新31『美作の野は晴れて』第一部、夏の子供たち(夏休みへ) 

2014-09-26 20:22:07 | Weblog
31『美作の野は晴れて』第一部、夏の子供たち(夏休みへ) 

 7月も下旬にさしかかって、梅雨明けしたら、もう夏本番だ。花たちの開花が終わりに近づく7月の20日も過ぎた頃、学校は夏休みに入っていく。その日の学校の朝は、いつもと異なる。全学年の児童みんなが講堂に集まって、いよいよ式が始まる前には、それぞれの学級の級長が前に出て、自分たちのクラスの児童に号令をかける。曰わく、「気をつけえ」、「前へならえ」、それから「直れえ」と声を張り上げる。そうやって整列が済んだら、今度は指導の先生の「休め」の号令があって、一同、左足を広げて、「ハ」の字の姿勢をとって良し、となる。もちろん、この時足のつま先もきちんと揃えてこれらを行うことことが要求される。その振り絞った強い声に、馴れているとはいえ某かの緊張感が走っていたのは、私だけであったろうか。
 式では、校長先生の柔らか「お話」の後、主に生活指導の先生からいろいろと訓辞があった。その多くは、病気や怪我に気をつけろということだったように思う。最後に「君が代」を斉唱し、「日の丸」の国旗の前で「礼」て深々と頭を下げてから、式が終わった。
 「日の丸」は、人類史上、アテン神に捧げものをする古代エジプト・アクエンアテン王のレリーフが遺されていることからも、太陽信仰と深く関わっている。これが1870年(明治3年)の明治政府の太政官布告57号(1月27日付け)及び同布告651号(10月3日付け)により、日本の国旗に制定されたのだという説が有力視されている。「君が代」の歌は雅楽風で、当時の私は歌詞の内容がよくわからないままに歌っていた。これと類似の「君が世」が歌に頻繁に詠まれるようになるのは、平安時代に入ってからである。宮廷からその臣下までの各々の階層で、40歳のときから10年毎に「算賀」(年賀)、つまり年寿を祝賀する習わしであり、そのことの常套語としての「君が世」が人々の口の端にも上っていたようである。
 「君が世に今いくたびかかくしつつうれしきことにあはむとすらむ」(『拾遺集』18、東三条四十の御賀の折の公任の歌より)
 ここにある「君が世」の「世」の意味は「よはひ」、これは転じて生涯、一生にも通じる言葉となる。明治の「王政復古」に至ると、それが「君が代」になりかわり、権威づけられたものと見える。今振り返ると、これらの一部始終は、なかば軍隊式であった気がしないでもない。そんな「君が代」が法律ができて正式な国の歌になったのは最近のことのようだが、この歌がこれからを生き延びるには、若い人にもすっと入っていけるだけの「わかり易さ」、「親しみ易さ」ではないだろうか。特に1番の歌詞を歌う場合に、あまりに神話の言葉で敷き詰められていて、その意味がわからない。
 例えば、その歌詞の中の「さざれ石」などは、どうやら国文学者や考古学者でも、諸説紛々、定説らしきものは見あたらない。ところが、私の子供時には、家の近くの天王山に発坂へ通じる比較的大きな道がさしかかるところに、その石がちゃんと鎮座していた。その大きさは、到底一人や二人の素手で運べるものではない。わざわざ中山神社などに行かなくとも、そうした大きな石を組織的に運んでその場所に置くことがやられた訳だ。私の子供時代ならいざ知らず、昨今ではそんな石を尊ぶ風潮もとうに失われてしまっているようだが、それにまつわる伝承がなお人々の心に息づいていた時代があったのではなかろうか。
 全般的に曖昧な、現代では追体験ができにくい、難解な語句がちりばめられていることから、今ではその意味を確定させるのは至難のような気がしてきてならない。そこでは、過剰な説明を廃し、まじろみもしないほどの迫力でもって人々の心に迫ってくる、あのフランスの国歌「マルセイエーズ」のようなしっかりとした史実に基づいた歌詞の方が、諸民族の融合体である日本人の「和をもって尊ぶ」文化においては、ゆくゆくよりふさわしいのかもしれない。曲調の方は、雅楽も一興で、私はこれをはじめから「この国際化時代にふさわしくない」と決めつけることはしたくないものの、歌うにつれて日本の自然が背景に彷彿としてくるものであれば、どんな調べでもよいのではないだろうか。
 「君が代」に連れられて脳裏に浮かぶのが、演壇中央の緞帳を背に張られた「日の丸」であったのだが、こちらは小学一年生の頭でもなんとなく理解することができた。一つの背景は我が家にあり、母屋の奥の間には「天照大御神」、つまり「アマテラス」の掛け軸が「スッ」と垂らされていた。そこには、神話の本や紙芝居の中のような色あでやかかな姿はなく、字のみが中央に上から下に書かれていた。たぶん、いまでも、生家の同じ場所にあって、古の雰囲気をかもし出しているだろう。そのアマテラスとは、何であるかと言われれば、私ならずとも小学生の多くが、「多分」、「おそらく」という曖昧さで心の衣を繕いながらも、「太陽の神様」と答えたのではないだろうか、その答えは当たらずとも遠からずだと信じていただろう。それほどに、私たちの子供時代、アマテラスは身近にあって、私たちの祖先が農耕民族であったことを教えてくれていた。
