新29の1『美作の野は晴れて』第一部、七夕の空1

2014-09-26 08:22:32 | Weblog

新29の1『美作の野は晴れて』第一部、七夕の空1

 七夕を祝うのは、半分くらいはお伽噺の夢を追っているようで、実に楽しかった。一日前の6日、鉈(なた)を持って、祖父に連れられて自宅から歩いて10分ばかりのところにある、池のそばの小さな竹林に出掛けた。その中から小さな真竹の枝振りのよいものを2本選んで切り落とした。持ち帰った竹の枝元を縁側の土中の二つの杭に、1メートルくらいの間隔を置いて、それぞれ縄で結わえて、しっかりと支える。すると、両側から交差するように2メートルばかりの枝振りのよいのが垂れかかって来て、なんとなく七夕の物語のにわか舞台が出来上がるのであった。
 この竹が低いながらも天空に川の如く架かったなら、次は飾りつけを行う。いろんな色の短冊に願い事を書き入れ、それらをこよりで結びつける。短冊はどこの店で買ってきたのだろうか。封筒のような入れ物に入っている短冊の包装を解いてゆく。封筒から色の同じのを我が家の縁側に並べてみた時の、あのえもいわれぬわくわく感である。短冊は都合2セット買い求めていて、その1セットの中には金色と銀色のは1枚ずつしか入っていなかった。あとは黄色から橙、青と水色といった、いろいろな色の組み合わせによる短冊が2枚ずつ入っていたのだと思う。
 それらに、硯に墨をこしらえて、小さな筆で丁寧に気持ちを込めて、自分なりの願い事を書いていく。それには、たぶん「家族みんな元気でありますように」とか「今年豊作になりますように」から、「勉強ができますように」といった自分の夢を経て、さらには「世界が平和になりますように」のような視野の広いものまで、さまざまな願い事を書き入れる。なにしろ短冊が小さいので、習字の練習をしている時のような具合に伸び伸びとはゆかない。それでも心を込めて書こうとして、字の方も初めは丁寧に仕上げていくのだが、10枚ほども書くと疲れてきて、筆の運びもたどたどしくなってしまう。字体もあっちへ傾き、こっちによりかかり、よれよれのものになっていくので、これではいかんと又気合いを入れ直して書き入れていったように憶えている。
 たぶん兄弟で2セット分、都合40枚くらいの短冊に願い事を書き入れたら、付属のこよりを短冊の真ん中上の穴に通してから、立てかけた竹の小枝に色も含めて均等になるように一枚一枚を結びつけていく。21世紀を迎えた現代に、この風習はまた蘇りつつあるような気がする。図書館やスーパーなどでは、子供連れの客寄せの一環として七夕飾りに取り組むようになっているのかもしれない。中国から日本に伝わって久しいこの風習はいまやすっかり本家本元に劣らない程、庶民の生活に馴染んでいるのかもしれない。全国津々浦々の七夕祭りの中には、短冊の結わえ方も、2本の竹をつなぐのに留まらず、その間に紐を渡して、これにも短冊を結わえることもあるらしい。
 「ささの葉さらさら、軒端(のきば)にゆれる、お星さまきらきら、金銀砂子(すなご)」(『たなばたさま』、作詞は権藤はなよ、作曲は下総かんいち)
 人によってその曲を聴いた時の、意識の方向や感受性の発揮のレベルは違うものの、このメロディーは、脳の一部にちゃんとしまわれていて、それが色あでやかな七夕飾りを見たりすると、独りでに口から歌詞に乗せられて流れ出てくる。
 『源氏物語』の幻の巻には、こうある。
 「七月七日も例にかはりたること多く、御あそびもし給はで、つれづれにながめ暮らし給ひて、星合給見る人もなし。まだ夜深う一所におきい給ひて・・・・・」
 人には、それぞれ今でも忘れられない思い出がある。岡山県の御津郡(現在は岡山市)では、次のような情緒豊かな七夕祭りが伝わっている。
