日米企業社会における文化の違い論:
私はW社で「あの環境と条件の中で自分に出来る限りの働きをして、馘首されずに19年間、61歳でリタイヤーするまで過ごしたのは大変だった」と言うべきだったと反省しております。これは「全てが彼等の体力と体格と骨格に基づいて設計・設定されている」ことの補足です。
そこで、事の序でに、これまで何度か採り上げてきた女性たちの働き方の、言わばその凄さを、あらためて採り上げます。
我が事業部の毎月の生産計画は本社から約 200 km 南にある工場で立てられます。ある時、日本関係の難しい品種の予定が輻輳して、偶々本社に出張中だった私も工場に行って会議に参加することになりました。本部で計画を担当するのは “Customer services” という名称の係の女性2人です。聞けば「工場は当然午前8時始業で、私も彼女らとそれに間に合わせねばならない」のだそうでした。
するとマネージャー格のリンダに「明朝5時に本社の駐車場集合」と言われました。私は本社から 60 km は離れたシアトル市内の Four Seasons Hotel に泊まっていたのですから、途方に暮れました。彼女は事も無げに「リサが4時に向かえに行くから」と言うのです。翌朝は5時少し前に駐車場で落ち合って、ハンズ・フリーの車内電話がついているリンダの車で200 km のドライブに。でも3時間は余裕がありすぎかと。
すると、インターステート #5 を南下中に一旦降りて、大きくて甘い「シナモン・ロール」で有名な “Country Cousin” というレストランで直径20 cm もありそうなシナモンロールにバターと蜂蜜をかけて「美味い。美味い」と楽しんでからドライブを再開。即ち、朝食の時間が含まれていたのでした。
工場には8時前に到着。出前のランチを含めて12時過ぎまでビッシリと会議。工場を出発して北上したのが午後1時。途中休むことなく本社に戻れば午後3時過ぎ。そこから何事もなかったような顔で女性たちは仕事を開始。当方も副社長他と打ち合わせに入り、終わって見れば6時は過ぎていました。それから簡単な夕食を同僚たちととって、リサにシアトル市内のホテルに送って貰えば夜も9時近く。そこであっさりと “See you, tomorrow.”で翌朝8時には迎えに来てくれることで別れるのです。
誤解なきよう申し上げておけば、私はこれが辛いとか大変だとか言っているのではないのです。これが彼等にとっては普通のことで、それに耐えるとか耐えられないとかいうことは問題でもないし、そういうことを考える人たちの世界ではないということ。私は外国人ですから、一日に出勤以外に往復400 km 以上のドライブを平然とこなし、尚且つ残業までする女性が凄いなと感じたので、敢えて採り上げただけです。彼女らにとってはそれは”job description” の中にも入っていない課題だと思っているのだろうと感心した次第。
私は「これは日米企業社会における文化の違い」であり、働き方に違いがあると捉えて論じたのです。なお、少数精鋭論でも、精鋭の集団だから少数でも何とか出来るという議論でもないのです。個人の力に依存するアメリカ企業の文化を紹介したつもりです。
私はW社で「あの環境と条件の中で自分に出来る限りの働きをして、馘首されずに19年間、61歳でリタイヤーするまで過ごしたのは大変だった」と言うべきだったと反省しております。これは「全てが彼等の体力と体格と骨格に基づいて設計・設定されている」ことの補足です。
そこで、事の序でに、これまで何度か採り上げてきた女性たちの働き方の、言わばその凄さを、あらためて採り上げます。
我が事業部の毎月の生産計画は本社から約 200 km 南にある工場で立てられます。ある時、日本関係の難しい品種の予定が輻輳して、偶々本社に出張中だった私も工場に行って会議に参加することになりました。本部で計画を担当するのは “Customer services” という名称の係の女性2人です。聞けば「工場は当然午前8時始業で、私も彼女らとそれに間に合わせねばならない」のだそうでした。
するとマネージャー格のリンダに「明朝5時に本社の駐車場集合」と言われました。私は本社から 60 km は離れたシアトル市内の Four Seasons Hotel に泊まっていたのですから、途方に暮れました。彼女は事も無げに「リサが4時に向かえに行くから」と言うのです。翌朝は5時少し前に駐車場で落ち合って、ハンズ・フリーの車内電話がついているリンダの車で200 km のドライブに。でも3時間は余裕がありすぎかと。
すると、インターステート #5 を南下中に一旦降りて、大きくて甘い「シナモン・ロール」で有名な “Country Cousin” というレストランで直径20 cm もありそうなシナモンロールにバターと蜂蜜をかけて「美味い。美味い」と楽しんでからドライブを再開。即ち、朝食の時間が含まれていたのでした。
工場には8時前に到着。出前のランチを含めて12時過ぎまでビッシリと会議。工場を出発して北上したのが午後1時。途中休むことなく本社に戻れば午後3時過ぎ。そこから何事もなかったような顔で女性たちは仕事を開始。当方も副社長他と打ち合わせに入り、終わって見れば6時は過ぎていました。それから簡単な夕食を同僚たちととって、リサにシアトル市内のホテルに送って貰えば夜も9時近く。そこであっさりと “See you, tomorrow.”で翌朝8時には迎えに来てくれることで別れるのです。
誤解なきよう申し上げておけば、私はこれが辛いとか大変だとか言っているのではないのです。これが彼等にとっては普通のことで、それに耐えるとか耐えられないとかいうことは問題でもないし、そういうことを考える人たちの世界ではないということ。私は外国人ですから、一日に出勤以外に往復400 km 以上のドライブを平然とこなし、尚且つ残業までする女性が凄いなと感じたので、敢えて採り上げただけです。彼女らにとってはそれは”job description” の中にも入っていない課題だと思っているのだろうと感心した次第。
私は「これは日米企業社会における文化の違い」であり、働き方に違いがあると捉えて論じたのです。なお、少数精鋭論でも、精鋭の集団だから少数でも何とか出来るという議論でもないのです。個人の力に依存するアメリカ企業の文化を紹介したつもりです。