まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

小沢党首代表辞任の本音

2009-05-12 | 発言
往年、映画俳優の鶴田浩二が昭和45年にヒットした「傷だらけの人生」の一節、「何から何まで真っ暗やみよー 筋の通らぬことばかりー 右を向いても左をみてもー バカと阿呆のからみあいー どこに男の夢があるー」。小沢の本音はまさにこの歌の歌詞のようだろう。検察の理不尽な政治介入、マスコミの権力にへいこらした大本営発表、それに煽動された国民たち、みんなばかやろうだ。それにもまして、民主党内部の身内から小沢降ろしがとまらなくなって、これが一番こたえたに違いない。人というものは、どんなに苦境に立っても耐えられることができる。しかし、そんな時、身内の裏切りに出会うと耐えられなくなるものだ。富士山ろくをうろつく自殺者の多くは、苦難とともに女房なり子供なりの冷たい一言が自殺の引き金になっていることが多い。人間というものはそういうものだ。小沢だって、大久保秘書起訴後の代表続投宣言で、その後民主党が一枚岩で小沢代表を支持していたら、国民の支持率は徐々に回復していただろう。それを前原のバカを筆頭に我欲ばかりの民主党内部の側近議員まで「このままでは選挙に勝てない」とガタつき、マスコミに自ら小沢批判を垂れ流し、さらに悪化の一途を辿っていった。まさに醜態である。結論から言うと、6月から大久保秘書の公判が始まるが、最高裁まで行っても必ず無罪になる。地検特捜部は小沢収賄罪の見込み捜査の大失態を隠すために政治資金規正法違反というザル法で大久保秘書を起訴しただけであり、あれは必ず無罪になる。冤罪なのである。しかし、裁判は何年もかかる。それまでの長い間、逆にマスコミによる魔女狩り裁判は続くのである。今日でさえ「金権小沢の失政」と朝日は書きたてているが、企業や業界からの政治献金は、年間民主党12億円に対して自民党は128億円と10倍以上だが、そういうことは一言も書かない。朝日を始めとした大新聞・テレビなどのマスコミは、権力に抗するジャーナリステックな姿勢を忘れ、ひたすら権力にへつらった報道を垂れ流している。そして、国民はそれをうのみにして、煽動されている。この状況は、ドイツのヒットラーを熱狂的に支持したドイツ国民、東条内閣を支持し、日の丸を振って戦争を支持した当時の日本国民と図式が全く同じである。みんなマスコミの歪んだ「大本営発表」に洗脳させられてしまうのである。世の中というものはそういうものである。虚妄の中にある真実を掴む人はだいたい3割、あとの7割の人は、深く考えもせず、群集心理で右へ左へと言われるがままに動くバカモノである。それらを真実に導くのが、本来マスコミである。マスコミは影響力があるだけに、7割のバカな国民を正しい前途に導く義務があるのである。ところが、相変わらず今のマスコミは「何々戦で大勝利」「欲しがりません、勝つまでは」と戦争当時とまったく同じく、ひたすら権力側に有利な報道ばかりで、真実を伝えようとしていない。「なにからなにまで真っ暗やみよー 筋の通らぬことばかりー」と、小沢の歌が聞こえてきそうだ。

「流離いの万馬券師」のすごさ!

2009-05-11 | 発言
中央競馬は毎週土曜日曜の二日間開催しており、昨日はNHKマイルカップという重賞レースがありました。ぼくもそのレースの馬券を前日競馬場に行った時に買っていて、昨日はテレビ観戦しながらワクワクドキドキ、ところが100円で14200円の万馬券となり、またまた見事的中しました。半年に一回取れるかどうかの万馬券をここのところ四回も連続取ったので、自分でも一体どうなってるんだろうって、ちょっと驚きです。ところが「流離いの万馬券師」(HPのアドレス http://guchi2.sakura.ne.jp/man/topman.html)さんはこの二日間で70万円も儲けました。この人は何を隠そう七つ上のぼくのお兄ちゃんです。京都淀の競馬場近くに住んでいて、競馬の配当だけで年間600万円前後を稼いでいます。そのうち半分を馬券購入に当てていたとしても年間300万円の利益を競馬で得ていることになります。お兄ちゃんの競馬暦は長く、ばくち打ちのどん底まで堕ちて、お金がなくなり、コンビニで弁当を盗んだこともあるくらいです。それでも彼は執念で自らコンピュータによる予想解析プログラムを発案し、開催のあるたび勝ち馬などのデーターをこの10年入力し、今ではそのプログラムによって、馬券を購入、コンスタントに月6本前後の万馬券を的中させているのです。一昨年は200円で90万円をゲットしたこともあるし、一昨日は300円で30万円、昨日は1441倍の大万馬券を的中させ40万円の配当を得ました。まさに、スゴイの一言です。本人は「バクチはバクチ、はまったらイカンぞー」と他人には言うのですが・・

