長崎市の決定に思う事:
何れはこういう事が起きるだろうという予感があったが、まさか我が国の自治体がその行事に他国を招待しないと決定したのには「如何に何でも」と感じていた。
既に指摘してあったことで、我が国のマスコミが連日連夜のようにパレスチナ側というかガザから発信される報道に基づいて「イスラエルの攻撃によって数多くの無辜の民が殺されている」と報じていれば、深い考えも予備知識も無しにこの報道に接すれば「如何にイスラエルは残虐非道の国であるか」と信じてしまうのも仕方がないと思う。
つい先頃回顧したことで、第一次湾岸戦争の頃に中近東の国に駐在経験があった2人の商社マンに「何故あの地区ではあのような宗教間とも言える諍いが起きるのか。私には理解できていないが」と尋ねたことがあった。1人の答えは痛烈だった。
「そう言う質問が出るという事は、貴方が学校で世界史をキチンと勉強していなかった証。そんな方に答える必要はないでしょう」と突き放された。そこで自らの至らざる点を認めて改めて教えを乞うた。
ここまでで充分だろうが、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教徒の間の聖地を目ぐっの争いは、2,000年間にその根源があるのだ。彼等は2,000年前に奪われたのだから、2,000年かけても取り返すと言っているのではないのか。
そこを顧みずして、現在発生している現象だけを見て、一方的と言っても良い報道を基にして「イスラエル非道説」を唱えるのが正確であるか、乃至はfearであるかと振り返る必要がありはしないかと思って、「イスラエル招待せず」のニュースを聞いていた。換言すれば「マスコミ報道には偏りはないのか」という事になりはしないか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます