○○6の2『自然と人間の歴史・日本篇』石器時代(石器の有り様)

2018-05-28 09:12:09 | Weblog

6の2『自然と人間の歴史・日本篇』石器時代(石器の有り様)

 ここにこの列島での石器の最初の使用が、最大12万年も遡るというのは、どのように受け取れば良いのだろうか。それから時代は移って、ヨーロッパで「アイスマン」たちが猟に精出すことで命をつないでいた頃、この列島では石器時代が続いていた。おりしも地球の温暖化の影響は、日本列島にも進んでいき、約1万2000年前くらいからの海面の上昇により、海岸線はどんどん陸地の奥へと入っていく。そのため、関東平野のような平地では、今日の埼玉県の西部と南部はもとより、秩父の低地にまで海が押し寄せてきた、現代の地理学では、この現象を「縄文海進」(じょうもんかいしん)、そして埼玉県の奥まで進した海のことを「奥東京湾」と呼ばれている。
 大いなる気候の変化は、伊豆半島にも押し寄せたであろう。手掛かりとしては、黒曜石の利用がある。列島の後期旧石器時代前半期の約4万前から約2万8000年前にかけて各地で利用されるようになっていた。
 主たる産地の一つは、伊豆諸島・神津島(こうずしま)にあったという。南関東と中部地方南部では、伊豆諸島・神津島産の黒曜を使っていた。ちなみに、地図を広げると相当の距離があって、渡海のためには航海術を必要としたことだろう。黒曜石は、主として火山活動で生成される。そのため、産地は主に本州の山岳部にある。朝日新聞の「黒曜石を運んだ海の道、人類史の謎が眠る海」の特集記事には、こうある。
 「垂れ込めた雨雲の下、伊豆諸島・神津島(こうづしま)から小さな島影が見えた。
 太古の昔、神津島とつながっていた無人の岩礁群。恩馳島(おんばせしま)と呼ばれるこの岩礁の島に、人類史の謎が横たわっている。
 恩馳島は、考古学の世界で黒曜石の産出地として知られてきた。
 旧石器時代、黒曜石は最先端のハイテク素材だった。ガラス質の黒曜石は、うまく割ると石刃(せきじん)になる。加工すれば鏃(やじり)になる。当時、獲物を狩るための道具は命綱だった。良質な黒曜石を求め、人々はどんな遠征もいとわなかった。
 主な山地は中部日本と北海道、九州。調べると、黒曜石を運んだ距離は時に数百キロに及ぶことがわかった。本州で恩馳島の黒曜石が次々見つかったことは、さらに驚くべき発見だった。旧石器人が海を行き来し、恩馳の黒曜石を本州に運んだということになるからだ。その年代はどんどんさかのぼり、とうとう3万8千年前の遺跡からも出土した。
 「はい、船で往復した例としては、世界最古です」
 国立科学博物館の人類史研究グループ長、海部陽介さん(46)が淡々と説明する。
 海部さんによると、およそ5万前にアフリカを出たホモ・サピエンス(現生人類)が原罪のインドネシアから豪州へ海を渡ったのは4万7千年前。このときは「渡った」ことしかわかっていない。「行き来した」と「渡った」は全く違う。行き来には航海術がいる。」(2015年7月25日付けの朝日新聞「be」欄)
さらに、人骨と土器、そして石英製石器が同時に発掘されたという話も載っており、それにはこうある。
 「沖縄県立博物館・美術館は昨年12月、サキタリ洞で少なくとも9000年以上前の成人の人骨を発見したと発表した。成人1体の頭部など上半身と、大腿骨や骨盤などがあおむけの姿勢で見つかった。(中略)
 昨年2月に9000年前の土器が上から5層目で発見された。今回はさらに約1メートル掘り進んだ7層目での発見。詳しい分析は今後進められるが、9000年前から大幅に遡る可能性がある。これまでは愛媛県や長野県でみつかった9000~8000年前の埋葬人骨が最古級だった。
 同博物館・美術館は遺物の年代決定に放射性炭素年代測定法による誤差を補正する国際的なものさし「IntCal(イントカル)13」を昨年から採用、従来の発表年代を一部修正しているが、サキタリ洞での調査では文字通り歴史を画す発見が相次いでいる。
 12年に1万4000年前の人骨と石英製石器がそろって出土した。骨と道具が同時に出土した例としては国内最古になる。昨年2月には約2万3000~2万年前の人骨、国内最古の「貝器」、9000年前の沖縄最古の土器などを発見したことを発表、今回の埋葬人骨と続いた。
 サキタリ洞での発見に注目が集まるのは、年代の古さとともに、日本人の起源を巡る研究にも影響があるからだ。というのも、日本人のルーツを考える上で欠かすことができない「港川人」が発見された港川フィッシャー(割れ目)遺跡(八重瀬町)と、サキタリ洞とは約1.5キロの至近距離だからである。
 旧石器時代の人骨は国内でほとんど発見されていない。本土は火山灰に覆われた酸性の土壌が多いため骨や有機物が保存されにくいためで、日本最古の人骨は那覇市山下町で見つかった「山下洞穴人」。同博物館・美術館によると、約3万6000年前で、港川人は約2万2000年前と見られている。本土で確実な旧石器人の骨は静岡県浜北市(現浜松市)で出土した「浜北人」(約2万年前)だけとされている。沖縄はサンゴ礁が隆起した石灰岩地帯が多く、風化から免れた。」(日本経済新聞2015年1月27日付け)

(続く)

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