フェリーで行く思い出の北海道旅行
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日本海の夕日が見事な道、断崖絶壁を縫うように走る道、オロロン鳥が住む天売島を望む道、ニシン漁で賑わった道、そして江戸時代に秋田藩士が辛苦を重ねながら辿った道・・・北海道でも最も遅く開かれた秘境の道でもあり、北海道の歴史を刻む道でもある国道312号線を往くドライブを紹介しましょう。 今年の7月に出かけたルートを逆の行程で推奨します。
2013年6月、滝川付近を走る列車の車窓から増毛山地を撮った写真と合わせてご覧ください。オロロンラインはこの山々が日本海に落ち込む険しい断崖に沿って走ります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/4f/28b899c4dd51856a6413c6588e755795.jpg)
出発:苫小牧フェリー港
フェリー乗り場から36号を8キロ東に。
1 沼ノ端西I.C(日高道)
日高道から4キロで道央道へ。
2 東苫小牧I.C(道央道)
千歳空港を右手に見ながら12キロ走行
3 千歳I.C (道央道)
空港から4キロでI.Cへ。北広島市を経て、札幌市内を43キロ走行
4 札幌北I.C (札幌道)
I.Cを降り、創成川通り(231号線)を9キロ北上
5 茨戸橋 (231号線)
橋を渡り、337号線と合流。左に曲がり、直ぐに花畔大橋で右折、8キロ走行。
6 石狩川河口橋 (231号線)
丘陵地帯を北上。海水浴場を通りすぎる頃から、民家が少なくなる。22キロ走行。
海水浴シーズン中の休日は渋滞。
7 厚田村 (231号線)
増毛山地の南端にかかり、海岸沿いに六つのトンネルを通る。27キロ走 行。毘砂別展望台へは送毛トンネル手前で旧道に。
8 浜益村 (231号線)
ここから暑寒別天売焼尻(しょかんべつてうりやぎしり)国定公園の一角 となる。増毛山地最高峰の暑寒別岳1,491mが日本海に落ち込む海食崖が増毛まで40キロのわたって連続する。20キロ走行。
9 雄冬(おふゆ)(231号線)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/2c/6757d5f8ba11b56dd507aa1c53612068.jpg)
陸の孤島と言われた小さな漁村。白糸の滝の先に雄冬岬展望台への取り付け道路がある。夜間は通行禁止。22キロ走行。
10 増毛町 (231号線)
市街地townマップを参照。19キロ走行。
到着:留萌 (231号線)
留萌観光案内ホームページを参照。
オロロンラインのドライブでは、留萌で新鮮な寿司を味わうこと、増毛の秋田藩元陣屋を訪れ幕末の歴史に触れること、雄冬岬展望台から夕日をみること、という三つの目的がありました。しかし、当初、予期しない出会いや感動、収穫があるのが旅の醍醐味です。現地に行って初めて知ること、体験することもありました。これが再び、同じルートへの新たな挑戦となるのです。
○ 留萌の寿司は期待以上のものでした。
7月は留萌ではウニの収穫の最盛期であること・・・留萌の寿司組合のホームページで知っていましたが、立ち寄った丸喜寿司のカウンターでご主人と関西からやってきた若い夫婦のウニ談義から、ばふんウニの方がむらさきウニより味が濃厚であること、生ウニを少し焼くことで風味がガラリと変わるということ、ウニを鍋物に加えると更にウニの味を引き出せることができることを知りました。
カウンターで食べた握りは、ウニ2貫、ヒラメ、赤貝、蛸、アワビ、エビを1貫ずつ、留萌近海の地のものへのこだわりが、味・香り・食感の全てに凝縮されていました。最後に出された魚のあらの吸い物も薄味の塩味にあらの味がよく引き出されていました。これで2,500円、大満足でした。ドライブ途中の立ち寄りでしたので、酒とともに味わえなかったのがくれぐれも残念、来年もう一度留萌に来て、酒とすしを賞味しようと丸喜のご主人にホテルも紹介してもらいました。
○「元陣屋」のニシン漁関係の資料も充実していました。