一生に一回の大当たり!

2009-05-10 | 随筆

四日間の雨続きでパチンコばかりして運動しないと脚がガタガタ。で、昨日は東京競馬場に行きました。駅まで35分歩いたり、よく歩けるのでバクチという目的と実益を兼ねての競馬場です。ところで、パチンコ・競馬など賭け事には不思議と波があって、勝ちだすと上げ潮に乗って勝ちが続き、負け始めると何をやっても負け続けます。まあ、トータルすると結局は持っていかれますけどね(笑い)。で、先週は「天皇賞」という大きなレースがあって、三連複(1.2.3着の馬を当てること)で見事的中、32000円の万馬券の配当を得ることができました。万馬券というのは、100円で1万円以上の配当があることを言います。で、昨日はその券を換金して、資金にも余裕があるので、ちと頑張ってみましたら、6レースでやはり三連複で配当29570円の万馬券を見事的中<。さらに新潟11レース・新潟大賞典で、今度は馬連(1.2着の馬を当てること)で、配当29470円のまた万馬券を的中、万馬券などめったに出ないなかで、一日二本も的中して、投資した一万円を差し引いて5万円が儲かりました。天皇賞3万円の換金も含め、ああ、これでしばらくパチンコ代に事欠かなくて済むなあって、微笑んでおりやす。やっぱり、男は勝負!が好きですねー。そのうち負け続けのスランプが目に見えてるのに・・。現役引退で仕事で勝負できないので、そんな横道で勝負しているワタクシです(笑い)。/font>

芸術を目指す人たち(3)

2009-05-09 | 発言
日常生活意識と非日常意識とはどう違うのか。非日常意識には、破壊、創造、デンジャラスゾーン、刹那、歓喜、絶望といった極端な感情が伴う。日常意識は皆さんご承知の通り、保守的、習慣、怠惰、無感動といったものが伴います。天才と狂気は紙一重と昔からよくいいますが、やはり、創造は非日常意識の中にあるので、一般社会人からみると芸術家はヘンなのが多いはずです。往時の画家岡本太郎も「人生は爆発だあ」っと言ってちょっと変わっていましたね。ところでぼくの知っている人に「中島實」という画家がいます。ぼくが21歳の時、京都に旅行に来ていたイボン、ギー、というフランス在住のカナダ人に出会って、フランスで彼らの友人だった人です。フランスとドントーヌ会員で、パリに在住して、年に一度百貨店で個展を開き、売れた収入でまたフランスで絵を描き続けています。彼の絵は原田さんのような写実的な絵ではなく、詩情的な作風です。まあ、難しいところです。芸術家といっても食わなければいけない、日常生活もしなければならない。秋になると日展、二科展など多数の公募展が開かれ、「今」に切り込んだ新鮮な作品に出会うことも多いですが、いい作品ほどスゴミがありすぎて売れないことのほうが多いようです。「荒木初恵」さん、今は結婚されて小谷初恵さんというぼくの同級生がいますが、彼女などは二科展に何度も入選してましたが、結婚して、園芸店のお上さんになられまして、絵はやめられたようです。日常生活と芸術の両立というのはなかなか難しいようです。