「七夕さんには男の子、女の子なしで、近所みんなで「露取り行こう」いうと誘い合ってな、楽しみでな、朝早う起きるの。お盆なんかで、芋の葉や蓮の葉、稲からも露をさあっとすくうの。ごみが入ったらいけないから、露は布でこして硯へいれる。こよりはおじいさんが手伝うてくれて「ほんこより」作って。短冊は売っとった。富士山の絵を切ったのや、いろいろの。別にごちそういうてはないけど、おばあさんがメリケン粉の溶いたのをほうろくで焼いてくりょうてじゃったわな。五センチぐらいで中へあんを入れてな、焼餅いようた。それを笹の一番下の二本の枝につけて七夕さんへあげますん。それに瓜とかお茄子なんかに足をつけたり、こうりゃんの毛をしっぽにしたりして馬こしらえて、上げましたりな。かざりをつけた笹は軒に出してな、あくる日の晩に河へ流してな。」(岡本彌壽惠「三木行治さん(元県知事)と同郷ー素朴な遊び、行事」:岡山市文化的都市づくり研究チーム企画編集「さるすべりの花にー聞き書き、岡山女性の百年」岡山市)。
 人々が七夕を飾る頃は、まだ梅雨も残っていて、曇り空の時が多い。残念ながら、あの美しい天の川銀河は見ることができない。8月上旬になって夜空が晴れて、天体観測に適した季節となる。中国から伝わったものに、日本古来の「けがれ」を祓う信仰と結び付いて、日本独特の体裁になったものらしい。この物語の舞台となっているのは、夏の夜空の光の光芒である。周りは暗闇に包まれる。そんな夜空からの光は、太古の人々の頭上にも燦々と降り注いでいたことだろう。それに身体を丸ごと打たれるようにして、しばし自らの心の底に潜んでいる神秘の扉を開きつつ、何らかの安らぎを得ていたのだろうか、それともこの美しく瞬く星々に誘われ、自分の存在の小ささ、そのはかなさに怯えていたのかもしれない。そうする間にも、地平線からカシオペア座に、さらに北斗七星へと線を延ばしていくと、やがて現在の北極星とされる小熊座の一等星に行き着く。
 ことのほか美しい場所は、「夏の大三角」の辺りだ。この形を構成しているのは、南側から眺めてはくちょう座のデネブを北の頂点とし、右回りの東の空にベガ(織姫星)があって、その西南の方角にアルタイル(牽牛星)が見える。私たちは、七色の光を見ることができて、「スペクトル」と呼んでいる。アイザック・ニュートンが発見した。その色は、波長の長い方から、俗に赤、橙、黄色、緑、青、藍色、青紫の順序ともされている。とはいえ、地球上のどこにいるかで、人々の目に幾つの色に見えるかは定まっていない。私たちの目に映る彦星の方は、白っぽくて、わし座に含まれる、1等星という。こと座のベガは大層明るいゼロ等星で、青白い光を放っている。実際には、ギリシア神話に出てくるベガ(織姫星)と、わし座のアルタイル(牽牛星)とは14.8光年も離れている。ここに1光年とは、1キロメートルが10の5乗センチメートルであるのに対し、1光年は10の18乗センチメートルである。真空中を光が1年間に進む距離とされ、約9兆4605億キロメートルに相当する。それなので、七夕の夜だからといって、この二つの星が私たちの眼に仲良さそうに、ほのぼのと並んで見えることは望めない。
 古代中国の物語の彦星と織姫はごく普通の夫婦であり、地上で仲むつまじく暮らしていた。ところが、そんなある日、織姫はどのような理由によるものかわからないが、天帝によって天に上げられてしまう。彼女を追って、2人の子供とともに天に上げてもらった夫は、天の川に阻まれ、妻のいるところに行き着くことができない。ただ年に一度だけ、鷺(さぎ)に頼んで橋をかけてもらい、織姫との再会を果たすことができる。何とも哀れさの漂う、古代中国の物語のあらましである。短冊には、もともと裁縫がうまくなりますようにと、女の子が願って短冊に記していた。それがこの国に伝わり、だんだんと男の子もあれこれの願い事を記す行事に変っていったことになっている。
 地域によっては、この行事に用いられる竹は色々、本数も二本ではなく、一本だけのもあるらしい。こちらの独立行政法人国立女性会館の1階の広いロビーには、5、6メートルはありそうな立派な竹が設けてある。どっしりした感じでしなだれかけてあるのは、天の川をイメージしているのだと一目でわかる。何とも大胆だ。しかも、短冊に混じって、くす玉、輪つなぎ、何やら提灯(ちょうちん)らしきもの、四角つなぎ、紙すだれといった振り付けもされていて、全体的に豪華な七夕飾りとなっていた。惜しむらくは、玄関を入った先のホールに立てられているので、風の気配が感じられない。もしこれが窓際に置かれてあれば、窓を開けると一陣の風が舞い込んでくる。すると、笹竹の先々にまたの短冊たちがその風になびいて、ゆらゆら揺れる姿が見られるのにと、贅沢な空想にとりつかれるのだった。
