◻️125の5『岡山の今昔』岡山市(戦後の商店街)

2020-01-13 10:08:50 | Weblog
125の5『岡山の今昔』岡山市(戦後の商店街)

 戦後直ぐの駅前地区には、旅館や食堂が数多く立地していたが、「商店街」と呼べるほどの小売店の集積はなかったという。
そこへ、ヤミ市の開設により、商業地区としての新たな第一歩を踏み出す。
 奉還町においても、岡山駅に近いことなどから、ヤミ市が開かれ、徐々に商店街が立ち直っていく。
 一方、表町においても、1945年(昭和20年)10月10日、天満屋が営業を再開し、息を吐く。その3日後には「岡山市中央商店街復興委員会」が結成される。街を挙げての活気づけが続く。
 そうして復興が軌道に乗ると、各商店街は、施設の更新に乗り出す。アーケードの整備も始まる。おりしも、高度成長の波に乗り、1949年(昭和24年)12月になると、天満屋バスステーションが完成する。これで買い物客が右往左往することもなくなる。表町地区は、ぐんと便利に、岡山の商業の中心地に返り咲く。
 引き続いての1957年(昭和32年)3月の上之町を最後に、表八ヵ町全体のアーケードが完成し、この辺りにはなおさら近代店舗ができていく。同じ年、県庁が下伊福から現在地に移転し、「下之町周辺の中心性はますます高まる」のであった。
 ところが、1970年代にいたると、岡山市の市街の外縁部に発展の動きが出てくる。その前の新幹線の開通により、駅周辺はますますの活気を呈していく。
 そして、狭苦しくなりととあった中心から、広い地域に大店舗が並んでいく時代、モータリゼーションがこの動きを導く。(中略)

 21世紀になると、この辺りの商店街の命運をかけての取り組みが見られる。その中から、幾つか紹介しよう。
 「岡山市北区の表町商店街。江戸時代から商業・文化の中心地として栄えてきたこの場所に、人々の交流拠点となる店舗が次々とオープンしている。市の文化芸術施設の新設計画も進んでおり、さらなる活性化へ商店主らの期待も高まっている。
 岡山市北区表町1~3丁目にかけて続く表町商店街は、紙屋町、下之町、栄町、千日前など八つの商店街からなる。7月末、紙屋町商店街に西洋風のレトロな雰囲気の多目的イベントホールがオープンした。
 「Cultural Maison KOTYAE」(カルチュラルメゾン コチャエ)。高級衣料品店を改装したホールは、音楽や婚活イベント会場として貸し出され、普段はカフェやバーとして営業する。」(2017年9月12日付け朝日新聞)



(続く)

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