すずめは子育ての真っ最中

2009-05-08 | 発言
まったく今日で四日続けて雨ばかり、お陰で日夜パチンコ屋通いです(笑い)。ところで、庭で上の写真のように、すずめに毎日エサをやっていますが、この頃は集団でくることがなくなりました。で、よく観ていると、一匹が口にくわえて何回も往復している。行き先を突き止めたら、隣の軒下でピーピーとヒナたちが鳴いていました。魚釣りの師匠がすずめのヒナを飼いたいと言っているので、庭のモミジの木に巣箱を置いていたら、シジュウカラ夫婦が巣作りをしてせっかく卵を産もうとしていたのに、すずめがつっついて、追い出してしまった。そのすずめが卵を産むかと期待していたら、隣で産んでいる。まさか、頬被りして隣の家に侵入して雛を取るわけいかんし、まあ、師匠には来年期待してもらうしかない。ところで、その親すずめ、なにやら白いものをくわえて、逆にエサ箱に持ってくる。どうもヒナの糞らしい。この糞があると他のすずめが寄り付かないようだ。だから独占状態でエサをヒナに与えることが出来ている。去年やはりすずめのヒナが巣立ってエサ箱に着たが、他のスズメ達はヒナがエサを食べ終えるまで近寄らなかった。どうも子供優先という不文律でもあるようだ。そういえば猫社会もそうだ。以前近所の人が10匹近く野良猫を買っていたが、エサをやると、必ず子供猫が食べ終えるまで他の猫は自分の子供じゃないのに待っていた。動物たちは種の保存のために、子供優先という不文律があるんですねー。

芸術を目指す人たち(2)

2009-05-07 | 発言
日常生活を送っていると、人生、こんなものでいいのかなーという疑問がわきます。本来人間はもっと大きなものなのに、こんなチマチマした生活でいいのかなーと感じる時があります。つまり、日常からはみ出る意識が芸術に向かわせます。だから逆に言うと芸術家の殆どは家庭を疎かにし、社会との調和した生き方が出来ない人が多くいます。また中年になって、非日常的な世界に飛び込んでいく人もいます。画家のゴーギャンは45歳まで証券会社に勤めていましたが、その歳で画家に転向しました。私の知っている人に「原田信政」さんという人がいました。ぼくの勤めていた出版社に原田さんの姉さんが勤めておられ、その関係で知り合うようになりました。彼は美大卒業後、イラストレータとして独立し、小さな広告代理店を経営していました。奥さんも子供もある身で、やはり45歳の時に、一切の仕事を整理して、油絵に没頭するようになりました。当初は子供を描いたり、いろんな絵を描いていました。別に大きな賞を取ったわけでもありませんが、広告代理店をやっていたせいでしようか、交渉力があるので三越百貨店で個展を開くようになりました。会場に行って観ると、繊細なタッチで、まるで写真のような風景画がズラリと並び、その下にはすでに売約済みの赤い印が示されていました。原田さんは「絵はなあ、白壁の窓だよ。そこは風景画が一番似合うんだ。女性の裸体像なんか掲げると、奥さんはヘンに思うし、客は買わないねー。風景画が一番だよ」という。本来芸術というのは「存在の探求」というガンコな持論をぼくは持っている。そういうぼくからすると、お客にこびる原田さんの考えは不純だった。しかし原田さんには女房子供がいる。当初は芸術性の高いものを描いていたはずなのに、「売れてナンボのもん」に変節していったのかも知れない。ここが芸術と生活の葛藤の難しいところだ。その後、原田さんはフレンツェに風景の取材旅行に行って、あっけなく、取材中の車のかなで心筋梗塞でこの世を去った。前日姉さんに国際電話で「姉さん、フレンツェはすごいよ、綺麗だ、素晴らしい」と感動の声を聞かせていたという。まさに、自分が感じた最高の美に包まれてこの世を去っていった。 

戦場から女優へ・サヘルとフローラに感動!