増毛町の文化交流施設内に郷土資料室として設置されている「元陣屋」は秋田藩の元陣屋関係の資料だけでなく、ニシン漁関係の展示も数多くありました。増毛の日本海沿いの海岸は権利関係が細分化した漁場になっていたこと、場所により当たりはずれがあったことを知りました。印象的だったのは、ニシン番屋に飾られていたという「定め」と書かれたそこで働くヤン衆の名前一覧を記した一枚板の看板です。毎年、漁期が始まると表面を削り、新たなヤン衆の名前と役割分担を記して番屋に掲示していたとのことですが、この昭和31年の日付の「定め」は二度と更新されることなく、今は資料館に飾られているのです。
しかし、これらの情報は案内をしていただいた資料館の学芸員の方のご説明がなかったら知ることなく見過ごしたままになったでしょう。
○ 増毛の造り酒屋に小学生の団体客が訪ずれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/7e/442f45ea1abdd1f10b881bea67d53cd7.jpg)
日高にいる親戚から増毛には有名な酒蔵があると聞いていましたが、丸喜寿司のご主人から「國稀(くにまれ)」という銘柄だと教えらました。留萌からは20分足らずで増毛に到着です。國稀酒造に行くと、駐車場には車が一杯、観光バスまで停まっています。店の中に湧く暑寒別岳の伏流水を汲み入れる大きな空ペットボトルを手にした地元の方、酒の試飲に列をなす観光客、そして上下白の服装をした恰幅のよい男性に率いられた社会見学の小学生の一団がテレビのクルーに取り囲まれるように酒蔵に入っています。小学生を引率していた男性に見覚えがあり、しばらく経ってからフランス料理人の三國清三氏であることを思い出しました。NHKテレビのインタビュー番組で北海道増毛出身であること話されていたことを思い出したからです。地元紹介の番組を撮影されていたのでしょう。
ところで、ここの酒が、髪が薄くなった酒好きの上司への土産として人気があるということを知りました。増毛を「マシケ」と読まず「ゾウモウ」と読んだシャレからでしょう。
参考情報
*元陣屋の歴史
安政年間、幕府の命令でロシアの南下政策に備える軍事施設として蝦夷(北海道)に東北各藩が各地に陣屋が造営した。秋田藩はマシケを中心として周辺に出張(でばり)陣屋、マシケに元(もと)陣屋を設け、200名近い、藩士が任務についていいた。文久2年に赴任した水谷勝職は久保田(秋田市)から30日間の道中記を家族に残している。シラオイ(白老)を出発してマシケまで六泊して到着したが、その道程はほぼ今回のドライブルートと重なっている。当初予定していた濱マシケ(浜益)からの海路が風向きが悪く使えず、仕方なく選んだ暑寒別岳の山越えの道を、刀を背負い、熊の足跡に怯えながら越えた苦労を語っている。
*ニシン漁の変遷
秋田藩士松田伝十郎は「北蝦談」の中で「ここの産業として・・・鮭、鱈、鮑、海鼠(なまこ)、鱒、その他雑魚が多く・・・」と述べているが、この中に鰊(にしん)の文字はない。実は江戸時代にはニシンは雑魚の中に含まれ、重要な魚とは考えられていなかった。明治になり、富国強兵の近代化政策の中で食糧増産の必要性から、農作物の肥料としての鰊粕が脚光をあびるようになり、数の子や身欠きニシンが食料として地位を得ていくことになる。ニシン漁は明治、大正時代に最盛期を迎えるが、昭和20年頃から漁獲高に変調をきたし始め、やがて昭和30年を境に日本海沿岸からニシンは姿を消してしまった。現在ではニシンや数の子を扱う留萌の水産会社は海外から輸入に頼っており、数の子は高価な貴重な食材となっている。
*陸の孤島・・・雄冬
美しい海岸美の誇る231号線の中でも最も代表的な雄冬地区は長い間陸の孤島と呼ばれていた。物資は一日一回の増毛からの海路を頼るほかはない地区であった。昭和56年に19年の年月をかけた工事が完了し231号線が全線開通したが、開通祝賀会を開いた40日後にトンネル崩落事故が起き、更に完成まで3年を要した。
平成4年に新トンネルが完成し、現在のルートが供用されているが、今なお落石などの災害防止工事が行われている。詳しくは「陸の孤島物語・・・幻の国道231号」を!
