シニアー個人旅行のかわら版

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雲南省・昆明で出会った人々

2010-06-12 15:25:06 | Weblog
昆明の3日目

 

 日本語ガイドの陸さんはイ族出身で、昆明中国国際旅行社日本部に所属、昆明で日本人旅行者のガイドだけでなく、中国人の日本旅行にツアーコンダクターとして出かけることもが多く、日本に50回も行っており、日本語が完璧な理由がわかりました。

 昆明2日目は陸さんとガイド契約は結んでいませんでしたが、夜遅くは治安がよくないからと、雲南映象劇場からホテルまで送ってくれました。ガイド料を申し出ましたが、日中友好の仕事だからと受け取りませんでした。
 
 陸さんから多くのことを学びましたが、中国人の反日感情の話は有益でした。

 ホテルで家内に中国語で話しかけてきたマレーシア人のグループがあり、オートバイで雲南省をツーリングしているとのことでしたが、この話題から、レンタカーで外国を回るという私の旅行スタイルを紹介、中国でのレンタカー事情を尋ねたときのことです。
 陸さんの、呆れたという表情が忘れられません。

 日本企業は中国国内で日本人社員の車の運転を禁じているところが多いとのこと・・・もし交通事故を起こしたなら、大変なことになるからだそうです。
 かつて日本は100万の軍隊を中国本土に送り、その国土の40パーセントを支配ていたことは知っていましたが、我々日本人にとっては70年前の出来事という理解ですが、中国では決してそうではありません。

 広州に着いたその夜、なにげなく、テレビのスイッチをつけると、日本兵が登場するドラマでした。
 陸さんによると、抗日戦争時の愛国ストーリーは人気番組の1つで、ちょび髭で眼鏡をかけ「バカヤロ」「ミシミシ(めし、めしの中国風発音)」を連発する中国人俳優が演ずる日本兵が悪役として毎週のようにテレビに登場するというのです。

 先週、日本人が自動車事故を起こし、相手の中国人に暴力を振るったという間違った情報が中国のネットであっという間に広がりかけました。なにか起きれば反日感情が一気に爆発・・・そんな事情を知らない私の無知さ加減に、なかば軽蔑のまなざしが、あの陸さんの呆れたという表情にあったような気がしました。

 ところで、陸さんの口から「松山戦役(中国側の名称)」という言葉が出ました。ここ雲南省でも日本軍との戦いがあったというのです。
 帰国してから、調べてみました。雲南省には激流として知られる「怒江」という川が北から南にまっすぐ流れています。橋を掛けることが出来ず、村人が怒江の谷に張ったワイヤーを滑車で滑り渡ることで知られますが、下流は保山市から40キロ南を流れています。その西岸一帯をビルマ(現ミャンマー)から越えて進出した約3,000名の日本軍が占領していました。
 三ヶ月を越える戦いの末、武器・弾薬・食料の支援を得られなかった日本軍は玉砕・・・生存者は連絡要員として脱出した3名のみ・・・「拉孟・騰越の戦い(日本側の名称)」として戦後日本でも知られることになります。




 ドライバーの陳さんは、一番長い時間・・・二日間をご一緒しました。物静かな、落ち着いた、魅力的な女性でした。写真左が陳さんです。
 
 石林の食堂での昼食の時のことです。昆明の次に大理古城に3泊すると話すと、陳さんの表情がパッと輝いて、自分が大理出身の白(ペー)族であること・・・大理は大変美しい街であること・・・祖母が住んでおり、昆明にいる母と春節には大理を訪れることを話してくれました。
 イナゴを食べる私たちが、食道楽と思ったのか、「再回首凉鸡米线三分店 特色菜:砂锅豆腐、木瓜鸡、砂锅鱼酸辣鱼大理海菜汤、青蛙皮」と大理古城の食堂名と名物料理をメモして渡してくれました。最後の青蛙皮はどんなものなのか尋ねると、食堂の厨房に入り、持ってきてくれました。まさしく蛙の皮そっくりの食材で、茸類でしょうか・・・

 北京ダックの夕食にお誘いしたとき、日本語ガイドの陸さんと私たちは色々な話題で盛り上がっていましたが、日本語の分からない彼女は食事の合間に、紙面になにかを一生懸命に描いています。見せてもらうと、幾何学的な模様でした。
 白族の女性は、白い上着にピンクや赤など、色とりどりの刺繍を施した民族衣装を身に着けるそうで、彼女の故郷・大理の刺繍は有名です。陳さんは自分の民族衣装の刺繍のデザインを考えていたのでしょうか。

 夕食の最後に、「陳さんから聞いたのですが、石林の食堂で‘虫’を食べられたそうですが、大理には生の豚皮を食べる料理がありますが、危険なので絶対にチャレンジしないでください」と陸さんから念を押されました。
 帰国して、ネットで調べると、それは大理生皮という料理でした。





 雲南料理・福照楼汽鍋鶏飯店の純朴な店員さんです。
 無愛想な表情・・・声を掛けないと寄ってこない・・・客を無視して店員同士でおしゃべり・・・そんな店ばかりでがっかりしていたときに出会いました。

 担当のテーブルから少し離れて物静かに待機、声がかかるとメニューを持ってきます。まず、ビールをというわけで「ピージュウ」と家内が注文しましたが、通じません。北京語が通じない少数民族の店員が昆明には多いと陸さんから聞いていましたから、彼女もその一人かもしれません。そういえば、彼女の持ってきたメニューは料理の写真入です。男性店員の助けで、ようやく、ビールを持ってきてくれました。
 