2009-05-06 | 発言
昨日、なにげなく着けたテレビのNHKで「イラン人戦争孤児サヘルが養母の愛情で女優に成長」というドキュメンタリーをやっていて、思わずヘタなドラマよりドラマチックでウルルっときてしまった。ご存知の方も多いと思いますが、ぼくにとってサヘルという女優は初めてでした。イラン・イラク戦争での空爆で村が全滅するなかで、当時大学生のフローラが、ボランティアで救済に行き、ふっと、瓦礫のなかから出ていた手を見つけ「可哀想なお人形」と手にしたら、それは三歳になるサヘルの手でした。フローラは瓦礫の中から救済し、数年後、サヘルがいる孤児院を訪ねたら、フローラにしがみ付いてきました。ほかの孤児は引き取られていくなかで、サヘルは両親が亡くなったショックも大きく、性格がちょっとねじれていたので、引き取り手もありませんでした。膝の上に乗るサヘルを養女にしようとフローラは決心し、裕福な家庭の両親に言いましたが両親は大反対し、それでもフローラは養母になり、勘当の身となりました。そして婚約者のいる日本に二人してやってきたのです。ところが婚約者はサヘルを子供にすることを反対、とうとう彼のアパートを追い出され、二人は公園のホームレス生活になりました。食事もままならない極貧生活が続きます。その後、フローラはイランの手芸から絨毯の縫製を手がけるようになり、極貧ながらサヘルをなんとか学校へ通わせるようになります。ところがサヘルは学校で「イラン人はいらん」と落書きを書かれたりイジメに遇います。そういった幾たびかの苦難を乗り越え、サヘンは女優になり、この6月にNHKで放送されるドラマにピアニストとして出演します。彼女は「死んでいてもおかしくなかった私をここまで育ててくれたお母さんに感謝しても仕切れないほどです。まして、表現するという大好きな仕事までやることが出来て、女優になった以上、テッペンをめざしてオスカー賞を取って、お母さんにあげたい」、彼女はそう語っていました。本当に、グググッとくる話でした。フツウの親子でも、親は子供に支配するような振る舞いをしがちだし、子供は親に甘えがちになる。しかし、このサヘンとフローラの関係というのは純粋な「人間の絆」というものを感じさせてくれる。しかし、フローラさんは本当に立派な人だなあ。サヘンさん、大成功して、フローラさんに恩返しできることを祈っています。

芸術を目指す人たち(1)

2009-05-05 | 発言
ぼくは芸術を目指している人に出会うと尊敬してしまう。自分が全部挫折しちまったからかも知れない。中学の頃にはトランペッターを目指し、高校の時には画家を目指し、青春期には映画制作を目指し、成人になって小説家を目指し、中年になってシナリオ作家を目指し、意志軟弱と才能のなさで、すべて挫折しちまった。芸術というのは日常を打破し、非日常の世界で「存在とは何か」を問う。真剣で、真摯で、期待と絶望の狭間で精神が高みへと昇る。日常の余計な垢が払拭され、純粋に美と対峙することができる。だから好きなのかも知れない。ぼくの知っている人で、ぼくの若かりし頃「駒田さん」という人がいて、青森で警察官をしていたが、画家を目指し、28歳で上京し、アルバイトの洞窟で作業中、柔道3段だという強靭な身体を持っているにも関わらず、100Vの感電であえなく死んでしまった。メディームを使い、古典的な作風を好んでいた。「こういう薄塗りをしていくと、何百年も持つ絵になるんだ」と言っていた。ぼくはその絵を観てもどかしく、「この森のなかに裸の幼児が泣いているのを描けばもっといいものになる」と言うと、「そりゃあいい」と本当に幼児を描き込んだものだった。しかし彼は途上で消えていった。

今期連ドラのお奨めは「ぼくの妹」「白い春」

2009-05-04 | 発言
大不況で世の中様変わりになって、民放の連ドラも一時の学園モノやケバケバしたマンガチックなものから、落ち着いた人間ドラマを放送するようになって、ほっとしている。こちらは相変わらずケーブルテレビで情感たっぷりな韓流ドラマに嵌っていて、中でもNHK・BSの「スポットライト」がいい。放送女性記者の主人公がキャスターになっていくのだが、当方の職業柄、記者のあるべき姿が描かれていて、興味深く観ている。民放ではオダギリジョー、長澤まさみの「ぼくの妹」。さすが脚本家・池端俊策、サスペンスと人間ドラマをミックスさせて視聴者を飽きさせない。また、安部寛の「白い春」もいい。刑務所返りの安部寛がはまり役だ。

またまた週刊朝日が検察・マスコミの劣化を特集した!