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大雪国立公園へ)
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鉄道と路線バスの旅ー50年前の北海道旅行
初夏の北海道へ・・・LCCで行く
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日本海の夕日が見事な道、断崖絶壁を縫うように走る道、オロロン鳥が住む天売島を望む道、ニシン漁で賑わった道、そして江戸時代に秋田藩士が辛苦を重ねながら辿った道・・・北海道でも最も遅く開かれた秘境の道でもあり、北海道の歴史を刻む道でもある国道312号線を往くドライブを紹介しましょう。 今年の7月に出かけたルートを逆の行程で推奨します。
2013年6月、滝川付近を走る列車の車窓から増毛山地を撮った写真と合わせてご覧ください。オロロンラインはこの山々が日本海に落ち込む険しい断崖に沿って走ります。
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出発:苫小牧フェリー港
フェリー乗り場から36号を8キロ東に。
1 沼ノ端西I.C(日高道)
日高道から4キロで道央道へ。
2 東苫小牧I.C(道央道)
千歳空港を右手に見ながら12キロ走行
3 千歳I.C (道央道)
空港から4キロでI.Cへ。北広島市を経て、札幌市内を43キロ走行
4 札幌北I.C (札幌道)
I.Cを降り、創成川通り(231号線)を9キロ北上
5 茨戸橋 (231号線)
橋を渡り、337号線と合流。左に曲がり、直ぐに花畔大橋で右折、8キロ走行。
6 石狩川河口橋 (231号線)
丘陵地帯を北上。海水浴場を通りすぎる頃から、民家が少なくなる。22キロ走行。
海水浴シーズン中の休日は渋滞。
7 厚田村 (231号線)
増毛山地の南端にかかり、海岸沿いに六つのトンネルを通る。27キロ走 行。毘砂別展望台へは送毛トンネル手前で旧道に。
8 浜益村 (231号線)
ここから暑寒別天売焼尻(しょかんべつてうりやぎしり)国定公園の一角 となる。増毛山地最高峰の暑寒別岳1,491mが日本海に落ち込む海食崖が増毛まで40キロのわたって連続する。20キロ走行。
9 雄冬(おふゆ)(231号線)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/2c/6757d5f8ba11b56dd507aa1c53612068.jpg)
陸の孤島と言われた小さな漁村。白糸の滝の先に雄冬岬展望台への取り付け道路がある。夜間は通行禁止。22キロ走行。
10 増毛町 (231号線)
市街地townマップを参照。19キロ走行。
到着:留萌 (231号線)
留萌観光案内ホームページを参照。
オロロンラインのドライブでは、留萌で新鮮な寿司を味わうこと、増毛の秋田藩元陣屋を訪れ幕末の歴史に触れること、雄冬岬展望台から夕日をみること、という三つの目的がありました。しかし、当初、予期しない出会いや感動、収穫があるのが旅の醍醐味です。現地に行って初めて知ること、体験することもありました。これが再び、同じルートへの新たな挑戦となるのです。
○ 留萌の寿司は期待以上のものでした。
7月は留萌ではウニの収穫の最盛期であること・・・留萌の寿司組合のホームページで知っていましたが、立ち寄った丸喜寿司のカウンターでご主人と関西からやってきた若い夫婦のウニ談義から、ばふんウニの方がむらさきウニより味が濃厚であること、生ウニを少し焼くことで風味がガラリと変わるということ、ウニを鍋物に加えると更にウニの味を引き出せることができることを知りました。
カウンターで食べた握りは、ウニ2貫、ヒラメ、赤貝、蛸、アワビ、エビを1貫ずつ、留萌近海の地のものへのこだわりが、味・香り・食感の全てに凝縮されていました。最後に出された魚のあらの吸い物も薄味の塩味にあらの味がよく引き出されていました。これで2,500円、大満足でした。ドライブ途中の立ち寄りでしたので、酒とともに味わえなかったのがくれぐれも残念、来年もう一度留萌に来て、酒とすしを賞味しようと丸喜のご主人にホテルも紹介してもらいました。
○「元陣屋」のニシン漁関係の資料も充実していました。
