新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「時代の変化」を感じさせられた競技だった

2024-02-19 07:36:41 | コラム
「ブレイキン」全日本選手権を観戦して思う事:

昨18日と一昨日だったか、続け様にブレイキン(breaking)にチャンネルが合ってしまった。当方はこのオリンピック種目に採用された競技(らしい)には先入観があったので、全日本選手権とやらをNHKホールで開催し、地上波で流していたのが直ちには理解できなかった。という次第で、先入観から述べておこう。

それは1991年のことだった。本部に出張した際にサンフランシスコにも某商社の駐在員との情報交換に出かけた。宿泊は毎度のことで波止場にも近いハイヤット・リージェンシーだった。午後に出先から戻るとホテルの裏手に当たる広場に人だかりが出来ていて、中央でアフリカ系の少年が飛んだり跳ねたり踊ったりの中で、頭を軸にして逆立ちしてグルグル回る離れ業を見せて拍手喝采。そこに置いてあった帽子に投げ銭が飛んでいた。

「なる程。あの連中はこういう演技をして見せては、小遣い稼ぎをして見せているのか」と勝手に決めつけて納得しながら、暫時眺めていた。それにしてもこれ程の凄い動きが出来るとは偉いなと思って、その辺にいた人に「一体全体、これは何ですか」と尋ねると、確か“break dance”と教えられた記憶があった。要するに「あのような階層に属する者たちが創り出した一種の生活手段かな」と解釈した。これが先入観である。

それ以来、パリ・オリンピックで採用されると聞くまでは、偶にこういうことをやって見せる若者がいるようだとは、テレビのニュースなどで承知していた。だが、正直なところ「あのような階層にある者たちの遊戯を真似するとは」と嘆きたい気分だった。しかも、その遊戯があっという間に普及してオリンピック種目に採用されるまでになるとは、とても思いが及ばなかった。

そこで、その演技というか競技である。最初に見たのはShigekix(「シゲキックス」と読ませるのだそうだが、私には「シジェキックス」だ)が世界選手権だったかで2位になる場面。何故1位なのか判断など出来る代物ではなかったが、人体を善くもここまで動かせるものだと感心させられていた。だが、「ルール」などは知らないので、何故対戦相手が演技中でも周囲をうろついているのはおかしくないのかなと感じた程度。

因みにShigekixとは「ダンサー名」で、本名は半井重幸(ナカライシゲユキ)で22歳だとWikipediaにあった。世界ランキング1位であるようだ。これで生活できる程賞金が取れるのかなと、余計なお世話の心配もしていた。

そして、昨日の全日本選手権。これも知らずにチャンネルを合わせて、男女とも優勝者が決まるまで見てしまった。人体の限界にまで挑んでいる動きなのか、激しい訓練の成果かは俄に判断できなかったし、二人の演技者の優劣の差は主観で決めているのではないのかなと感じていた。途中で、彼等の激しい動きには時折何か既視感があったので懸命に思い出せば、体操の床運動の遙か先の延長線上にあるのかも知れないと思い当たった。

この競技と言い、スケートボードと言い、オリンピック種目に新規に採用されてきた競技は、筋力や体力が充分に出来上がっていない10歳代の若年層の、どちらかと言えば体重が軽い者が有利であるように思えてならなかった。同時に、このような何処かで発生した「個人が覇を競う種目」がオリンピックに採用されてくるとは「時代かな」と見ている。

そして、「和を以て貴しと為す」はずの我が日本民族は中々団体競技では「金メダル」とやらに到達しないにも拘わらず、個人種目では常に世界の先頭に立っているのは興味深い現象だと思うのだ。一連の新規採用の競技には、何故か大柄で見るからに身体能力が高そうなヨーロッパやアメリカ等の国から強豪の選手が出てこない。何故だろう。



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