2009-05-03 | 発言
前もって言うが、私は熱烈な民主党支持者でもなければ小沢ファンでもない。その私が3月4日小沢党首の秘書逮捕以来、執拗にこのブログでこの問題を取り上げ、また、めったに投稿などしたことのない私が朝日新聞に投稿し、4月27日の声の欄に掲載された朝日新聞社説批判などは、元ジャーナリストの端くれとして、この西松建設「問題」よりも何十倍も大きい検察・マスコミの恐ろしいまでの体質「問題」がこの西松事件で露呈されたからだ。私は単純だから、検察や警察、そしてマスミコというのは正義の味方だと信じて安心していた向きがある。しかし、今回の問題を契機に、検察・マスコミの体質の恐ろしさが、放ってはおけず、連日この問題を取り上げている。新聞、テレビなどマスコミは一切検察批判をしないし、ほとんどこの問題は話題にしない。しかし、週刊誌は新聞社も出版社も社内で治外法権化しているので会社の方針に左右されず、編集長の判断で書くことができるので、朝日新聞社の新聞とは反対の視点から、今週の「週刊朝日」は「続・検察の劣化」と題し、検察・マスコミ批判の特集を再度組んだ。大変喜ばしいことだ。検察や警察は本当にこのところおかしい。小沢の贈収賄と決め込んで秘書を逮捕したものの、何も証拠が出てこず、政治資金規正法違反というザル法で秘書を起訴するしかなかった。世の中に同様の政治資金団体は一万件以上ある。なぜ小沢の陸山会だけなのか。これはのちのちの裁判で無罪になるだろう。また、草なぎくんの一件でも警視庁は「大麻をやっている」と決め付け、公然わいせつ罪の逮捕状まで取って家宅捜査し、結局、世間を騒がしただけで不起訴にした。当たり前である。午前3時の、しかも入ってはいけない時間帯の公園で裸になっても公然わいせつ罪は起訴しても裁判では無罪になるだろう。こうした強引な見込み捜査の大失態の反省を検察や警視庁は一切せず、小沢や草なぎの責任に転嫁させ、マスコミを通じ世論操作をする。マスコミはそれを鵜呑みにして、連日魔女狩りのように「ワルの小沢」「バカな草なぎ」と鬼のクビを盗ったように報道する。こんなことがまかり通って、日本は本当に民主主義国家と言えるのだろうか。今週の週刊朝日では「マスコミは報道機関として何をしたのか。単に劣化した検察に追従しただけではないのか」と問い、「検察の異常性を大手新聞やテレビは一切批判していない。メディアも政治も司法に対してまったく抑制作用を果すことができていない」と郷原信郎元検事の発言を取り上げている。そして検察批判を少しでもすると今後ネタがもらえなくなるので、まっとうなジャーナリストの感覚というのは検察担当記者になった途端ほとんど消えてしまう、という。ジャーナリストが政府や検察など権力側に無批判で言うがままの報道をしていたら、これは戦争を煽った50年前と同じである。絶対、ジャーナリストは正義の番人、真実を伝える社会の公器でなければならない。そうでなれけば、民主主義国家は崩壊してしまう。検察・警察の横暴な言動の反省と同時に、マスコミの猛省を促したい。

昨日の歯医者は痛かった!

2009-05-02 | 随筆
上の写真、去年釣り場で採った「あやめ」が今年は綺麗に咲いてくれました。ところで、歯が一本グラグラして膿んで来そうなので、連休中に腫れあがるとヤバイので、昨日歯医者に行って抜いてもらいました。麻酔注射に痛い歯医者で前回はその注射に死ぬほど苦しみましたが、今回は何とか堪えられる痛みでした。ところが、折れた歯だったので、抜くのに先生が歯をペンチでつかめない、えらい時間がかかりました。次に入れ歯を補強してもらって、固定剤を使わず入れ歯が使えるようにしてくれました。子供の頃から甘いものが好きで、ホント、年齢にそぐわぬ早くから歯がダメになりました。しゃあないね、しゃあない、しゃあない。

一歩、また一歩と老いてゆく

2009-05-01 | 発言
昨日から入れ歯を支えている唯一の歯が痛みだし、連休を前にして抜いてもらわないと腫れあがると思い、今朝歯医者に予約を入れた。歯が抜け出すと、ああ、老いたと実感するねー。まあ、仕方ないねー。おいおい、支えていた歯をぬいちゃうと、今度は固定剤「タフデント」のご厄介になるのかい?ああ、イヤだねー。若い頃は、顔も精神も二枚目でよく持てたのにねー、男としての賞味期限も結構永かったのに、いまじゃ、おじいさんかよー。まあ、これが人生、しゃあない、しゃあない。