 その頃、我が家の庭から見上げた時の、夜空に広がる星の世界の美しさは、今でも忘れていない。夏の夜空はことのほか美しく、そして神秘的であった。その頃は、夜になると、家路を急ぐ雀やトンビ、それにカラスなどの群れがいなくなったころ、森の木々が仄かな風にそよぎ始める。それとともに、周囲の森のざわめきが増してくるような感じられた。それは、昼の間はいっさい聞こえなかった、生きとし生ける者たちの時々刻々の息使いであったのかもしれない。空の色合いも、だんだんに漆黒になっていき、ついに闇夜が空全体を覆うのだ。気づくと、天空に無数の星が瞬いている。その世界を、いつの間にか、周りの闇が幻想的に囲んでいる。
 はじめ北に向かって立ち、首をしだいに後ろに縮めるようにして天頂の方へと見ていく。
すると、漆黒の森が被さった北東の方から、とかげ座、はくちょう座とある。はくちょう座には、デネブという明るい星が瞬く。天空高いところまで行くと、無数の星を二つに分けている光の帯のようなものが見える。その姿は、ぼんやりしているようでもあり、白いミルクを垂らしたようでもある。西洋ではこれを「ミルキーウエイ」と呼んでいる。かの『ギリシャ神話』の、赤ん坊のヘラクレスが母親であるヘラの乳房を思い切り吸ったとき、勢い余った乳がほとばしって天まで届いた名残だとされる。
 天の川に連なる星たちは、ここから二手に分かれて、こぎつね座、や座、わし座、たて座、いて座と続く。その二股の帯がひときわ明るく輝いている周りが、わし座からたて座、そしていて座にかけてのところであり、その中の「南斗六星」は、いて座の頭から胸にかけての、真南の明るい天の川の中でに見ることができる。その形が赤ちゃんにミルクを飲ませるためのスプーンに似ているところから、「ミルキー・ディッパー」(乳の匙)と呼ばれる。北西の空へ大きく傾いている北斗七星に比べややこぶりながら、星の並びはよく似ている。古代中国の寓話によると、こちらにいる仙人が生きることを司っている。そして人が生まれると、死を司る北の仙人と相談して寿命を決めるのだという。そのさそり座からいて座にかけての付近、つまり地球から見たその方向に、私たちの銀河系の中心があるのだと言われる。ここには、私たちの銀河系の物質が高密度で集まっている。そこに暗い隙間のようなものが見えるのは、実際には、そこに光を出さない暗黒の質量としてのダークマター(暗黒物質)があるからだ。いて座を過ぎてからは、夏によく見えるさそり座などを経て、この満天にかかる光の架け橋は向こうの南の地平線へと吸い込まれていく。
 宇宙におけるフィールドとは、空間、時間、そして物質のことである。その出発点を地球とすると、地球から10億キロ、つまり10の12乗キロメートル離れると、木星の軌道が視界に現れてくる。木星は、私たちの地球のおよそ1000倍の質量がある。さらに100億キロメートルになると、太陽系の全体がすっぽりと入ってくる。太陽は、銀河系と呼ばれる小宇宙に属する一つの恒星にして、地球から1億5000万キロメートル、光の速さでいうと10光分のところにある。地球は、一日に1回自転しながら、この太陽の周りを平均で秒速約30キロメートルで公転している。それは、円軌道ではなく楕円軌道に乗っかっている。17世紀のヨハネス・ケプラーにより発見された。なおここに「平均で」というのは、地球と太陽の間の距離が一番近づくのを近日点といい、ほぼ1億4700万キロメートル、そこでの公転速度は秒速約30.3キロメートルであるのに対し、反対側の一番遠くなるところを遠日点といい、そこでの公転の速さは毎秒29.3キロメートルとやや遅くなっている。