増毛町の文化交流施設内に郷土資料室として設置されている「元陣屋」は秋田藩の元陣屋関係の資料だけでなく、ニシン漁関係の展示も数多くありました。増毛の日本海沿いの海岸は権利関係が細分化した漁場になっていたこと、場所により当たりはずれがあったことを知りました。印象的だったのは、ニシン番屋に飾られていたという「定め」と書かれたそこで働くヤン衆の名前一覧を記した一枚板の看板です。毎年、漁期が始まると表面を削り、新たなヤン衆の名前と役割分担を記して番屋に掲示していたとのことですが、この昭和31年の日付の「定め」は二度と更新されることなく、今は資料館に飾られているのです。
しかし、これらの情報は案内をしていただいた資料館の学芸員の方のご説明がなかったら知ることなく見過ごしたままになったでしょう。
○ 増毛の造り酒屋に小学生の団体客が訪ずれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/7e/442f45ea1abdd1f10b881bea67d53cd7.jpg)
日高にいる親戚から増毛には有名な酒蔵があると聞いていましたが、丸喜寿司のご主人から「國稀(くにまれ)」という銘柄だと教えらました。留萌からは20分足らずで増毛に到着です。國稀酒造に行くと、駐車場には車が一杯、観光バスまで停まっています。店の中に湧く暑寒別岳の伏流水を汲み入れる大きな空ペットボトルを手にした地元の方、酒の試飲に列をなす観光客、そして上下白の服装をした恰幅のよい男性に率いられた社会見学の小学生の一団がテレビのクルーに取り囲まれるように酒蔵に入っています。小学生を引率していた男性に見覚えがあり、しばらく経ってからフランス料理人の三國清三氏であることを思い出しました。NHKテレビのインタビュー番組で北海道増毛出身であること話されていたことを思い出したからです。地元紹介の番組を撮影されていたのでしょう。
ところで、ここの酒が、髪が薄くなった酒好きの上司への土産として人気があるということを知りました。増毛を「マシケ」と読まず「ゾウモウ」と読んだシャレからでしょう。
参考情報
*元陣屋の歴史
安政年間、幕府の命令でロシアの南下政策に備える軍事施設として蝦夷(北海道)に東北各藩が各地に陣屋が造営した。秋田藩はマシケを中心として周辺に出張(でばり)陣屋、マシケに元(もと)陣屋を設け、200名近い、藩士が任務についていいた。文久2年に赴任した水谷勝職は久保田(秋田市)から30日間の道中記を家族に残している。シラオイ(白老)を出発してマシケまで六泊して到着したが、その道程はほぼ今回のドライブルートと重なっている。当初予定していた濱マシケ(浜益)からの海路が風向きが悪く使えず、仕方なく選んだ暑寒別岳の山越えの道を、刀を背負い、熊の足跡に怯えながら越えた苦労を語っている。
*ニシン漁の変遷
秋田藩士松田伝十郎は「北蝦談」の中で「ここの産業として・・・鮭、鱈、鮑、海鼠(なまこ)、鱒、その他雑魚が多く・・・」と述べているが、この中に鰊(にしん)の文字はない。実は江戸時代にはニシンは雑魚の中に含まれ、重要な魚とは考えられていなかった。明治になり、富国強兵の近代化政策の中で食糧増産の必要性から、農作物の肥料としての鰊粕が脚光をあびるようになり、数の子や身欠きニシンが食料として地位を得ていくことになる。ニシン漁は明治、大正時代に最盛期を迎えるが、昭和20年頃から漁獲高に変調をきたし始め、やがて昭和30年を境に日本海沿岸からニシンは姿を消してしまった。現在ではニシンや数の子を扱う留萌の水産会社は海外から輸入に頼っており、数の子は高価な貴重な食材となっている。
*陸の孤島・・・雄冬
美しい海岸美の誇る231号線の中でも最も代表的な雄冬地区は長い間陸の孤島と呼ばれていた。物資は一日一回の増毛からの海路を頼るほかはない地区であった。昭和56年に19年の年月をかけた工事が完了し231号線が全線開通したが、開通祝賀会を開いた40日後にトンネル崩落事故が起き、更に完成まで3年を要した。
平成4年に新トンネルが完成し、現在のルートが供用されているが、今なお落石などの災害防止工事が行われている。詳しくは「陸の孤島物語・・・幻の国道231号」を!
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