 続いて、「シャオシンジュウ(紹興酒)」を頼みましたが、これもダメです・・・酒を飲む真似をしましたら、頷いて持ってきてくれた小瓶は透明な酒・・・「チャーサア(茶色)」と家内が言うと、そのビンを戻し、茶色の酒が入った別の小瓶を持ってきてくれました。ふたを開けて、一口・・・強烈なアルコール度数です。ラベルを見ると、白酒に10種近い薬草が入っている度数36度の薬用酒でした。

 注文に応じようと一生懸命の努力する姿に好感が持てました。食事が終わり、食べ残した豆のごはん持って帰るかというジェスチャーです。丁重に断り、その代わりに一緒に写真を撮りたいとカメラを向けましたら、恥ずかしそうにもう一人の店員を呼んできました。

 料理はおいしく、値段は安く、そして純情な店員さん・・・昆明滞在中で出会った最高の店となりました。




 普洱茶の店を母親と経営する漢族の何さんです。
 土産にプアール茶を買おうと立ち寄った私たちのために、お茶を淹れてくれました。

 プアール茶の淹れ方には手順があるようです。
 円盤状に硬く圧縮されたプアール茶を包装紙から取り出します。細長いナイフ(プアール茶刀)で、丁寧に茶葉を少し崩しながら、並行して湯を沸かし始めます。フラスコのようなガラスの茶壷に湯を注ぎ(盪壺―とうふう)、次いで、ウイスキーグラスのような小さな茶杯にお湯を注ぎ暖めます(盪杯―とうはい)。その湯をすぐに捨てます(倒水―とうすい)。ここで茶壷に茶葉を入れ(置茶―ちちゃ)、お湯を茶壷にあふれるくらいに(冲水―ちゅうすい) 、茶壷を揺すりながら茶葉を洗い、一滴残らず、お湯を捨ててしまいます。茶葉の不純な匂いを流すためです(洗茶―せんちゃ)。再度、茶壷にお湯を入れ、蒸らします(泡茶―ぽうちゃ)。
 これで準備完了・・・各自の茶杯に三分の一ずつ順次にお茶を入れていきます。茶の濃淡をどの茶杯も一定にするためです(倒茶―とうちゃ)。

 茶壷も茶杯もガラス製なので趣がないなと思いましたが、プアール茶の色合いを楽しむにはガラスが一番よいとのこと、また、茶杯が小さいのは煎じるたび微妙に変わるプアール茶の味を少しずつ、何杯も楽しむためだそうです。2ないし3煎目が一番おいしいとされています。

 私は途中で店を出ましたが、家内は更に何種類もプアール茶をご馳走になり、何さん親子と意気投合したようです。母親は50歳、自慢の息子と一緒に働いている喜びが伝わってきます。何さんは、茶杯を、まず、母親に手渡すという孝行振りでした。
 
 家内は土産用に26元のプアール茶を10缶、自宅で飲もうと165元の餅茶を一つ購入しました。
 餅茶ですが、日本ではあまり見かけません。プアール茶の茶葉を、保存のためと持ち運びやすさから平らな円形に固められたものです。その昔、雲南からチベット高原までプアール茶を運ぶ際、餅茶を七つ重ねて竹の葉で包んで一荷として、馬の背にいくつもくくり付けて、茶馬街道を運びました。これが雲南七子餅茶の由来です。




 雲南映象劇場で観客を迎える少数民族の団員たちです。
 昆明を訪れることがあったら雲南映象で少数民族の歌と踊りを見ようと決意したのは、雲南映象のサイト「雲南映象」 HTTP://WWW.DYNAMICYUNNAN.COM/で楊麗萍(ヤン・リーピン)の活動(英語版)を読んだからです。

「踊ると神様と話ができるのだと祖母がよく言っていたのを思い出す。私は歌と踊りが海原のようにあふれている雲南に生まれたことを本当に幸せに思う。孔雀の舞で内なる熱情を踊り上げ、大地を踏み鳴らしながら踊り収穫を喜び、恋を求めて太鼓を打ち鳴らす・・・神が私の手を握り、私の心は肉体から離れ空を飛ぶ。」

「雲南省で歌われる少数民族の歌と踊りを求めて、山々や村々を訪ね歩いた。旅は10,000キロを越えたであろうか・・・・。布郎族の村を訪れたとき、一人の少女が私を呼びとめ、ぜひ踊り手として一座に入れてほしいと言うのだ。身体が小さすぎて踊りはまだとても無理だと断ったが、400元を貯めて水牛を家族に買ってあげたいと懇願する・・・年収わずか150元の村でである。私は村の貧しさに涙し、彼女を受け入れたのである。」

 楊麗萍(ヤン・リーピン)は大理の白(ペー)族出身、現在、国家一級舞踊家です。彼女の踊りを継承した妹が月光と孔雀を舞うことが多く、彼女の姿を見ることは出来ませんでしたが、舞台に流れる重厚で、憂いを帯びた彼女の歌声は聞くことができました。

 若い少数民族の団員たちの笑顔いっぱいの歌とダイナミックな踊りの中に、民族の伝統と文化を継承する誇りと、貧しさから開放された喜びが満ち溢れ、楊麗萍の思いが確実に実現していると感激しました

(了)

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