 さて、1000億キロ、つまり10の14乗キロメートルになると、ここでもまだ太陽が見える。太陽は、恒星だから自分で燃えて光って見える。そして10の21乗キロメートル。つまり約10万光年で美しい渦巻き銀河の構造が見えてくる。これが私たちの住む銀河系なのだとされている。一般に、この渦巻きをした銀河(galaxy:ギャラクシー)は1億から1兆個もの星から成り立っており、その銀河が多数集まって銀河群・銀河団となり、それがまた多く集まって超銀河団になるというように階層構造が広がっている。その全体が宇宙だと言える。そこで、この渦巻き銀河を上から見ると、アンドロメダ座の近くに肉眼で見える、「M31」と呼ばれるアンドロメダ銀河のような、渦巻き形を形成している星の大集団を横から見ると凸レンズ状に見える。1924年、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブルによって、それまでは私たちの銀河系の一部だと考えられていたのが実は別の銀河であり、それは天の川銀河と隣合わせであることが発見された。ちなみに、M31銀河は、私たちの銀河系から約250万光年の彼方にある。それは、銀河系の約2倍の大きさで、秒速300キロメートルの速さで銀河系に近づいているのだという。
 このままいくと、およそ50億年後には銀河系の方がアンドロメダ星雲の中に吸収され、両者は合併するのではないか。ところが、物理学者が予言する「そのとき」はかなり違っうのだと教わった。講義では、「でも、もし君たちが生きていたとしても、その衝突には気づかないだろう。銀河はほとんど空っぽの空間だから、ぶつかっても星々はお互いの間をすり抜ける。ほとんどの星はぶつかることのないまま二つの銀河は合体して、渦巻き銀河ではなくなり、倍の規模の楕円形の銀河を形成する。でも、もしきみがその中の星の一つにいたとしても、数十億年もかかる合体のプロセスに気づくことはないだろう」(クラウス教授の講義・宇宙白熱教室第一回「現代宇宙論」二〇一四年六月二〇日NHK放送より)ということなので、驚きだ。
 地球と太陽の距離は、およそ1億5千万キロメートルある。太陽からの光は、およそ500秒をかけて地球にやってくる。光は一秒の間に真空中を約30万キロメートルだけ進む。つまり、私たちが見ている太陽は、その都度500秒の前の姿なのである。私たちの太陽系は、銀河の中心から約2万7~8千光年、およそ2京7~8千兆キロメートルの「オリオンの腕」と呼ばれるところにある。
 私たちの銀河系に含まれる星の数は、およそ1000億個と見積もられる。それらの集合は、ディスク(円盤)に見立てることができるだろう。その直径は、約10万光年だと言われる。ここに1光年は1年の間に光が進む距離で、約10兆キロメートルを表す。およそ10京キロメートルある訳だ。ディスクの厚さは約1000光年ある。バルジとは、膨らみや樽の胴部分のことで、銀河系中心の盛り上がりをいう。このバルジを入れたディスクの厚さは1500光年位ある。いずれにしても、大変平べったい形をしている訳だ。その真ん中は実に沢山の星が密集していることから、まるで目玉焼きの黄身のように盛り上がっている。
 その銀河の渦巻きの外延部に近い部分、そこを川底に見立てて、我が身を置いたとしよう。そこから「天の川銀河」(銀河系の別名)を見上げてみる。すると、天の川は夜空をぐるりと一周するようにして繋がっている。が星が集結している部分と、星がまばらになって見える部分とが分かれている。渦巻き銀河の中で星が一番集結しているバルジには、恒星集団が密集していると考えられている。外側まで広がっている円盤構造の部分に対し、こちらは厚さ方向に丸いというよりは、楕円体のような広がりをしている。
 このバルジは、「巨大なブラックホール」で満たされていると考えられる。それは、例えば物理学者の高梨直紘(たかなしなおひろ)氏によって、比較的私のような者にもわかりやすく説明されている。少し長くなるが、引用させていただきたい。
 「赤色巨星になった後の星の運命は、星の重さによって2つに分かれます。太陽の重さの8倍よりも軽い星は、星をつくっていたガスが宇宙空間に放出されていき、惑星状星雲と呼ばれる段階を経て、最終的には星の芯の部分だけが残ります。これが白色矮星(はくしょくわいせい)と呼ばれるものです。白色矮星では新しく核融合反応は起こらないため、基本的にはそのまま少しずつ冷えていき、最終的にはまったく光らない星となると考えられています。
