まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

芸術を目指す人たち(2)

2009-05-07 | 発言
日常生活を送っていると、人生、こんなものでいいのかなーという疑問がわきます。本来人間はもっと大きなものなのに、こんなチマチマした生活でいいのかなーと感じる時があります。つまり、日常からはみ出る意識が芸術に向かわせます。だから逆に言うと芸術家の殆どは家庭を疎かにし、社会との調和した生き方が出来ない人が多くいます。また中年になって、非日常的な世界に飛び込んでいく人もいます。画家のゴーギャンは45歳まで証券会社に勤めていましたが、その歳で画家に転向しました。私の知っている人に「原田信政」さんという人がいました。ぼくの勤めていた出版社に原田さんの姉さんが勤めておられ、その関係で知り合うようになりました。彼は美大卒業後、イラストレータとして独立し、小さな広告代理店を経営していました。奥さんも子供もある身で、やはり45歳の時に、一切の仕事を整理して、油絵に没頭するようになりました。当初は子供を描いたり、いろんな絵を描いていました。別に大きな賞を取ったわけでもありませんが、広告代理店をやっていたせいでしようか、交渉力があるので三越百貨店で個展を開くようになりました。会場に行って観ると、繊細なタッチで、まるで写真のような風景画がズラリと並び、その下にはすでに売約済みの赤い印が示されていました。原田さんは「絵はなあ、白壁の窓だよ。そこは風景画が一番似合うんだ。女性の裸体像なんか掲げると、奥さんはヘンに思うし、客は買わないねー。風景画が一番だよ」という。本来芸術というのは「存在の探求」というガンコな持論をぼくは持っている。そういうぼくからすると、お客にこびる原田さんの考えは不純だった。しかし原田さんには女房子供がいる。当初は芸術性の高いものを描いていたはずなのに、「売れてナンボのもん」に変節していったのかも知れない。ここが芸術と生活の葛藤の難しいところだ。その後、原田さんはフレンツェに風景の取材旅行に行って、あっけなく、取材中の車のかなで心筋梗塞でこの世を去った。前日姉さんに国際電話で「姉さん、フレンツェはすごいよ、綺麗だ、素晴らしい」と感動の声を聞かせていたという。まさに、自分が感じた最高の美に包まれてこの世を去っていった。