新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本は良い国だったのじゃないか

2024-04-06 11:15:40 | コラム
何故「国際的に地位が低下した」等と自虐的な事を言うのか:

特に熱烈な愛国者でもない私は、これまでに何度も「アメリカの経験が長く世界20ヶ国を歩いてきたから『我が国程良い国はない』と確信している」と唱え続けてきた。2011年11月を最後にアメリカにも行っていないが、トランプ前大統領が現れた以降のアメリカの状態を聞けば、ラーメン一杯が¥2,000~¥3,000もすると聞けば、¥1,000の壁などと言われているだけでも我が国の良さは不動であると思っている。

だが、この度の自由民主党内部で起きてしまった(「誰かが起こしてしまった」が未だに不明のようだが)内紛なのか岸田総理/総裁の統治能力が過剰なのか、不足なのかすらも明らかではない混乱の状況をあそこまであからさまに見せつけられ、朝から晩まで「宜しくない」と報じられ続けると、「もしかして、我が国は末期的症状を呈しているのか」と疑心暗鬼にも囚われてしまうので困る。

「我が国程良い国はない」と信じている私でさえも「ドイツにGDPで抜かれて4位に転落」だの「UKのTimes Higher Educationの査定では東京大学の評価が39位で中国の清華大学や北京大学の16と17位の後塵を拝している」だの「OECDの国の中で下位にランク」等々のような報道に会えば「我が国の力がそれほど衰えたのか」と意気消沈させられてしまうのだ。

確かに、アメリカではGAFAMのような自社で物作りをしない業種が大成長を遂げて、我が国にもスマートフォンが導入されたし、配車のUBERはEATSも持ち込んだし、ChatGPTも遍く普及してきた。だが、我が国では一向に新しい産業が興ってこないし、台湾のTSMCが熊本に進出すれば大歓迎で、地元は栄えて極度な人手不足となり、時給が¥2,000に上がってきたという明るい話題?も出てきた。

なる程、我が国が原産地ではない技術やアイデイアや製品が続々と導入され、言うなれば至る所で一世を風靡している状況だ。だが、私のように最早「無職」というしかない身分になってしまっても、我が国で暮らしていていれば、何ら生活を困窮させられてしまうかのような悪条件が蔓延していている訳でもなく、何とか生活できている。だからこそ、自虐的報道の在り方には義憤を感じているのだ。

政治や経済の面を見てみれば、岸田内閣が3年半も続いてきた間に何か著しく好転して国民の生活が楽になったとか、その内容が質的に向上したと言う話を聞いた事がない。多くの人々は街頭で政権支持率のインタビューには滅多に肯定的な事など言わない。だが「物価が上がるので生活が・・・」と明るい表情か朗らかに言うのは何だろうか。調べている新聞社やテレビ局に言わされている感が濃厚だ。生活が本当に困窮している表情には見えない。

それでは「何故、我が国が沈下したのだろう」と考えてみた。先ず浮かんできたのは故篠竹幹夫監督が、日大フェニックスが甲子園ボウルに出られなくなった状態を「うちがずっと同じ位置に止まっているだけの事。フェニックスが弱くなったのではない。他の大学が我が方を追い抜いていっただけだ」と回顧された事だった。

良く考えて欲しい。ここ新宿区の一角だけを取り上げても、後から後から世界でも最貧国の部類の国や発展途上国から「日本に行けば何とかなる」とばかりに多くの自国での生活困窮の状況から脱出を企んで押しかけてきているではないか。負け惜しみではないが、上を見ればキリがないが、下には我が国を「land of dream」と憧れて押しかけてきているではないか、中には「我が国の甘さに付け込んでいる輩」が間違いなくいると見ているが。

次に考えた事は「今日の状態を招いたのは政治の責任か、経営者の劣化か」という点である。岸田政権は「何らの『民の竈に煙が立ち上る』ような経済面の策を講じてこなかった」と批判し続けてきた。岸田総理には自覚症状がおありのようで、今や懸命に「物価上昇を超える賃上げ」に勤められている。だが、未だ日は暮れていないとは言え「道半ば」ではないのか。

経営面での至らなさでは堺屋太一が唱え始められた「団塊の世代」への効果的な対策を打ってこなかった企業が多かった事も、「失われたX年」と何かと言えば言われる状態に至った一因ではないかと思うのだ。1997年だったか、伊藤忠商事の当時丹羽社長の英断で団塊の世代に「1億円の退職金を付けて辞めて欲しくない者が出ていくと承知で希望退職を募り、結果として今日の強力な、学生に人気が高い伊藤忠商事に仕立て上げられた例がある。

私はウエアーハウザーをリタイア後にも数年間も何社かの若手に日常的に接する機会があった。彼等が異口同音に訴えていた危機感があった。それは「現在の部課長が取締役等に任じられて経営を担当する時が来れば、夫々の会社の経営が不安な状態になりかねない」という極めて率直な見方だった。それかあらぬか、我が国の中核を為す企業の多くが内部留保は増やしたが、賃金を上げる事無く、現状維持に甘んじている状態だ。

その状態が果たして「団塊の世代か団塊の世代ジュニアの所為かどうか」は知る由もないが、今やあの危機感を訴えていた世代が50歳代後半から60歳という年代になって経営の責任を担っているのだ。あの頃にあれほど言っていたのだから、目に物見せる経営手腕を発揮して貰わねばならないのだ。批判した以上、それなりの成果を挙げるべき時が来ているのだ。

企業社会でも世代交代を含めて時代の進歩と変化に負けない対応が求められている以上、政治の世界でも世代交代と時代の変化への対応は必須ではないのか。85歳というバイデン大統領を凌ぐが高齢者が実力者であり続けているようでは、大きな変化は期待できない気がするので困る。思い切った世代交代が望ましいのだが、この度の処分が出ても自由民主党内では立ち上がろうとする彼等の基準で言う若手が見えないのは何故だろう。

大雑把な言い方かも知れないが「政治の世界でも、企業の世界でも、急速に進歩し且つ変化する時代に即応した動きが出来ていないのが、我が国の停滞の大きな原因ではないのか」と思うのだ。国会議場にタブレットの持ち込みの可否が議論されている時代に、議場でスマートフォンに戯れている議員がいるようでは、どうにもならない気がする。「回る回るよ、時代は回る」っていう歌があったではなかったか。



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