 太陽の8倍を超える重い星の中心部はさらに縮まっていき、星全体はさらに大きく膨らみます。そして、最終的には星の中心核が融けて圧力を失い、星全体が中心に向かって崩れ落ちる重力崩壊と呼ばれる現象を起こします。これが重力崩壊型の超新星爆発です。星をつくっていたガスの多くは宇宙空間に吹き飛ばされ、超新星残骸となります。一方、星の中心部には中性子星あるいはブラックホールが形成されます。中性子星も白色矮星と同じく、時間の経過とともにエネルギーを失っていき、最終的には光を放たない天体になると考えられています。ブラックホールも、特に外部からの刺激がない限りは、そのまま大きな変化は起きません。」(高梨直紘「これだけ!宇宙論」、秀和システム、2015)
 なぜそこにブラックホールがあるのかという問いかけに、クラウス教授は次のように言われる。
 「とても忍耐強い天文学者がこの星々のちょうど真ん中あたりをみつけ続け、星々の軌道を観測した。すると、星がある暗い物体のまわりを回っていることがわかったんだ。この物体の質量をきめるのには、きみたちもこれから直ぐ好きになるニュートンの万有引力の法則を用いた。こうしてその物体がまわりに星を引き寄せていて、太陽の百万倍の質量があることがわかったんだ。とても小さく、光を放つこともなく、太陽の百万倍の質量を持つという事実から、われわれはブラックホールだと考えている。・・・・・もちろん、それが見えないことは残念なことだ。もっとさまざまな観測を重ねて、それが本当にブラックホールかだといえるのかを見極めたいと思っている。ブラックホールは密度が高すぎて、光さえ逃れることができない。脱出するには光より早い速度が必要なんだ。」(クラウス教授のアリゾナ大学での、社会人らを相手にした講義・宇宙白熱教室第一回「現代宇宙論」二〇一四年六月二〇日NHK放送)
 そのブラックホールのあるところでは、「中心部を取り囲むように、「事象の地平線」と呼ばれる半径がある。事象の地平線の内側では、ブラックホールから脱出するために必要な速度が光の速度よりも大きくなるため、古典物理学によれば、なにものもそこから逃げ出すことはできない。したがって、事象の地平線よりも内側で放出されれば、光でさえも、ブラックホールの外に出てくることはない」(ローレンス・クラウス著・青木薫訳「宇宙が始まる前には何があったのか」文藝春秋刊)と考えられている。
 それから、天の川となってみえるのは、銀河系の薄い円盤を横方向から眺めている。それとは逆に、星がまばらなところは、それらの星が密集している銀河の円盤からはずれたところ、つまり円盤の上と下にある星をみているからにほかならない。肉眼で見えないものも含め、この広い銀河に宿る、およそ1000億の星々の中で、地球を含め幾つの星やその惑星に命が宿っているのだろうか。今でも、田舎に夏帰った時の晴れた夜は、雄大な宇宙にしばし浸れる。残念ながら、昔日のあのダイヤモンドをちりばめたような明るさをもつ宇宙パノラマではない。そうなったのは、周りがすっかり明るくなったためなのか、それとも空気がよどんで向こうが見透せなくなってきたからなのか、その辺りのことはまるで知らない。ただ、朝方、夜明け前には地平線の上方を人口衛星がゆるゆると西方に移動していく姿が見えていることもある。
 七夕の締めは、「七夕送り」をしなければならない。飾りつけを川に流せばよいようなものだが、あいにく家の裏手筋を加茂川まで持って行くのは厄介だ。そこで我が家の近くにあるのは狐尾池であった。それなので、竹から飾りつけを外して、竹は家において処分することとし、飾りのみまとめて持って池に流しにいったのではなかったのか。短冊は燃やすのではなく、流れに任すのが筋というものであると考えていた。それに、この池に沈めても人を害したり環境を汚染することはないからと、近所のおじさんやおばさんから苦情は聞いたことはなかった。何事も楽しむまでは勢いがあってよいのだが、その後の片付けにはいろいろと面倒な事がある。残った竹は、鉈(なた)で細かく切って、風呂炊の材料し、火の中にくべていたのではないか。

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