○○16『自然と人間の歴史・日本篇』石器時代(概要)

2018-05-28 09:11:01 | Weblog

16『自然と人間の歴史・日本篇』石器時代(概要)

 現段階ではまだ、まるで雲を掴むような話なのかも知れないが、この日本列島に人類がいかにして住むようになったのかを考えたい。当時は「倭」も「日本」も存在しなかったであろうから、たんに「渡来人」とでも呼ぶしかあるまいが。ここでも、考古学上の発見を手掛かりにして大方の話を進めるしかあるまい。
 そこで今縄文期までにこの列島にやってきた人々を「縄文人」というのだとすれば、彼等は「いつ」、「どこから」、「どのようにして」やって来たのであろうか。ここでは、斎藤成也氏の説明から、まず「いつから」が述べられている一節を紹介する。
 「5~6万年前ごろ、当時ニューギニアとオーストラリアがつながっていたサフール大陸に、南方の東ユーラシア人が進出した。その後、その子孫集団は大きな遺伝的浮動により特殊化し、サフール人を形成していった。一方、南北アメリカ大陸へも、以前から小規模な移住は繰り返されていた可能性はあるが、15000年前頃ごろに、大規模な移住がシベリアからベーリング陸橋を通ってあり、それらの子孫集団が南北アメリカ人を形成していった。日本列島にも、旧石器をたずさえた人々の拡散の波が何回かあった。」(斎藤成也「DNAから見た日本人」ちくま新書、2005)
 「現在日本列島には、1万4500カ所の旧石器時代の遺跡が所在するが、そのほとんどは現世人類が出現した4万年前以降の後期旧石器時代(4万~1万5000年前)に属す。かつては現世人類以前の人類のものとされた前期・中期旧石器時代の遺跡が100カ所以上記録されていたが、2000年に発覚した旧石器捏造事件により、その大部分が学術資料としての価値を失った。
 それでも岩手県金取(かなどり)遺跡や長野県竹佐中原(たけさなかはら)遺跡等のいくつかの遺跡は、中期旧石器時代後半(6万~5万年前)か中期・後期旧石器時代移行期(5万~4万年前)に位置すると目されており、列島最古の人類文化と考えられる。これらの遺跡は、これまでは現生人類以前の旧人によるものと見なされてきたが、最近の中国南部・東南アジア等の化石人骨の新証拠により、早期ホモ・サピエンスの可能性も排除できなくなっている。しかしながら、列島に本格的な人類文化が出現するのは、現生人類が登場する後期旧石器時代初頭からとなる。」(佐藤宏之「日本列島の成立と狩猟採集の社会」:岩波講座「日本歴史第1巻原始・古代1」岩波書店、2013に所収)
 とはいえ、論者によっては、ここでいわれる人々、ここでは「旧石器人」と呼ぼう、が日本列島に住み始めた年代にもっと新しい年をあてている。一説には、約3万5000年前、遺跡から見つかっている彼らの骨の信頼性についても、その骨がほとんど見つかっていないことと、したがって、彼らがどのような骨格、体の特徴をもつ人びとだったのか明らかになっていないと言われる。いわば、「ないものねだりはできない」ことから、その評価はいまだに定まっていないというのが、現在までの研究で精々予見できることなのであろうか。
 次には、旧石器人たちは、どこから、どのようにして、この列島にやって来たかである。一般には、日本列島に向けて旧石器をたずさえた人々の拡散の波が何回かあったことが言われる(例えば、「DNAから見た日本人」ちくま新書、2005)。そう考えると、日本列島は四方を海に囲まれていた。ついては、これへのルートは、幾つかがあったのではないだろうか。まずは、朝鮮半島から対馬(つしま)を通り九州へ入る「対馬ルート」、台湾から南西諸島を北上する「沖縄ルート」、ユーラシア大陸の北側からサハリン(かつては「樺太島」と呼んでいた)を経由する「北海道ルート」があったと考えられている(朝日新聞、2016年2月10日付けなど)。
 それから渡来の時期としては、それぞれ3万8千年前頃、3万年前頃、2万5千年前頃のことであったのではないかという。これらは一応、国立科学博物館の人類史研究グループから得られた、現時点での日本の代表的見解となっているという。とはいえ、類書を紐解くと他にも、中国の上海のあたりからの「東シナ海を渡るルート」、カムチャッカ半島から千島列島を経由しての「千島ルート」、日本海(韓国では、「トンヘ」と呼ぶ)を挟んだ大陸の沿海州から列島に至る「日本海ルート」も考えられている(斎藤成也「DNAから見た日本人」ちくま新書、2005など)
 全体的には判然としていない。最古の日本列島への渡来時期についても、4万年前頃にまで遡るという推測も出されていることから、いずれも、いまだ流動的な見解であるのを免れない。なにしろこれらは、この列島にやってきた人々がまだ旧石器使用、文字通りの狩猟採集ばかりに力を費やしていた時代のことなのである。これら一連の問いについても、それへの回答の示唆を与えるような科学上の大発見が、最近の考古学、生物学の研究から相次いでいる。
 それでは、この列島に最初にやってきた人々は、どんな暮らしをしていたのだろうか。そんな観点からは、最も古い年代の石器使用はどのくらい遡るのだろうか。参考でに、日本経済新聞に、「島根・出雲の砂原遺跡の石器、「日本最古」に再修正」なる記事が載っており、こうある。
 「島根県出雲市の砂原遺跡の学術発掘調査団(団長・松藤和人同志社大教授)は7日までに、出土した石器36点について見解を再修正し、11万~12万年前の「国内最古」と結論づけた報告書にまとめた。
 2009年の発表では、12万7千年前ごろにできた地層と、約11万年前の三瓶木次火山灰でできた地層に挟まれた地層から石器が出土したとして、石器の年代は約12万年前の国内最古と発表した。
 その後、火山灰の地層は三瓶木次層でなく、約7万年前の三瓶雲南層と判明。翌年、石器の年代を7万~12万年前と幅を持たせて修正した。岩手県遠野市の金取遺跡でも5万~9万年前の石器が出土していたことから、砂原遺跡の石器も最古から最古級と見解を変更した。
 松藤教授によると、石器を含む地層の成分を詳しく調べたところ、層の中に三瓶木次火山灰が含まれていることが分かり、約11万年前と判明、石器を含む層は11万~12万年前と結論付けた。
 松藤教授は「考古学の研究であまり試みられなかった地質学の手法も組み合わせて、年代を特定できた。遺跡調査の手法を飛躍的に高める先例になるのではないか」としている。」(2013年6月7日付け日本経済新聞)

(続く)

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