○○322『自然と人間の歴史・日本篇』昭和(戦前)の文化(文学、宮沢賢治)

2018-11-22 10:40:26 | Weblog

322『自然と人間の歴史・日本篇』昭和(戦前)の文化(文学、宮沢賢治)

 宮澤賢治(1896~1933)は、農業技術者であり、詩人であり、児童文学・童話の作家であった。生前は「ほぼ無名」とのことで、なかなかに世に作家として出られなかった、不遇の時があった。時代が下るにつれ、国民作家としてのみならず、日本と世界にますます多くの読者を獲得しつつある点で、希有の作家だと言えよう。
 1896年に岩手県の花巻に生まれた。家は、周囲の中では比較的裕福であった。1918年に盛岡高等農林学校卒業してからは、しばらく家業に従事した。その中で、日蓮宗の熱心な信者となり、布教のため上京したりもしている。

文学活動は青年期の早くからで、『どんぐりと山猫』(1921)、『かしはばやしの夜』(同年)など童話数編から書き始める。

それからは、故郷での農業の指導者となって働きながら、油が乗ったように作家活動に取り組んでいく。そう彼は東北の土に親しみ、農民たちの暮らしに心を砕いた技術者でもあった。彼の代表作には、手帳に記されていた稀代の名詩「雨二モ負ケズ」をはじめ、死後になって世に出たものが多い。

そこで「雨二モ負ケズ」から始めると、この詩における「負ケズ」には、特別の意味か込められているような気がしてならない。ありていにいうと、我々が日々身を処すに際して、「勝つ」必要は必ずしもないのではないか。とはいえ、世の中の物事の本質に迫るには、それ相当のエネルギーを費やさなければならない。この詩で設定されている場面は、いずれも極めて厳しい。ゆえに、「全力でもって」を軽んじるつもりはないが、賢治はそれよりも「負けない」ことでの持続性に重点を置いていたのではないだろうか。

もう一つ、『銀河鉄道の夜』は、宇宙旅行にも似た幻想的な話だ。例えば、今では星が多く生まれる場所だと考えられている「石炭袋」について、主人公にこう語らせている。

「「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ」カムパネルラが少しそっちを避けるやうにしながら天の川のひととこを指しました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。」(ちくま文庫、「宮沢賢治全集」第7巻「銀河鉄道の夜」)

もう一か所、銀河鉄道に乗って天の川を旅してきた主人公が夢から目覚めるシーンには、こうある。
 「両方から腕(うで)を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯(こ)う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座(すわ)っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲丸(てっぽうだま)のように立ちあがりました。

そして誰(たれ)にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉(のど)いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
 ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘(おか)の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱(ほて)り頬(ほほ)にはつめたい涙がながれていました。
 ジョバンニはばねのようにはね起きました。町はすっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴(つづ)ってはいましたがその光はなんだかさっきよりは熱したという風でした。そしてたったいま夢(ゆめ)であるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊(こと)にけむったようになってその右には蠍座(さそりざ)の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。」

そのモチーフとしては、やはり宇宙空間にまで視野を広げた中での人間の心のあり方なのだろうか。それはともかく、日本はおろか、世界の中でも実に多くの人々が、この青くにじんだ陰影さえ感じられる文章に、人を引きつけてやまない宇宙の神秘を感じさせる。
 1933年に賢治が死んだ時には多くの未発表作品があり、その中からは畢生(ひっせい)の詩『雨ニモ負ケズ』が見つかっており、熱心な在野の法華経信仰者としても、つとに知られる。
 戦前から活躍していた詩人の草野心平は、宮澤のことをこう評している。
 「現在の日本詩壇に天才がいるとしたなら、私は名誉ある「天才」は宮澤賢治だと言ひたい。世界の一流詩人に伍しても彼は断然異常な光を放っている。」(『詩神』(1926年8月号)

(続く)

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