 そのことは、親から学んだことで無ければ、学校の授業で先生から系統立って教えられた訳でもない、いまでは失われてしまいつつあるもののも、私の子供時代を通じて、当時は農耕民族の血を受け継いだ立ち一人ひとりが、自然に体感し、「あうんの呼吸」も含めて学びとっていったものなのだと思う。それゆえ、アマテラスが『古事記』や『日本書記』に書かれていても、さして驚くに当たらない、けれども、それが真実かどうかについては、私はなんとなくだが、神話の世界のことだと考えていた。そのアマテラスの面目躍如の場面の一つが「あまのいわとのものがたり」であって、私もその題ととおぼしき紙芝居の朗読を担当していた端くれであるので、今でも、よくよく心得ている。
 なんとなれば、その話は、太陽の熱と光、太陽からの恵みを抜きにしては語れない、その大いなる太陽の下で、地球上のあらゆる生き物の命が永らえているのであることを、ちゃんと認識していた。だからこそ、この物語の全部がフィクションであることを見抜いてはいても、それをあえて「嘘」だとか、「くだらない作り話」だと考えたのではない、それはそれでほとんどわだかまりなく我が胸にしまっておいたのではなかったか。
 そういうことだから、後年、世界に色々ある太陽信仰の話を聞いたり、本で呼んだりしても 対して驚いたことはない。その中には、次に紹介されるような、アマテラスよりはるか昔の、ヒッタイト民族の「テリピヌ神話」も含まれる。
 「この神話では、農耕と植物の神であるテリピヌ神が何らかの怒りにより姿を消してしまい、地上のすべての土地が不毛になり、飢饉が訪れる。それを蜜蜂が探し出し、テリピヌは再び姿を現し地上に秩序が戻るというものだ(ここで登場する蜜蜂は、死したテリピヌの魂の隠喩である可能性も高い)。」(大城道則「古代エジプト、死者からの声ーナイルに培われた死生観」河出ブックス、2015、140ぺージより)
 念のため付け加えると、今日では日本人はさまざまな方向からやってきた多民族の集合体と考えられるが、その内の北のアイヌにも、南の沖縄にも、中央の権力とは関係のないところで太陽信仰が作られていた。それらは、アマテラスが人間の頭の中で組み立てられるはるか前から、存在し、ひとつの地域の中に生きる人々によって存在していた、と言って良いだろう。アイヌの人々にとっては、太陽は夕に西に沈むと死に、そして翌日の朝に東の方角から上って復活する、文字通り万物は流転していた。また南海に済む人々にとっては、太陽は暗い穴から出て、又夕にはその暗い穴の中に沈んで行く、これまた永遠の循環の中にいるのであった。
 さて、一学期の終業式の終わってから教室に入ると、担任の先生から「通信簿」と呼ばれる成績表をもらう。何しろ、緊張した。緊張すると、動作がぎこちなくなってしまう。あの頃は猛烈に1点を刻むようなことはなかったものの、呼ばれる順番を待つのは心地のいいものではない。自分の名前を呼ばれると、「はい」と声を張り上げて答え、椅子から「バタン」として立ち上がり、そそくさと先生の前に進み出て、うやうやしく両手を前へと差し出して自分の通知票を受け取る。
 そろそろとした手遣いで、それでいてもどかしげな気持ちで通知票を開けた。みんなが済んだ後は先生からもう一度全体に私たち全体に向けたお話があった。 いま振り返ると、成績くらいでおたおたすることはなかった。命を持って行かれるようなことはないのだから、もっとゆるゆる構えていればよかったのにな、とつくづく思う。
 「みんな仲良くしてがんばれよ。危ないことはするなよ」
「9月になったらまた元気でみんな会おうな」
「先生、当番のときは必ず来ます」
「おう頼むで、クラスの花檀と自分の菊の水やりを忘れんようにな」
「はーい」
 みんな、口々に元気に返事をしたように想う。それでも、夏休みは欧米に比べて短い。欧米では6月末から休みに入るらしい。当時は7月25日くらいから休みに入り、8月末まであったから、その間にかなりの家の手伝いができる。夏の仕事では、畑でいろいろな野菜を中心に栽培していた。その中には、らっきょうや落花生、はてはそばのような換金作物も含まれていた。畑作の中心となるのは、じゃがいも、さつまいも、そして玉葱であった。両方とも、寒くなって野菜に不自由するときになっても、保存食で食べることができて、夏に作っておくと重宝する。

(続く)

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