まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

カラスも巣立ちの季節

2009-05-19 | 随筆
 そのカラスは、翼に穴が空いている。トンビかタカと闘ったのだろう、穴が空いているから、いつものカラスだと判る。カミさんと河原をウオーキングして、石の階段のことろで、いつも昼食を摂るのはだが、丁度その向かい岸に神社の木があって、そこに巣がある。ぼくらがほかほか弁当や小僧寿しを買って食べていると、気がついて対岸からこちらにいつもやってくる。ぼくは石段の上に、から揚げやエビのしっぽなどを置くと持ち去って、量が多いときには、岸辺の草むらに隠したりして保存している。そんなぼくらの関係が10年も続いていた。ところが去年はそのカラスをさっぱり観なくなった。「もう、死んだのかねー、世代交代したんだねー」、ぼくらはそう思っていた。ところが今年になって、また昼食を摂っていると現れるようになった。「おまえ、まだ生きてたのか?1年もどこに行ってたんだ?」。以前もここに書いたが、そのカラスは、エサをると、帰り道のぼくらのところに時々わざわざ飛んできて、別れの挨拶をしてくれる。そのカラスが、昨日も土手をウオーキングしていると、飛んできた。しかも、巣立ちしたばかりのヒナを三羽連れてである。「おい、お前、お母さんだったのか。三羽も立派によく育てたなー」。フツウ、カラスの巣を下から見ると1羽が多い。エサの関係で後のヒナが育たなくて死んでしまうのか、三羽のヒナというのを見たのは初めてだった。穴あきカラスの後ろで、口を開け、羽を震わしておねだりしている。「今、まだウオーキングの行きなんだ、何もないよ。帰りにいたらやるからね」、そう言ってぼくらはまた歩きだした。「きっと、お披露目にきたんだねー」、カミさんが言った。中継点で柔軟体操をして、また、小僧寿しを買って、階段にくると、もうカラスたちはいなかった。ほかほか弁当屋が潰れて、この頃は寿司なので、せいぜいエビのシッポしかやらなくなった。以前はわざわざカラス用のカラアゲまで買ってやったことがある。「どっか、いっちゃったねー」「向こうの電線にとまってるの、あの穴あきカラスじゃない?」、「エビのシッポと、タマゴ、置いてみるか」、ぼくが石段の上段に置くと、すぐ飛んで来た。そして、自分で飲み込まず、口に一杯くわえて、巣の隣にある学校の桜の木に飛んでいった。「あっちの木にヒナがいるんだね、いるいる、数羽見えるよ」「もう、巣には入れさせないんだね、巣立つと」。一年間もいなかった穴あきカラスはなぜいなかったんだろう。夫婦喧嘩して家出して、また復縁したんだろうか、よく分からない。でもまた巣に戻って立派に三羽もヒナを育てていたんだ。ぼくらは心温かくなって帰途に着きました。