>

 


青谷上寺地遺跡展示館(4)

2021-07-23 09:20:58 | 博物館・鳥取県

<続き>

引き続き木製品を紹介する。

木製の盾である。青谷上寺地遺跡の地も魏志倭人伝記載の倭国大乱に巻き込まれた。頭骨が陥没した人骨も出土している。前回も記したが朱と黒(退色している)は聖なる色で辟邪の色である。それが木製盾に用いられている。渦巻き文もまた辟邪文である。

ほぼ完形の箱型琴が日月星辰文様入りで出土している。稲作儀礼などに用いられ歌舞飲食していたものと思われる。

弥生人は活発に交流していた。展示館は朝鮮半島南部との交流を匂わせているが、朝鮮半島のみならず長江下流域との交易もあったであろう。船団線刻板のように船団を組んで交易していたと思われる。

遺跡出土の貨泉、銭貨が歩いて来るわけではない。中継貿易により入手したのか、はたまた遺跡の住人が長江下流域迄出かけたのか。いずれにしても、ココの住人の行動範囲は広かったことが想定される。

<続く>

 


青谷上寺地遺跡展示館(3)

2021-07-22 08:57:10 | 博物館・鳥取県

<続き>

今回は木製品製作用工具とそれらにより作られた木製品を紹介する。現代に通じる匠の技を見ることができる。

キャップションは儀式用と記すが、弥生期において、まともな道路がなかった時代に集落外に出る時にも用いたのでは・・・と想像している。

これは土器ではありませんよ。先に紹介した工具を称しての刳りものです。匠の技以外のなにものでもない印象です。上の漆塗り曲げ物のキャップションにも記載されているが、当時においては赤と黒は聖なる色というか邪気を払う色彩であった。従って多用されている。

<続く>

 


青谷上寺地遺跡展示館(2)

2021-07-21 14:02:49 | 博物館・鳥取県

<続き>

今回は炭化米の塊、つまり潟湖周辺で水田耕作をしていた証と、潟湖や沿岸での漁撈を示す出土品を紹介する。

炭化米の塊である。

小舟で櫂を漕ぎ漁撈していた。網を使い銛を使い、時には潜水して貝類を獲得していた。

これは網の土錘である。どのような形で網を仕掛けたのであろうか。

アワビオコシは潜水漁撈具である。魏志倭人伝の記載記事そのものである。

<続く>