○○423『自然と人間の歴史・日本篇』1970年代の文化1(彫刻、絵画、書、版画、マンガ、写真1、絵画の田中一村)

2018-11-22 10:19:38 | Weblog

423『自然と人間の歴史・日本篇』1970年代の文化1(彫刻、絵画、書、版画、マンガ、写真、田中一村)

 田中一村(たなかいっそん、1908~1977)という画家は、その道でなかなかの苦労人であったようだ。栃木県に生まれた。17歳で東京美術学校へ入学する。同級生には、東山魁夷(ひがしやまかいい)がいたという。ところが、田中はこの名門をわずか2か月で退学してしまったというから、驚きだ。教育方針が気に入らなかっただけではなく、体調がすぐれなかったこともあったようだ。

 その後は独学で絵画製作を続けたらしい。それにしても、暮らし向きのことは、どのようであったのだろうか、ともあれ、なんとか暮らしをつないでいたらしい。

 そんな田中が1958年(昭和33年)50歳のとき、何を思ったか単身奄美大島に移り住んだ。それからの19年、残りの人生をこの島で過ごした。生活の糧を得るため、大島紬(おおしまつむぎ)の工場で働いたりした。そこでの職種は、「摺り込みの職工」だったというから、器用であったのではないか。この島の生活で創作意欲が増し、画業に励んだという。

 そんな孤高の画家人生を送った田中なのだが、特定の画壇には属さなかった。それもあってか、生前はたいして有名ではなかったらしい。それから、画風がその時々の世の中の画風と相当に変わっていた。

 作品については、奄美の自然を切り取ったものが色々とある。主なものとしては、「初夏の海に赤翡翠(ひすい)」(1962)、「アダンの海辺」(1970)、「熱帯魚三種」(1973)、「不喰芋と蘇鉄(ソテツ)」(制作年不明)など。

 これらのうち「初夏の海に赤翡翠」は、ビロウの葉が垂れ下がっているところに、森の岩があって、そこにアカショウビンという、嘴(くちばし)の大きな、そして赤みを帯びた橙色の鳥が止まっている。なんでも、美しい声で鳴くらしい。

「アダンの海辺」は、海辺に凛と立つアダンという名の植物が描かれている。実際は、単独ではなく、群生しているという。生え方は、マングローブと似ているのではないか。それと、なんだかわからないが強い意思をもっている植物のように感じられる。緑の実と黄色い花がついている。黙っていても、ここは南洋の島らしいのが合点がいく。

 それから「熱帯魚三種」は、画面に横並びで三種類の魚を描いてある。上から順に、アオブダイ、シマタレクチベラ、スジブダイだと聞く。泳いでいるような気配は感じられない。艶(あで)やかに、そして頭部には白い光が当たっている。いずれも頭部が大きい。目から口にかけての模様が波形というか奇抜であって、まるで熱帯魚のようだ。どの魚体も、丸々と太っており、もし生きているとしたら、ゆったり気分でいるのだろうか。

 なお、これは余談だが、沖縄で人々に食されている「イラプチャー」と通称される魚は実はアオブダイではなく、アオブダイについては猛毒を持っている魚であることから、これを観て「うまそうな魚体だ」と決めてかかるのはよくないようだ。

 さらに「不喰芋と蘇鉄(ソテツ)」においては、「クワズイモの右にソテツの雄花、左に雌花をあしらってある。まだあって、下にはハマナタマメの花がかき分けられているという。

 これらに見える植物たちは、亜熱帯ならではの姿で描かれていて、色彩は派手で濃いめであるし、なんだか「どっこい俺様は生きているんだ、早く元の海に戻してくれ」と主張しているかのようである。

 

(続く)

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